十二話『今日からお前もファミリーだ』
宅見氏の見込みは見事に的中した。
いつだったか彼女が言っていた通り、住宅ローン減税が終了した十二月以降、新規の中古物件はとんと現れなくなったのである。
無論、私の調査が甘かったわけではない。
夜も眠らず昼寝して、物件情報サイトをポチポチ検索していたが、殆ど収穫はゼロ。
たまに追加されても、大体は予算3000万を軽く超える綺麗なおうち。いわゆる新古物件で、我々が求める住宅ではないのだ。
一月が経ち、二月が経ち、やがて我々の熱意も少しずつ薄れ始めた。
見るべき家がないので、宅見氏とも少しずつ疎遠となっている。
これは宜しくない。精神が腐る。
なんでもいいから、とにかく動かなくてはならない。
そう考えた二月末日。
私は半ば散歩のつもりで、本来は検討対象外である、福富地区の物件の外観を見に行く事にした。
ここで、福富について説明しておこう。
久々の更新だが、まだ福富については語っていないと記憶している。
福富地区とは、高屋地区よりも更に北部に位置する地区で、日本国で例えれば、東北に該当するだろうか。
牧場や巨大なダムがある牧歌的な地区で、これはこれで良いコンセプトなのだが、私や妻との職場からは遠く離れている。
通勤距離的な意味で、当初から対象外だったのだが……本当に見に行くものがないのだ。
我々は物件を見る前に、福富にある道の駅のレストランで昼食を取る事にした。
まだ二月とはいえ日差しは温かく、隣接する広場には、子連れの家族が多数押し寄せている。もうすぐ春なのだ。
春一番を堪能しつつ道の駅へと入る。
すると、残念ながら、レストランは管理者変更に伴う休業状態となっていた。
外にはキッチンカーが来ていたので、私と妻とミミは、そこに並んでカレーを購入する事にした。
「親父。カレーを三つ頂けないか。一つは猫用にして欲しい」
「猫用はないよ」
初老の店員が困り顔で肩を竦める。
「ではちゅーるにして欲しい」
そう言ったのは私ではなく、ミミだった。
私は眉をしかめてミミを叱りつけようとしたが、
その前に店員が「ちゅーるならあるよ」と口を挟んだので、
やむなく、我々はちゅーるとカレーを購入する事にした。
「親父。最近は温かくなって客足も伸び、儲かっているのではないか?」
調理を待つ間、広場で遊ぶ人々を眺めながら親父に声を掛ける。
「いやあ、ここに出店したのは今日が初めて何で、なんとも……」
「そうなのか。しかしレストランが休業しているので、我々としては助かるな」
「やっぱりそうですか。この辺りは飲食店が少ないし、来てみたんですよ」
その後、できあがったカレーをベンチに腰掛けて食べる。大変美味だった。
腹も膨れた我々は、そこから五分程車を走らせ、目的地である小高い山の麓に辿り着いた。
そこにあるのは築70年にも迫る古い木造建築だ。
石州瓦の二階建てで、5DKと非常に広いが、殆どの部屋に敷居がない。
よって、一階と二階、それぞれが大広間になっているような造りだ。
この造りの家は、稀に山中の農村で見かける。古き良き農家といったところである。
「パパ、これはなんだ?」
現地に辿り着いた早々、ミミ玄関前の木製看板に目を付けた。
それは『レザークラフト』と記された看板だった。
更には、家を一瞥してみれば、洒落た薪置き場やウッドデッキも付いており、どうやらただの農家跡ではない。
おそらく、当初は農家だったのを、一度誰かが買い取ってレザークラフトショップに作り変えたのだろう。
しかし、何かしらの理由があって手放し、現状に至ると見た。
何かしらの理由……大方の察しは付く。ここでは集客に苦労し、儲からなかったのだろう。
カレー屋の親父が言っていたとおり、商業施設が少ないのがそれを裏付けている。
「どうやら店跡のようだ。ここでの商売は大変だったのだろうな」
「でも、仮にここに住むとしたら、今の職場は遠いから転職しなきゃダメよ。
レザークラフトじゃなくても良いけれど、何か仕事を見つけなきゃね」
妻が、どこか淡々とした口調で呟いた。
乗り気じゃないというよりも、最初から選択肢にない為、完全に仮定モードなのだろう。
それも一興である。私も、ここに住むつもりで対応を考えてみる事にした。
「ふむ……やはりすぐに思い当たるのは、飲食店や商店だろうか」
「パパ、駄菓子屋やろう! すぐ近くに小学校があるじゃん!」
そう口を挟んだのはミミだった。
確かに、家に隣接した坂道を上がったすぐ傍には小学校らしき建物がある。
「ダメダメ。駄菓子屋は客が小粒で儲からないのだ。猫は何も知らないのだな」
「なーんだ」
「それより、ここを通る小学生や教員から通行料をせしめるのはどうだろうか。
子供は一往復100円で勘弁してやる。でも大人は10000円だ。
学生100人に教師20人と仮定すれば、月収20万以上だ。ヌハハ」
フィクションではない。本当にそう提案した。
だが、そこに待ち受けていたのは、スマホを弄りながら話を聞いていた妻の辛辣な一言だった。
「あの小学校は、もう廃校になっているらしいわよ」
