十六話『リフォームリフォーム加藤泰幸』
不動産屋の仕事は、おそらく一般的には、売買が完了した時点で終わりなのだろう。
一方で、中古物件を購入した我々は、リフォームという新たな課題に取り組む必要がある。
門外漢な為に不安な課題だが、宅見氏は個人的な知人という事もあってか、これに関しても相談に乗ってくれる事となった。
もう仕事は終わっているのに、まったくもってありがたい話である。
相談日の当日、事前にリフォームの計画書を送付して宅見氏の自宅に向かうと、彼女は乗り気で計画書に同意してくれた。
「改めまして、おうちのご購入おめでとうございます。お送り頂きましたリフォームの計画書も拝見しましたが、良い案ですね。特に和室が面白くなりそうです」
「ほほう、やっぱりそうですか。そうでしょうなあ」
私はニコニコしながら頷いた。
その横で、妻は難しそうな表情をしており「調子に乗るな」と言わんばかりに私の脇を突いてきた。
ミミは、椅子の上で丸くなって寝ているだけだ。
「大きく分けて見ていくと、外壁の修繕は必須ですね。これは必要経費と考えた方が宜しいでしょう」
「うむうむ、そうですな」
「次に個々の壁、天井、床の修繕。これも全室対応予定との事ですが、予算が厳しい場合は優先度を付けても良いでしょう。例えば、一日のうち数秒しか通過しない二階廊下と、数時間を過ごすリビング。どちらが大事かは言うまでもありませんね」
「それは、そうですな」
「後は水回り……。一般的に優先順を付けるならば、トイレ、風呂、台所の順ですが……基本はノータッチなのですか。まあ、それも一案ではありますが」
「そこは……ぐへっ」
「どうしても予算が厳しそうなものでして」
私の言葉を、肘鉄で遮って宅見氏に返事をしたのは妻である。
実は、リフォームの予算感については、私と妻の間で少々考え方に違いが生じているのだ。
私の予想では、全て希望通りにリフォームしても経費は400万だ。誤差が生じても500万で済むだろう。
一方の妻は「安仁屋算ならぬ泰幸算」と、その予想をバッサリと切り捨てた。
全て対応すると貯金が尽きると考え、極力は予算を切り詰める方針で考えているのだ。
水回りをノータッチにしたのも妻の考えで、いずれも劣化はしているものの、使用不可能ではないという見込みなのだ。
だが、構わない。そこは妥協しよう。
私のリフォーム本丸は他にあるのだ。
「そして最後に和室。茶室仕様の改装に加えて、洒落た建具を設けるのですね。良いと思います。一つくらいはこだわりが欲しいですよね」
「まったくもってそのとおり!」
私はポンと膝を打って深く頷いた。
茶室仕様への改装は妻からも同意を取り付けているが、その際に欠かせないのが『炉』だ。
茶釜を温めるスペースの事で、一部の畳を切る事になっている。これは早期から妻に話をしていた為、説得は容易だった。
一方で難色を示されたのは『水屋』という、茶事の準備室である。
これは、水道工事が必要になる為に自粛したが、その代わりに建具の更新を取り付けたのだ。
我が家の和室は、八畳部屋と六畳部屋が続き間になっており、その間切り襖、縁側方面の障子、そして廊下から出入りする際の襖――
この三点を、意匠性の高いものにしようと目論んでいるのである。
きっと、風雅な茶室に仕上がるに違いない。
これでこそ、この家のコンセプトである『和のある生活』が成立するというものである。
「さて……この内容でしたら、大手の業者にお願いするのが良いと思います」
一通りの確認が終わると、宅見氏は用意していたかのようにそう切り出してきた。
だが、不動産購入においては、その大手でコケかけた我々である。
私は小さく首を傾げて、居住まいを正した。
「大手ですか……個人経営の方が、フットワークが軽くて良いのでは?」
「個人経営ですと、確かにフットワークは軽いかもしれません。
ですが、今回のような意匠性の高いリフォームを請け負った事がなく、理想通りの対応とならない場合もあります」
「なるほど……」
「その点、経験豊富な大手でしたら、的外れという事はありませんからね。
複数社に見積もりを取られても良いと思いますが、宜しければ、私から優良企業をご案内もできます。
見積内容が妥当かどうかの相談にも乗りますよ」
無論、望むところである。
妻を一瞥したが、彼女としても宅見氏の事は信頼しており、我々はその提案を受け入れた。
案内してもらったのは、市内のS社というリフォーム店で、宅見氏の事務所を出てすぐに来訪する事となった。
宅見氏が事前に電話してくれていた事もあり、K氏と中村氏という二人の女性が即座に応対してくれた。
ミーティングスペースの一つに通され、宅見氏に渡していた資料をそのまま提出すると、二人は概ね宅見氏と同じような反応を見せた。
ただ一点だけ、彼女達は宅見氏には無かった反応をも見せた。
「大まかなご希望は伺いましたが、これは300、400では厳しそうですね」
そう告げたのは我々より一回り程年長のK氏である。
実際に担当頂くのは、逆に一回り程若年である中村氏の方で、K氏は初回アドバイザー的な参加だった。
だが、中村氏もK氏の言葉に頷いている辺り、同じ懸念を持っているのだろう。
「無理……ですか?」
「そうですね。一旦全てを見積もってみますが、同時に優先度を付けて、現実的な見積もりもご提案しようと思います。
また、現地を確認させて頂いて、追加でご対応頂いた方が良い箇所が見つかるかもしれません。
それでご納得頂ければ契約し、細部を打ち合わせてリフォームに移りたいと考えておりますが、いかがでしょうか?」
「はい、それでお願いします」
また妻が私を制するように返答し、勝ち誇ったような横顔で私を見てきた。
まさか、泰幸算に綻びが生じるとは……屈辱以外の何物でもない。
よく考えれば、元ネタの安仁屋算も綻びだらけなのだが、とにかく屈辱である。
「ミミのおうち、いつできる?」
そんな私をよそに、ミミがS社の二人に珍しく質問する。
新居がいよいよ現実的になった事もあって、ミミも乗り気なのだろう。
「そうですねえ……内容を詰めつつの見積もりで約二週、細部の検討に一か月、その後で工事を開始して……四か月か、五か月くらい先でしょうか?」
K氏がミミの頭を撫でながら答えた。
「えー? そんなにかかるのか? 夏に引っ越せるかもってパパ言ってたのに」
「現実的には秋、ですねえ……」
「ママ、ミミ早く子分欲しいー!」
ミミが妻の膝に飛び乗って頭をグリグリと押し当て始めた。
ミミの為に、床は爪が立ちやすいものにしたり、壁紙は強度が高いものにしたりと苦労させられるのに、なんとワガママな猫だろうか。
私は「メッ!」と言わんばかりに、妻の膝にいるミミに向かって腕を掲げた。
それを爪とぎポールにでも見立てたのか、数秒後、私の腕には新しい傷が増える事となった。