十七話『打ち合わせの日々』
担当の中村氏は、若そうな事もあって多少の心配はあったが、それはまったくの杞憂だった。
中村氏は宅見氏に負けず劣らずのフットワークを見せて、現地調査と初回見積もりを一週間で終わらせてくれたのだ。
だが、その結果は悲報と言わざるを得ない。
まずは我々の希望をすべて算出したところ……弾き出された額は700万強だったのである。
「大丈夫です。ここからご予算に収まるように取捨選択していきましょう」
二回目の打ち合わせの席で、中村氏はそう言いながら、見積もりの細部について説明をしてくれた。
例えば、丸ごと交換を検討している玄関扉は、工賃等も含めると50万ほどかかるのだが、
これは、鍵を防犯性の高いティンプル式に変更する事で解消できる。
まあ、自分好みの玄関扉に変更できないのは許容せざるをえない。50万の差は大きい。
他の項目も多々代案を頂戴し、更には廃品の破棄等、自身で対応できる点のアドバイスも貰う事ができた。
だが……残念な事に、私のお気に入りの和室にもメスは入った。
まずは砂壁だ。新しく張り直せば30万から50万は掛かってしまうとの事である。
それに、現状の状態が特別悪くない事もあって、ここは現状維持となった。
他にも、こだわりの襖と障子も断念せざるを得なくなった。
良い意匠のものに交換しようとすれば、一枚2、3万円はかかる。それが10枚もあるのだ。
自分で張り替えれば数千円で済む事もあり、間切りの襖と縁側の障子は新品を断念し、
3枚しかない廊下側の建具だけを中村氏に依頼する事となった。
そして、そうして幾つもの予算を削っていく中、中村氏が新規対応を薦めた項目も存在した。
「現地を確認しましたが、トイレは直された方が良いと思います。
水回りで劣化が大きくなるのは、トイレ、お風呂、キッチンの順です。
実際、トイレに付属しているウォシュレット機器が油漏れしているようでした……」
「ありゃっ? そうでしたかな?」
そんな状態は把握していなかったのだが、中村氏に見せてもらった写真では確かに油漏れが生じていた。
見落としたか、我々が見た後で劣化が生じたのか……どちらにしても、ダメージがあるのは事実である。
マイホームの取得に浮かれていたが、これが中古物件の現実というやつなのかもしれない。
今後も似た事があるかもしれない。私は気を引き締めつつ妻と顔を見合わせた。
「……これは、やってもらおう。勝手に直るものではないし、日々の生活に支障が出るかもしれない」
「まあ、仕方ない所ね……。ミミちゃんが油を舐めても困るし。ここは宜しくお願いします」
「承知しました。それでは今日お話させて頂いた所を反映させて、もう一度見積もってみますね。
それでご納得頂ければ、ご契約という運びになります」
我々は中村氏の提案に頷き、打ち合わせが終わると、その足で宅見氏の事務所へ直行した。
宅見氏の目線からも見積もりに目を通してもらったのだが、個々の価格は相場よりもやや下、安価に纏めようと非常に努力してくれているとの事だった。
その返事に気を良くし、我々の気持ちは大筋で固まった。
翌週末、再度の打ち合わせで450万の見積もりを提示された我々は、契約書にサインをした。
今後、細部を詰める過程でリフォームの増減は生じるだろうが、その点にも随時対応頂けるとの事だった。
「パパ、遊びに行こう! キャットランを走りたい!」
「そんなものはありません」
サインを終えた帰路でミミがじゃれついてきたが、私は口をへの字に曲げて愛猫の提案を拒否した。
するとミミは、同じような顔をして「いつでもやれるぞ」と言わんばかりに私の腕に爪を突き立て、話を続けた。
「いーじゃん、遊ぼう! もうやる事ないでしょ?」
「いいや、まだまだ沢山残ってるのだ」
「えーっ!? それは猫より大事なの?」
「猫の為に大事なの!」
そう言い聞かせて帰宅した私は、自身で張り替える襖紙をネットで見繕った。
新品にできないのは残念だが、よく考えれば、ミミがいる以上、襖はいつかボロボロに破られる。
ならば既存の張替でスタートし、一度自身で張替を経験しておくのは悪い事ではない。
目が¥マークになっている私を見限り、ミミは妻に遊んでもらおうとしたが、彼女もペイントソフトで外壁の色のシミュレーションに勤しんでいて、取りつく島がない。
それに、我々のやるべき事は他にも残っている。
中村氏との打ち合わせは一か月ほど続くのだ。外壁、内壁、床、天井の各種素材や色合いを決めなくてはならない。
カタログを見せてもらいながら吟味する事になるが、事前に方針を固めておいた方が良いだろう。
他にも、廃品処理、草むしり、家具の見繕い、ご近所への挨拶回りの準備、工事の際の業者用駐車場確保等等、
我々でなくては進行させられない作業は沢山あるのだ。
「ちぇーっ。つまんない。ちぇーっ」
ミミはブツクサ言いながら、お気に入りのぬいぐるみを転がして一人遊びを始めた。
だが、よく耳を澄ましてみれば、呟き声は「おい子分!」だの「こっち来い!」だのといった内容に変わっている。
これは、ミミなりに新居での生活をシミュレーションしているのかもしれない。
加藤家揃ってリフォームモードに突入、といったところである。
「進んでいるなあ……」
私はポツリとそんな言葉を漏らし、口の端を上げて襖紙のチェックを続けた。
これまでの家が決まらなかった時期、特に年明けてからの三か月間を思えば、今は何もかもが加速して感じられる。
もう後は、走り続けるだけで憧れのマイホームに辿り着けるのだ。
私は妻とミミに負けぬよう、マウスをカチカチと鳴らし続けた。