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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 7
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スエン 二十七 ー 4 ー

女という生き物は、弱くて柔らかくて甘い、けれど強かで、男が守ってやらないといけない繊細なものだ。

抱きしめたら折れそうな程細い腰。

手に吸い付く柔らかな肌。

鼻孔をくすぐる甘い香りに誘われ、女性の芯の強さを見せられたのは片手では足りない。

色香を武器に生きる、これが女というものだと思っていた。

けれど、リンという女は今までの女とは違う。

剣を振り回し、果敢に荒くれ者へと立ち向かっていく。しかも腕が立つ。

それでいて、時折見せる女の強さも持ち合わせている。

男の助け等必要としていないとムキになる様は放っておけない危なっかしさがあった。

手を出して引っ掻かれると思ったら礼を言う素直さに驚かされる。

凛とした気高さも、親しみやすい素顔も、見せようとしない弱さも、堪らなく惹かれた。


いとしい、という感情を初めて抱いた女だった。






「あと少しかぁ。早くジウに会いたいー」

「お前そればっかだな」


賊に追われて山に入り、一つの村に行き着いた。

神殿に干渉されていない不思議な村で神官と同じ色彩と能力を持つ男に出会った。

そして、その男の妻は魔憑きだった。

夫が作った神官の炎を飲むことで自我を保っていた。

人の魔憑きというものを初めて見た。

都付近ではよく出るらしいが、大陸の南を拠点にしていた為、お目にかかったことはない。

厳密には二度目だが、暗くてよく見えなかった上、リンによって討伐済みだった。

あれを基準にするならば、夫人は異常だった。

結局、人を害する衝動を抑えられなくなり、リンに斬られたが。


リャンによると、魔が人に入り込むと徐々に精神を蝕まれるらしい。

長ければ長いだけ、濃ければ濃いだけ、魔の侵食は早く深くなる。

リンが港町まで流されて三年。

魔に食われるとしたら流されている時しかない。

流れ着いてから今日まで、魔の力の片鱗は見せても、衝動的に人を襲うことも理性をなくしたこともなかった。

リンは神官から賜った剣のおかげというけれど、それだけとは思えない。


やっとのことで山を下り、元の道より西側の街道に出ることが出来た。

追っ手もなく、しばらく街道沿いに次の町を目指して歩いていたところ、南から北へ行く隊商に声をかけられ、町まで一緒することになった。

はじめは警戒したが、所以のない真っ当な商人たちだった為、剣の腕を見込まれたこともあり、護衛として雇われる形を取った。

おかげで引き止められることもなく町に入れた。


「もう一年近く顔見てないんだぞ。ジウはすっげーかわいいから他の男に言い寄られてないか心配で心配で」

「そんなに良い女なのか」

「おうよ! 邑一番清楚で可憐でめちゃくちゃかわいい上に、気立てが良くて気遣いが出来る、俺には勿体ないくらいの良い女だよ」


リャンが鼻息荒く恋人の美点を上げていく。

恋人の欲目で言っているのかと思ったが、リンも彼女をとても良い子で可愛いと賞賛するので本当なのだろう。

邑に着いたら是非拝ませてもらいたい。


「帰ったら絶対結婚するわ。もう待てない」

「他の男に取られてねぇといいな」


実のところ二十を越えていて未婚の男女は、世間的には行き遅れとされている。

適齢期は十代半ば。十八で恋人もいなければ周りから心配されてしまう。

二十二になるリャンが恋人がいて未婚なのは、主である神官が未婚だから。

彼に遠慮して婚儀を遅らせている。

リャンの言い分に納得し、待っていてくれる彼女は確かに良い女だ。

憂いなく彼女と結婚する為にもリンを連れて帰りたい、というのはリャンの言い分である。


宿の廊下で二人の男が喋りながら時間を潰している。

借りた部屋は女性であるリンが一人で着替えに使っている。

一緒に使ってもリンは気にしないし今更のことなのだが、スエンの倫理観では良くないことだった。

とはいえ、壁一枚向こうが気になって仕方がない。

リャンとの会話で気を紛らわせる他なかった。


「何度も聞くけどさぁ」

「あん?」

「リンの何所が女に見えるわけ?」


道中何度か同じ質問をされた。

その度、男にしか見えないやら、絶壁やら、ソッチの趣味かと散々揶揄われたものだ。

兄弟の様に育ったリャンとは違い、スエンにとってリンは初めから女だった。

格好によって男にも見えなくないが、胸のふくらみがささやかだろうと言葉遣いが悪かろうと、リンは間違いなく女だ。


「おまえにかわいい恋人がいて良かったぜ。リンの良さに気づいちまう」

「はあ? 俺のが付き合い長いから。あいつがやらかしたこと全部知ってんだぞこっちは」

「ふーん。たとえば?」

「んーとぉ。旦那亡くしたばっかの未亡人を霊祭で介抱して惚れられた、とかぁ。鹿の魔憑きに襲われそうだった娘さんを身を呈して庇ってお礼と言いながら言い寄られてた、とかぁ」