「なにっ」
「あと、道まで買うわけじゃないから通行料とか取れないわよ」
「なにっ」
そんなわけで『通行料で左団扇計画』は頓挫してしまった。
もっとも、仮に収入面がクリアできても、この物件にはもう一つ大きな特徴がある。
実は、家の裏にある小高い山がセットで付いてくるようで、管理には苦労する事だろう。
田舎暮らしも、楽ではないのである。
しかしながら、このチェックが引き金となったかのように、
三月に入ると、新しい物件の情報が雪崩のように飛び込んできた。
その中には、茶室にするにはもってこいの和室付き物件もある。
私は久々に宅見氏に連絡を取り、内覧のアポを取り付けたついでに、物件ラッシュについて尋ねてみた。
すると、どうやら転居シーズンに突入した為に、大量の物件が市場に出回るようになったらしい。
雌伏の時を経て、ようやく終の棲家が見つかるかもしれない。
我々二人と一匹は、満を持して内覧へと向かった。
この日は宅見氏の他にも、家主側の不動産屋が同伴していた。
高身長のスポーツマン風で、年は同年代だろうか。この場にいる者の中では、私の次に爽やかな男だった。
「この家ですが、実は少々ダメージがありまして」
スポーツマンは開口一番、申し訳なさそうにそう状況を告げてきた。
実は、我々もそれは承知している。
今回の物件は、先方による大幅リフォームを予定しており、その終了後に引き渡してもらえるのだ。
なので、本来であればリフォーム後に内覧すればいいのだが、私達はあえて現状を見せてもらう事にした。
家の裏には小川が流れており、少々湿気が気になる物件なので、長らく住む事でどのようなダメージが生じるのかを見たかったのだ。
「構わないから、開けて頂こうか」
「では、どうぞ中へ」
スポーツマンに案内されて屋内に入り……私は言葉を失った。
床という床が、湿気が楽る白カビで覆われていた。
そしてその上には、エアコン穴から入ったと思わしきハチやカメムシの死骸が散乱していたのだ。
和室では、謎の草が床下から伸びている。
唖然としながらもスポーツマンに状況を尋ねると、
なんでも基礎がコンクリートではない為に、湿気のダメージが床下からやってきて、このような状況になっているらしい。
「ふむ、湿気か……。これは、何年ほど放置さていたんでしょうかね?」
「二年ほどのようです」
絶対に情報の行き違いだ。少なくとも五年は放置されたような荒れ具合だ。
私は目を白黒させながらも、彼に案内されてリビングへと進んだ。
リビングは更にダメージが激しく、床はたわんでおり、奥にある裏口扉には黒カビが激しく繁殖していた。
和室とは違って光を覆う障子はないが、それでも外の林が日光を遮っており、部屋は薄暗い。
私の耳元で「ヴァイオ、ハザ~~ド」と誰かが囁いた気がする。
この裏口の状況は、まさしくバイオハザード7のベイカー家そのものだった。
遊びながら「あんな黒ずんだ家があるか。演出だよな」と思っていたが、そうではないのだ。
家は手入れをしなければ、ベイカー家と化してしまうのだ。
「今日からお前もファミリーだ!」
不意に、ミミがスズメバチの死骸に飛びつこうとした。
それで我に返った私は、慌ててミミを抱きかかえた。
「これミミ、やめなさい」
「やだ、遊ぶ! 虫と遊ぶ!」
「いてぇっ!!」
抱きかかえた私の腕に、ミミの歯が突き立てられた。
私は苦痛に顔をゆがめながらも妻へミミを渡し、涙目になって宅見氏に見解を求める視線を送った。
宅見氏も、このような状態を目にする機会は少ないのか驚いた様子だったが、
私の視線に気が付くと、じっくりと言葉を選ぶようにして口を開いた。
「この状況は凄いですが……リフォーム予定ですので、家は問題なく綺麗になると思います」
「なるほど。しかし……」
「気になるのは住んだ後ですよね。
床下に乾燥機を置いて常時回せば、湿気は大分緩和されますから、短期間でここまで荒れる事は無いかと思います。
後は、日々の草刈りなり、害虫対策なり、他の家よりもデリケートな対策は求められるでしょう。
ですが、それを乗り越えれば住めるおうちではあります」
――その後、二階の内覧も終えたが、大体同じような状況だった。
我々は、のちに回答する旨を伝えて、宅見氏やスポーツマンと別れて帰路についた。
だが、虫とたわむれかけたミミを見た時点で、二人の答えは決まっていた。
なるほど、確かに住もうと思えば住める家だが、怖いのはミミへの影響である。
我々が万事を尽くしても、虫が入ってくる可能性はある。
そんな時、箱入り息子であるミミは何の警戒心も持たずに接近し……そしてハチやらの強烈な一撃を貰うだろう。
それだけは、避けねばならないのだ。
「なぁに、転居シーズンになって家も増える。これからだ」
私は自分自身を激励するかのようにそう告げてアクセルを踏んだ。
その予感は的中しており、翌日、妻が希望する平屋物件が見つかったが、これは内覧する暇もなく、他者が瞬殺契約してしまった。
家も増えれば、皆も活動的になる。我々の家探しは、第二幕も容易ではないようだった。