六話『これが掘り出し物だ』
「A社が紹介した物件は、どちらも業物ですね。普通は告げておくべきなのですが」
後日。
宅見氏に不動産探しを依頼するべく、事務所へと伺った我々は、
彼女に求められてこれまでの経緯や内覧物件を説明した。
すると、宅見氏は小首を傾げながら、聞きなれない言葉を口にしたのである。
「業物……ですか?」
「ええ。中古物件は、買い手と売り手の間に不動産屋が2社入る事があります。
買い手側の不動産屋と、売り手側の不動産屋で、これを業物と言います。
一方、間に一社しか入らない形式は、専属専任媒介と言います」
「それは、何故告げておくべきなのですか?」
今度は、横に並んだ妻が尋ねる。
先程から、宅見氏にそう疑問を投げかけているのは彼女だ。
念の為に言っておくが、私だって疑問に感じた事だ。ただ妻が先に口にしただけで、私が役立たずというワケではない。
なお、ミミも一緒に来ているのだが、私の膝の上でゴロゴロしているだけで、ミミこそが本物の役立たずである。
「間に1社だけですと、不動産屋は、買い手と売り手、両方の立場を考える必要がありますよね。そうなると、買い手は不動産屋を気遣って、意見をストレートに伝えられない事があるんです。
でも業物でしたら、その遠慮は不要です。なので、買い手の事を考えれば告げておくべきなんですよ。内覧時に鍵を取得するのに時間がかかったのも、間にもう一つ不動産屋を挟んだ兼ね合いかと思います」
なるほど、言われてみれば、それが理由かもしれない。
得心いった私は膝を叩こうとしたが、膝にはミミがいる。
代わりに太ももを叩いて間抜けな音を鳴らしたが、
宅見氏は、そんな私を気にせず話を続けた。
「それはそれとして……私から今ご案内したい物件は2件あります。
1件目は、加藤さんがお気に召された高美が丘の物件。4LDKです。
ただお値段は2000万を少し超えますから、
予算的にはもう厳しくありますが……」
「構いません。是非、内覧させて下さい」
私は即、その希望を口にした。
妻にもあらかじめ話はしており、了承は受けているものの、彼女は、高美が丘に特別な思い入れを持たないわけで、どこか冷めたい目で私を見ているようだった。
だが、構わない。
いや、冷たい目で見られるのが嬉しいのではない。
いざ高美が丘に行けば、彼女も魅力を肌で感じるはずなのだ。
「そしてもう1件。
建物面積22坪の狭い平屋で、築年数約50年と古い物件ですが、助実です」
「助実!?」
驚きの声を漏らしたのは妻だった。
衝撃で飛び起きたミミが、また私の手首を噛み、私はトムとジェリーのトムのような奇声を上げかけたが、かろうじて声を押し殺した。
だが妻は、そんな私に構う様子もなく、目を見開いて宅見氏の言葉を待っていた。
「ええ、助実。お値段は400万円程です」
「す、助実でそのお値段の物件があるんですか!?
そんな情報、物件情報サイトには……」
「ええ。まだ未掲載情報です。いち早くお伝えしております」
「凄い、そんな情報を……A社と話をした時は、未掲載情報なんて……」
「私のような小さい会社は、マンツーマンでお相手できるから、情報を提示しやすいんですよ。もちろん、A社様にはA社様のメリットが存在しますよ?」
最後に宅見氏が口にした言葉の意味は、まあ、分かる。
だが助実とやらは何が何やらで、私は涙目になると……まあミミに噛まれた痛みのせいなのだが、とにかく教えを乞う目つきになると、宅見氏は状況を察したかのように苦笑して話を続けた。
「助実は西条地区の一角にある街ですが、近々、大型ショッピングモールの建設を予定しており、今後、市を挙げて発展していく地区です。中の残留物の撤去に一週間以上要するので、内覧はその後になりますが……」
「構いません。是非、内覧の予定をお願いします!!」
妻から威勢の良い言葉を投げかけられた宅見氏は、温和な表情で頷いた。
妻は、それに気を良くすると、メガネをキラリと輝かせて私をにらんできた。
これが私の伴侶か……という想いはさておいて、おそらく、この目つきは挑戦状なのだろう。
高美が丘と助実、どちらの物件が相手を納得させられるかだ。
私は良かろうと言わんばかりに深く頷いた。
私としては高美が丘を推すつもりだが、話を聞く限り、
どうやらこの助実物件は、世間で『掘り出し物』と言われる物件のようである。
そんな物件なら、検討する価値は十分にあるだろう。
かくして夫婦間では火花が飛び散る事となった。
……の だが、この勝負の決着は、思いもつかぬ形でつくのであった。
◇
『残念ながら、助実の物件は買い手が決まりました』
そんなメールを宅見氏から受け取ったのは、それから3日後の事だった。
その旨を妻に告げると、彼女は床へがっくりと崩れ落ちた。
新手の遊びが始まったのかと、ミミが近づいて手をぺろぺろと舐めたが、
それを気にする余裕もない程に、彼女は落胆していた。
「ど、どういう事……?
まだ内覧もできない状態だったはずなのに、なんでこんな早くに……」
「ちゃんと理由があるのだ。それはな……」
私は妻の肩を叩きながら、メールに記された詳細を口にした。
確かに妻のいうとおり、まだ内覧は不可能である。
だが、内覧せずとも購入に踏み切る事が可能なケースは存在するのだ。
それは、建物ではなく土地が欲しい時、である。
なんと、助実の物件を購入したのは不動産業者であった。
おそらく、今後、ショッピングモールの建設で地価が高騰する事を見越しての投資であり、分譲スペースにして、高く売るつもりなのだろう。
それを聞かされた妻は、すぐには立ち上がれなかったものの、
それでも小さくため息をつき、ようやくミミを撫でる余裕を見せてくれた。
「……そういう事情なら、仕方ないわね……。
私達は内覧せず買うわけにはいかないし。さすがに不動産屋には勝てないわ」
「そうだな。だが、今回の件は何も悪い事ばかりじゃない」
「候補物件が、高美が丘だけに絞られるから?」
「そうではない。宅見氏の事だ。
このフットワークの軽さ、そして不動産屋が飛びつく物件をピックアップしてくれる慧眼。本当に強力な味方を得たと再認識できたじゃないか。
仮に、高美が丘の物件が上手くいかなかったとしても、先行きは明るいぞ」
「……そうね。それは言えているわ」
これで、我が家の『戦闘態勢』は完全に整った。
いよいよ高美が丘物件の内覧へ。
果たして、私の死地は、あの閑静な住宅街になるのだろうか。