「誰が良い男の話をしろっつった」

「そんな調子で女の子落とす所為で邑の若い男の大半が独り身とかぁ」

「何だその可哀想な邑の未婚事情」


本当か嘘か。嘘だとしてもリンならやっていそうな話だ。

そんな所もスエンが知っている女とは違う面である。


「リーは女にもててたけど、慕ってる男も多いんだぞ」

「……へえー」

「女として帰ったら、男たちが放っておくかなぁ?」

「…………」

「それ以前に、クロウ様が離さないだろうけどさぁ」

「…………何が言いたい」


リャンがにまっと意地の悪い笑みを浮かべる。


「攫うなら今しかないぞって言いたいだけ」

「主の為につれて帰るんだろ」

「そうなんだけどさぁ」


調子は軽いがいつものような軽薄さがない。

リャンは壁に背中を預け、ずるずるとしゃがみ込む。

片手で頭を掻き、スエンに顔を背けた。


「スエンがイイヤツだから、兄貴としてリーを任せてもいいかなぁ、って思ったりしてる」

「……リャン」

「つってもぉ? リーもクロウ様んトコ帰りたがってんだから無理なんだけどさ!」


リャンこそ良い奴だ、と感動した所にこれだ。そんなオチはいらない。

緩い顔から一変、寂しげに目を細めた。


「邑に着いたら軟禁まがいにリーは神殿に囲われる」


聞いた話だけでも神官のリーへの執着は凄まじい。

少なくとも一人で出歩かないよう配慮はする筈だ。

行動的なリンが良しとする訳ないが、神官を言葉なら従う他ない。

二人を良く知るリャンが断言するなら、リンが神殿から出られなくなるのも本当なのだろう。


「だから、ふられるなら今しかねーぞってこと」

「ふられるって決めつけんな」

「はははっ。あー、腹減ったなぁ」


勢いよく立ち上がり、大きく伸びをした。

刻は昼過ぎ。朝から水以外何も口にしていない。

確かに腹が減っている。


「ちょっと食いもん買ってくるわ」

「おい待て」

「そーねぇ。町をぐるっと回って美味そうな店吟味してぇ。あ、商人さんたちにおすすめ聞きがてらお礼言ってこようかなぁ」


スエンの制止を聞かず、階段を下りていってしまった。

言外に、時間をやるから身の振り方を今決めろ、と言われている。


リンの傍にいる為に旅に付き添った。

リンが神官を想っているのも、身の内に宿す魔に怯えているのも知っている。

自分の想いが報われなくてもリンの願いが叶えばいい。

一緒にいるのは自己満足でしかないのだ。

旅が終われば、縁は切れる。

食堂で働く看板娘でも、剣を片手に戦う旅人でもなくなる。

友人と呼んでくれるかもしれないが、欲しいものは違う。

報われたいわけではない。けれど、求めてしまう。

ふいに部屋の扉が開いて、リンがひょっこり顔を出す。

泥で汚れた顔が綺麗になっていた。


「もういいのか?」

「うん。リャンは?」

「食いもんの調達」

「それは大事だな」


姿が見えない兄貴分の外出理由に力強く頷く。

話し合え、と言われても心は決まっている。

役所を辞めた時にとっくに覚悟はしていた。

故郷に帰ってもう会えないかもしれないと家族に挨拶もした。

血のつながった家族や役職よりリンを選ぶ、と。


まずは着替え、と部屋に入る。

寝台は二つ。いつものように二つを合わせて三人で雑魚寝だ。

荷物の中から着替えを取り出していた時、リンが部屋から出ようとしているのが見えた。

咄嗟にうしろから腕を掴む。

