出現1
水面が波立つように楕円形に空間が揺らめき、中から一人の人間が現れた。
眩しそうに目を細めて周りを窺った。
「おお、いい天気だ。何時くらいかな。太陽は出ているから昼間だろうけど」
自分の意識もあるし、思った通りに言葉も出せる。狂乱してない。
エルクは空を見上げその青さにほほ笑み、大きく深呼吸をした。冷たい空気が美味い。都会とは違う草の匂いに笑みが深くなる。
抜けるような青空と緩やかな起伏の多い草原、その向こうにはゴツゴツした岩山が連なってる。
空には太陽は一つ。虹色の月が複数回ってるってことはないようだ。足元の草も土も地球で見るものと違いがわからない。極彩色のマーブル模様とか、異星を感じさせるものはなく少し安心した。
ルキフェによると多くの異世界は似ているらしい。動植物や自然現象、物理現象もほぼ同じらしい。なんらかの行き来があるのかもしれない。魂や輪廻転生の概念も共通しているようだ。
ルキフェの力で魔王国内ではなく少し国から離れた荒野に出現したはずだ。ルキフェは世界の地理について詳しくなかったが、荒野と海が、魔王国と人間の住んでいる国とを隔てているらしい。
体の特徴は二人で話し合って決めた。
病死した野口明の体はもうないだろうから、新しい肉体が必要だ。
年齢は十歳ぐらい、黒髪、黒い眼、白い肌で筋肉質に成長するような体を用意してもらった。目が大きく鼻筋が通った美しい顔は、情報収集に必要だからだ。私心はない。この世界で美の基準が違ったら困るけど……。
ルキフェは魔王であり、神ではないので無から創造することはできない。
神については存在を確認したことはないらしい。神というものを多くのものが信じていることは魂との出会いで知った。輪廻転生は様々な形をとるらしく、神に昇華するのかもしれない。だが出会ったことや影響を感じたことはなかった。魔王を討伐できる武器「聖剣」を誰がもたらしたのかも知らなかった。
あの空間で飲んだコーヒーやソファセットなどは精神だけの世界でイメージを投写しただけで、創造された実体のあるものではない。
お亡くなりになったばかりの方を探し、部品を頂いて組み合わせ、魔王としての強度を持たせて体を作ってくれた。精神空間で設定し受肉する事ができるだろうとのこと。
だろう、なので検証は必要だ。ルキフェには自分を作り変える発想はなかったらしい。なにやら考え込んでいたが。
「フランケンシュタインの怪物だね。縫い目はなしでお願いしたから肌は滑らか、足が長くバランスもよし。遺伝子はどうなってることやら。……がんで死んだ人間が融合した遺伝子で出来た体で生き返るって、どんな皮肉だろうね」
子を成す機能もある。
ルキフェは女と男で子を成すとは知っていたが、自分の性別について知らなかった。成長の記憶はなく、種族が何なのか、魔王という種族なのかもわからなかった。
成長はする、多分。高身長を期待したい。高身長、大事なことは二度言わないといけないとみんなが言っている。
空気中の細菌とか虫や胞子とか体に悪そうなものについてはこの世界の人種よりも強靭だから心配しなくても大丈夫だ、と言っていた。
……免疫やら抗体やらがあるのかね。
精神の空間から現実世界に出現したので裸である。
……少し肌寒いけど季節はいったいいつだろう。冬ってことはなさそうだ。
寒さ、暑さ、痛みなどに強い体にしてもらったが、感覚がまったくないのも不味そうなので、感じるがダメージはなしになっている。
裸でいても問題なさそうだが、これから人前に出るには服を着てないわけにはいかない。
宝物庫から衣服を出して着込んだ。
木綿らしき布の下着、貫頭衣のようなシャツ、厚手のズボン、ウールのフード付きマント、足首まで覆う革のブーツ。
サイズは魔法で調整できた。もうちょっと短くなれとか、大きくなれとかを試したらできた。色は生成りで特に装飾的なことはしていない。
出した時に殺菌消毒、修繕、洗濯、乾燥の魔法をかけている。赤黒いシミや胸部分に裂けがあったから。
元の持ち主については……、世の中には知らないほうがいいこともある。
魔王城の宝物庫が自由に使える。
時間停止等の強固な防壁がある宝物庫は、魔王以外は取り出せないが、入れるには制限がない。はたからは、何もない手の中に急に現れたように見えるだろう。人前ではごまかす必要があるだろう。
ルキフェは宝物庫の中身をよく知らなかったが、在庫が見れたので下調べはできた。
鑑定魔法が使えないか意識を集中して見つめると来歴や材質、強度、効果などがおおよそのことが頭に浮かんできた。宝石や金貨などもあったので暮らしに困らないだろう。
出し入れをいろいろ実験してみたが、かなり大きな物も、長い物も問題なかった。お湯を入れた器は、こぼさずに出し入れできたし、お湯と器を分けて出すこともできた。
データベースシステムを思い浮かべたら、検索や種類別物品一覧表示みたいなものがわかるようになった。
魔族が何でも入れたようで、怖い物も多かったが見なかったことにした。
……さて、大人から子供になったし、新しい体に慣れなくては。
屈伸してみる。歩いてみる。体が軽い。体のあちこちを意識しないで歩ける。小走り。速度を上げてちょっとジャンプ。
年を取ると、動こうという気持ちに体がついていけなくなる。
足は思うほど上がらず、思わぬ怪我をしないよう手首・肩・膝をいつも意識して暮らしていた。
「アハハハハハハ! ヒャホォー!」
笑い声を上げながらどんどん走る。若返った体は快適だ。高くジャンプすると空に届きそうだ。オリンピックならゴールドだ。
……さて、エルクとして魔王の力も使える子供の体を手に入れた。
「エルクはどんな人間か? 老人の記憶を持ち、ルキフェと魔族の幸せ、ひいては世界の幸せに貢献するには、どんな人物であるべきか。自分自身が幸せでないと人の幸せを理解できないのではないか? という建前でやりたい放題にやってもいいのか? ……これから悩んで生きていこう。楽しみだ」