九話『威厳』
純白の日本家屋風建物は、高屋掘に位置していた。
以前、宅見氏と内覧した、保留後即決物件と同じ町である。
今回も事前偵察する事とした私は、実物を見て大いに感嘆させられた。
分かってはいたのだが、今回の建物は広大で、建物面積は50坪を越えている。
いわゆる『フツーのファミリー住宅』の約1.5倍といったところで、これまで見てきた物件の中でも最大級だ。
部屋数なんと6DKで「でも、お高いんでしょう?」と思いきや、値段も1500万を切っている。
建物はL字型で、片方の出っ張りには和室が2つあり、縁側も通っている。
これは非常にポイントが高い。丸ごと茶寮空間として隔離できそうではないか。
私は、ここでミミを撫でながら日向ぼっこする光景を想像した。
すると、想像の中のミミは、すぐに気分が急変して私に噛みついてきた。
……だがまあ、大きな家なので、ミミはおおむね満足してくれるだろう。
妻の職場からも遠くはないので、彼女の生活も楽になる。
『和に満ちた生活』というコンセプトを堪能する事もできる家だ。
「ふむ。私が住むに相応しい家ではないか」
私はウォッホンと咳き込み、まだ買っていない家の優越感に浸った。
すると、その咳き込みが気に入らなかったのか、向かいの家の犬が私に向かって大いに吠え始めた。
いけない。これでは不審者と思われてしまう。
幸いにも家は角地にあるので、私は別の面に移動して庭を覗いた。
すると、庭も非常に立派で、庭石や灯篭、更には、つくばいまで置かれている。
和を感じさせる樹木も生い茂っており、遠目ではあるが、樹木の傍にはネームプレートも刺さっているようだった。
私はふと、母方の祖父に想いを馳せた。
とはいっても、私が産まれた時には、祖父は既に鬼籍に入っていた為に、面識はない。
母から伝え聞く限りでは、貧しい時代でも『粋』を忘れなかった男だそうで、
言われてみれば祖母の家には、粋の残り香と思われる、立派な庭石が転がっていたものだった。
顔も知らぬ祖父と、この住宅の前住人をダブらせた私は、不思議と、感謝の意すら覚えた。
この家を、継ぎたい。
これまでとは違う、そんな想いが私の中を駆け巡った。
私は帰宅するや否や、妻を説き伏せ、宅見氏に内覧の約束を取り付けた。
そして内覧当日、私を待ち受けていたのは、
宅見氏の「これは、要検討ですね」との感想だった。
愕然とする私に対し、宅見氏は、パッと見では分からないこの家の問題点……断熱材の無い外壁や床の傾き等を次々と指摘した。それらすべてに満足いく修繕を試みると、新築並みの費用となる可能性もあるらしい。
期待は大きかっただけに、その感想は私にとっては重いものだった。
宅見氏は最後に「でも加藤さん達がこれを欲するかどうかが重要です」と付け加えた。
それは確かにそのとおりだが、それに付随する『予算オーバー』は無視できるものではなかった。
敏腕宅見氏に手伝ってもらっているからこその、断念である。
◇
「……家を買うのは、先送りにした方がいいかもね」
帰宅後の家族会議の席で、その言葉を発したのは妻だった。
私は何も言い返さず、膝の上に座るミミを黙って見つめていた。
妻の言いたい事は分かる。
宅見氏に手伝ってもらっても家が決まらないのであれば、原因は我々にある。
有体に言えば、金銭だ。
予算が限られている為に、及第点の家とは、なかなか巡り合えないのだ。
その上、私が新生活に対して持っているこだわりも大きなハードルだ。
ならば、今暫く家賃1万円で貯金をするのが賢い選択肢かもしれない。
「パパ、家買わないのか? 子分来ないのか?」
膝の上のミミが、クリクリの黒目で私を見上げながらそう言った。
もとはと言えば、今回の物件探しはミミの子分願望から始まったのだった。
「うーん。しかしなあ。色々と難しいんだよ」
「子分欲しい!」
「予算の都合で断念する家ばかりだし」
「子分欲しい!」
「安価な家はコンセプトに欠けるし」
「子分欲しい!」
「そろそろ市場も小さくなるし」
「子分欲しい!」
私は妻と目を合わせ、小さく肩をすくめた。
これは、私達の負けである。
そんなに子分が欲しいなら、仕方がない。
ミミの為にも、もうひと頑張りしようではないか。
「……もうちょっと、頑張ってみよう」
「そうね。でも、現実的に見つかるかどうかは……」
「大丈夫だ。きっとなんとかなる。私に任せるのだ」
私はそう豪語し、ミミをそっと妻の膝の上に移植して住宅情報サイトの洗い出しを再開した。
ミミは、家を探し始めた時のようにニャハニャハと笑った。
――そして、これまで以上に住宅を洗い出す日々が始まった。
まずは、検討エリアの拡張だ。