振り返ったリンと目が合った。


「いろよ、ここに」

「…………うん」


否定されなかったことに安堵し、手を離す。

荷物が置かれた奥の寝台の前に立つ。

汚れた衣服を脱ぎ、宿で貰った湯が入った桶に布を沈める。

いくらか冷めていて手を浸しても火傷はしない。

一応羞恥心を持ち合わせている為、リンに背を向けている。

リンもこちらを見ないよう、扉に近い寝台の端にちょこんと腰を下ろしていた。

湯を含んだ布を絞って体を拭く。

いつもやっていることなのに、リンと二人きりだと意識すると緊張した。

何から話していいのか思案を巡らす。


「さっきリャンが言ってたんだが。邑まであと少しなんだってな」

「そうだな。あと一月ちょっと位だと思う」


他愛もない話でリンの意識をこちらに向ける。

日頃から散々女扱いをしているのだ。異性と思ってくれなければ困る。

ただの友人では、いたくないのだから。


「前にさ……」

「うん」

「帰るのが怖いって、言ってたろ」

「……うん」


帰りたくないのではなく、帰れない……帰るのが怖いと言っていた。

怒られるとか嫌われたとか、リンに向けられる悪感情からではない。

リンに憑いている魔が人を傷つけないか。

その一点のみ、気に病んでいる。


「まだ怖いか?」

「怖いよ」


宿の外は賑やかだ。

外は露店が並び、行き交う人に声をかけ、懸命に商品を売り込んでいる。

その喧噪に紛れそうなほど、リンの声は小さかった。


「魔憑きのくせに、クロウに会っていいのか……怖い」


リンは寝台の上で膝を抱えて小さく踞った。

魔が見せる怖い夢は一度や二度ではない。

徐々に明確に、真実みを増して、先日は感触まであったという。

このままでは心を壊し、魔に染まりきるのではないかと、リン自身が怯えていた。

ギリギリの所で精神を保っている。


「だったら、俺の故郷に来ないか」


弱っているリンにこんなことを言うのは卑怯だとわかっている。

主である神官を異性として愛していることも。

それでもリンが欲しいという気持ちは変えられない。


「俺と結婚してくれ」


リンの正面へ行き、跪いた。

これまでもそれとなく想いを伝えようとしたことがある。

その度にのらりくらりとはぐらかされ続けた。

この気持ちは一時的な気の迷いだと、否定し続けられていた。

スエンの熱は気の迷いなのではない。

もうずっとリンだけを想っている。

どんな姿を見せられても、気持ちが褪せることはなかった。

そうでなければ、危険とわかっている地に等ついていくものか。

じっと目を合わせて、逸らすことを許さない。

スエンの真剣さが伝わったのか、リンの頬が赤く染まる。

ずっと近くでいろんな表情を見てきたが、この顔は初めてだな、と頭の片隅に浮かんだ。


「俺は……」


何か言い淀んで口を噤む。

引き結んだ口元から溢れる言葉はきっと拒絶。

黒い瞳が揺れている。

それなりに動揺させられたようだ。

どんな答えが返ってきたとしても、失望などしない自信がある。

酔狂だと言われても受け入れられる。

やがて意を決したように、リンは顔を引き締めた。

ゆっくり瞬きをして、微笑んだ。


「いいよ」

【注意】会話でリャンがリンを「リー」と言っていますが、誤字ではありません。

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