十四話『マイホームブルー』
家を探し始めて約七か月、ようやく我々は終着駅に辿り着いた。
だが、それはあくまでも『家探し』の終着駅でしかない。
今回、購入を検討している家は、暫定でウッディハウスとでも呼ぼう。
キッチンにぶら下がっていたあのウッディは、購入後に神棚に飾る予定である。
さて、実際にウッディハウスに住むまでには、まだハードルが待ち受けており、
まず乗り越えるべきは、言うまでもなく『購入』であるが、
実は、その購入についても細分化できる。
まずは買付証明書の提出。
これは以前も説明したので、大体ご理解頂いているだろう。
物件価格を打診し、そして購入の意思証明をする為のものである。
そして次に、契約。
『契約』というと、これが最後の手続きのようにも感じられるが、そうではない。
物件に関するあらかたの説明を受け、納得いけば契約書に捺印するのだが、
捺印後に支払うのは、まだ頭金だけで、全額振り込みはもう少し先なのだ。
ご存じの通り、12月に購入しようとしていた4LDKの家は、
ここで付帯設備表が貰えなかった為に破談となったのだ。
今思い出しても口惜しいものだが、そのお陰でウッディに出会えたとポジティブに考えよう。
ちなみにあの家は、これを執筆している五月現在も売りに出ている。
さて、最後に待ち受けるのは決済である。
買い手、売り手、それぞれの不動産屋、そして役所手続きを進める弁理士、
それらが一堂に会して残金支払いの手続きを進める、クライマックスイベントだ。
何千万という額を動かす為、これは銀行の会議室を借りて実施するケースが多いらしい。この決済が終われば、実際に引っ越すのは先としても、私は取り急ぎ一国一城の主となるのだ。
◇
長々と説明したが、全体のうち40%ほどは既に経験済みなのだ。どうという事はない。ウッディハウス購入の意思を固めた我々は、早々に買付証明書を提出した。
そして、肝心の値下げ交渉なのだが……これはダメだった。
元々、この物件は土地相場よりも500万以上は安い。周辺の道が狭い為だろう。その上で、宅見氏が値引きの余地を探ってくれたが、元値が安い事もあって拒否されたのだ。
だが、これは想定内である。
私は「構わん構わん」と言わんばかりに、ふんぞり返って捺印した。
ちなみに、宅見氏の顧客で買付証明書を二度提出したのは、我々で三例目らしい。以前の二例は「契約前に別途良い物件を見つけたので破談にしたい」というケースだそうだ。
契約が済んでいない以上、不可能ではないが、不義理ではある。
この私のように、大樹のようにドッシリとした覚悟を持って挑むべきだ。
かくして、我々は契約へとコマを進める事となった。買付証明書の提出から数週間で、宅見氏が先方の了解を取り付け、契約準備を整えてくれたのだ。
契約当日、我々は宅見氏の事務所へ出向いて、物件の各種情報書類や、契約書の説明を2時間ほど受けた。これも、どうという事はない。難しい話も多かったが、妻が理解してくれているだろう、多分。
それに大きな欠点があれば、以前断念した家の時のように、宅見氏が指摘してくれる。こういう意味でも、宅見氏と組めたのは僥倖だった。間違いなくMVPは彼女である。
内容に納得した我々は捺印を終え、翌日、頭金を支払う事となった。
妻は、会社の昼休憩で長時間の外出が困難な環境なので、今回の支払いは私の役目である。
……だが、その時不思議な事が起こった。
一日でも早く家を手に入れたいと思っていたのに、
頭金支払いの当日になると、急に気分が重くなったのである。
「うーむ、うーむ、うーむ」
私は何度も唸りながら、昼休みに銀行へと向かった。
理由は、自分でも分かっている。
なにせ、これから我々の口座から百万円が消え、数週間後には一千云百万が消えるのだ。
もちろん資産が消えるわけではなく、家に置き換えられるワケだが、金銭が吹き飛ぶ事に変わりはない。
「うーむ、うーむ、うーむ」
なおも唸りながら銀行のATM前に並ぶ。
更には、心の中には角刈りの警官が現れ、幾度も「ワ、ワシの金がぁ~」と叫び、嘆いていた。
大樹のような覚悟なんか、一銭にもならぬ。
購入を断念しようかともチラッと考えた。本当にチラッとだ。
マリッジブルーならぬ、マイホームブルーという状況だが、しかしまあ、宅見氏の三例目になるわけにもいかない。それに、ローンを組まなくても良い我々の嘆きは、致命的という程でもない。
ああ、仕方がない。
買うしかないのだ。
「うーむ、うーむ……うむ……」
私は最後に小さく頷き、順番のやってきたATMで頭金を振込んだ。
その日のランチはストレス解消として、妻に隠れてこっそりと焼肉を食べた。
そうして腹が膨れていくうちに、当然と言えば当然なのだが、残すは決済だけなのだと思い至った。
長きに渡ったマイホーム購入計画も、いよいよ一区切りを迎えるのである。