これまでチェックしたのは、東広島の中心部である西条地区、山の色合いが濃ゆくなる高屋地区、そしてお隣の竹原市だ。
これらのエリアも、今一度チェックする。これまで使用していなかった検索サイトも使うのだ。
上記は、私と妻の職場までの距離を考慮したエリアだが、他にも条件を満たしているエリアは存在する。
まずは、西条地区へのベッドタウンとなる八本松地区だ。
立派な住宅は多いのだが、いわゆるフツーの家が多い為、私達の希望にはフィットせぬと軽視していたが、中にはとんでもない掘り出し物があるかもしれない。
もっとも著名な出身者は、安田大サーカスのクロちゃんである。なんなの、もう。
そしてもう1つ、私達は東広島市の南部も対象エリアに加えた。
ここは黒瀬という地区で、実は東広島の物件の多くはこの黒瀬に存在している。
これは、供給が多いというよりも、需要が少ない為だろう。
残念ながらJRの在来線が通っておらず、日々の生活においてはやや不便さが目立つ地区なのだ。
だが、黒瀬の南部には、戦艦大和で有名な呉市が隣接しており、車での生活ならば面白き日々となるかもしれない。
私は、精査に精査を重ねた。気が付けば1ヶ月が経過していた。
初秋の涼しかった風は、冬の到来を告げる寒風へと変わり、宅見氏に教えられた住宅ローン減税期間は目前に迫っていた。
だが、良き物件は見つかった。
まず、新たに選択肢として浮上したのが10件以上ある。
これらはすべて、住宅前まで車を走らせ、職場への移動や周辺環境を調査した。
結果……合格点を与えた物件は2件。
これらは宅見氏に協力して貰って内覧もしたが、中身も悪くはなく、そのまま最終候補物件となった。
更には、その最中に高屋堀の日本家屋風物件が300万以上値下がりし、許容可能な値段となった。思わぬ復活劇である。
ようやく我々は、3件の候補に辿り着いたのである。
まずは高屋堀の日本家屋風物件。
そして残りの2件は、場所は伏す。
あとは宅見氏に「ここにします」と告げれば、いよいよ購入手続きが開始するのである。
◇
「さて、と……」
私はパソコンで3件の情報を代わる代わる眺めながら、溜息をついた。
どれも一長一短の特徴があり、100点というわけではない。
だが、私がこれまでに何度も考えてきた『コンセプトがある生活』を満たすにはふさわしい物件である。
問題は、この中からどれにするかだ。
まさか、サイコロを振って選ぶわけにもいくまい。
私は、面白き生活を送り、そして生涯を終えたいのだ。
それを成せる可能性が高い物件を、是が非でも選び抜かなくてはならない。
「お疲れ様。で、どこが良いの?」
2人分のコーヒーを手にしている妻が隣に座り、モニターを覗き込んだ。
私はコーヒーを受け取り、それをチビリと口にしてから、再度溜息をついた。
「それが、決断できないのだ」
「優柔不断ねえ」
「仕方がないだろう。高い買い物だし、最高の選択をしなくてはならぬのだ」
「じゃあ、これにしない? 総合的に考えると、落とし処だと思うけれども」
妻はそう告げて、そのうちの1件を指差した。
場所を伏せた2件のうちの1件で、なかなかに雰囲気の良い和室と庭を抱えており、茶室への改装が楽しそうな家である。
4LDKで、お値段は高くもなく安くもない。及第点の項目が多い上、趣味を堪能できそうな物件だった。
「そうだな、悪くはないが、良き日々を送れるかどうか……」
「そこは大丈夫じゃない?」
「大丈夫であろうか……そう言い切れる根拠があるのかね?」
私は腕を組んでそう尋ねたが、妻は「しょうがない人だ」と言わんばかりに肩を竦め、私を見つめながら頷いた。
「良き日々になるかどうかは、最後は家に住む私達次第だと思うわ。
でも、この1ヶ月のような努力があれば、まあ、大体の事は大丈夫でしょう。
家長さんが、ミミの為にも諦めずに探し続けてくれたからね」
「……そうか。家長、か」
そう言えば、そうだった。
そもそも、私は家長の威厳の為に住宅を探していたのだった。
その点を妻が認めてくれたという事は、もう、当初の目的は達成しているのか。
ならば、どの家になろうと悪くはない。
あとは、コンセプトのある生活に向けて、直進行軍するのみである。
奮起すれば奮起した分だけ、プラスになるのだ。
「……明日、印鑑を持って、宅見氏の事務所に行こう」
私はそう呟き、モニターに映っているブラウザのタブを2つ消した。
かくして、私達の約3ヶ月に及ぶ物件探しは終了した。
書き連ねなかった物件も含め、内覧総数7件、物件確認18件。
物件情報サイト上で精査・検討したものは、おそらく100を越えるだろう。
厳選の結果、我々はようやく新居候補に辿り着いた。
……そう、候補である。
家を買うのは、ここからが本番なのだ。