瞳を開けば推しがいる
眩しっ!
と、思うと同時に身体がふんわりと宙に浮いた感覚があった。
そしてすぐに硬くて冷たい無機質な物に触れる。
わたしは恐る恐るゆっくりと目を開く。
先程の眩しさにまだ視界がくらくらしてる。
目の前に誰かいる…?
よく見えない……
目の前の人が自分の右手をわたしの顔に近付け、目の前でヒラヒラさせた。
懐かしい、土の匂いがした。
匂いと共に、音、視界、色々な感覚がはっきりと戻ってくる。
とりあえず、目前にモンスター!とか、断罪直前!とか、そういう命の危機はなさそうなくらいの賑やかさに安心する。
「なんだお前今日寝不足か?」
知らない世界のはずなのに、知っている声の気がした。
何度も何度も聞いたあの声。
そう、これはわたしの一番好きな…
「…っ!?お、おおおお、推し!???」
「うぉ!?急になんだよ!」
目の前の人物に驚き、勢いよく後ろにバランスを崩したわたし。
座っていた椅子が音を立てて倒れる。
「大丈夫か?」
さっきよりも一層近く、と言うか真上から聞こえる大好きな声。
何が何だか理解できなかった。
さっき感じた土の匂いが強くなる。
温かい温度が伝わってくる。
そう、まるで本物の人のように実体がある。
って!!!
目の前に推しの顔のドアップがある!!!!?
「ご、ごごごごめんなさいっ」
どうやら転びそうになったわたしの左手が引っ張られ、そのままわたしは目の前の推しの胸に飛び込んでしまったらしい。
チラリと顔を上げると、推しがわたしを見下ろしている。
む、無理むりむり!
心臓がありえない速さで鼓動を打つ。
し、死ぬ、死ぬんじゃないか…
死因は尊死で。
いっそのこと、モンスターや知らない人、病気に殺されるくらいなら、こっちの方が本望かも。
なんて思考をしていたら再度声がかかる。
「なんだその他人行儀は…
あと"オシ"って?」
推しは紛れもなく目の前の貴方様ですよ!!!!
都合の良い夢かもしれないと一度目を閉じてから再度目を開く。
しかしそれは夢ではなく、国宝級のお尊顔が目の前にあるわけで、少し不機嫌そうな顔がまたその良さを引き立てている。
お、落ち着け、わたし…
震える両手を伸ばして一定の距離を取り、息を整える。
「もしかして具合悪いのか?」
ひえ〜、心配してくれる声もそのままだ…
あ、首痛める系男子のポーズ、立ち絵そっくり…
いや、それ以上のクオリティ。
「本当に大丈夫か、お前」
「だ、だだだ、大丈夫じゃないれす!!!」
やってしまった、大好きな推しの前で盛大に噛んだ。
はああああ、もう恥ずか死ねる………!
「ぷっ、なんだそれ!
やっぱり寝不足なんだろ?
これ終わったらちゃんと寝ろよ」
「お、推しが尊い…」
「オシ?」
「れ、レオンさんがかっこよすぎて」
「"レオンさん"?
さっきから他人行儀だし、お前やっぱ今日変。
明日訓練終わったら迎えに来るから、それまでにその頭どうにかしろよ」
明日?
明日も会えるの?
訓練ってなに?
迎えってなに?
なになになに!!?
間違いなく、これシンヒロのレオンだよね!?
でもこんな設定聞いたことないよ!
何も返せなかったわたしを残して、推し、レオンは去っていった。
レオンの去っていく背中を見つめたままぼーっとしているわたしの頭に鈍い痛みが落ちた。
「ハルカ、いつまでもさぼってないで。
あの卓のオーダー取ってきて」
「お母さん…」
ん?"お母さん"?
自分の口から自然に出た言葉に驚く。
いやいやいや、知らないよ、この女性。
全然お母さんに似てないし。
でもどうしてだろう、この人が自分のお母さんだって、そんな気がする。
「また『レオ!レオ!』っていちゃついてたんだろうけど、レオン君帰ったからね、あんたは仕事しなさい」
そうだ、レオ…
懐かしい響きに胸が熱くなる。
なぜかずっと彼のことをレオって呼んでいた気がする。
そして、仕事って…
辺りを見回すと、さっきまで全然見えて来なかった鮮やかな景色が広がっていた。
たくさんの客で溢れた小さな食堂。
そうだ、ここはお父さんとお母さんの経営する食堂で、一人娘のわたしは毎日お手伝いをしていた。
レオは幼馴染で、騎士団に入るために毎日訓練に行ってて、お昼は必ずうちに食べに来る。
わたしはそんなレオにずっと恋をしていて…
知らない思い出、記憶がわたしの中に入ってくる。
わたしは誰?
立花 遥香、そう、立花 遥香。
じゃあ、今のわたしは誰?
わたしになる前のこの身体と記憶は誰のもの…?
「ママ!ハルカちゃんが倒れた!!」
「ハルカちゃん!?」
「ハルカ!?」
「ハルカ!!!」
常連さんの声、お母さんお父さんの声が遠くで聞こえた気がした。