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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 7
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リン 二十 ー 34 ー

「よかったのか?」


隣を歩くスエンの視線を感じる。

リンは何事もなかったかの様に前を向いて歩いた。

否、隣を見れなかった。

傾斜が厳しい山道だからではない。

自分を心配するスエンの目が見ることが出来なかった。


「いいのいいの。あっちはあっちの事情があるし、こっちも先を急ぐ身なんだから」

「おまえは軽すぎだ」


リャンが努めて明るい声で頷いた。

スエンが背後を振り返る。

既に見えなくなった村を。




山間にある湖の畔にあった集落。

そこで出会った神官と魔憑きの夫婦は、自分たちを虐げる村人の子供を攫っていた。

魔憑きであるシャラの単独犯だろう。

だが、シウマはおそらく知っていた筈だ。

シャラを隠そうとしていたのだから。

負の感情を糧とする魔憑きがこれ以上暴走する前に止めなくてはいけない。

リンたちには命を奪うことでしか、魔憑きを止められなかった。

修復能力の高い魔憑きを倒すのは首を落とす他、方法は確立されていない。

シウマの制止を振り切ってシャラをーーーー。

その後、騒ぎに気づき始めた村人に目撃されるより先に集落をあとにした。

だから、その場に置いてきたシウマがどうなったかは知らない。


魔憑き退治は、旅の途中で訪れた村でもやっていた。

その間、人に憑いた魔憑きは出会っていない。

シャラが初めてだ。

邑では度々あったので、人を害する魔憑きを葬るのに躊躇いはない。

そうしなければ被害はもっと大きくなってしまう。

大事な者を守る為には必要なことだ。


深夜にシャラが家を出て行くことに気づいてあとをつけた。

腕には赤ん坊。いなくなった村人が子供だろう。

魔は闇に属するもの。

陽の出ている昼間より、隠れている夜の方が力を発揮する。

だから魔憑きの動きが活発になるのは夜だ。

いくら神官の炎を飲んで自我を保てていても、人を襲うことを覚えた魔憑きはもう戻れない。

衝動のままに人を殺し続ける。

シャラはもう、戻れなかったのだ。


「リン?」


スエンがリンの顔を覗き込む。

つい顔を背けた。

見られたくない。


「……今更だ」

「そうか」


それ以上、スエンは何も言わなかった。

きっと、酷い顔をしていただろうに。


リンもいずれ、ああなるのだ。

シャラの様に衝動で人を襲うことになる。

手にかけるのは、主であるクロウ。

リンにとって絶望だ。何よりも堪え難い。

その時こそリンは心を壊して魔憑きに染まりきる。


ぞくりと背筋に寒気が走った。

想像しただけで目の前が真っ暗になる。

何度も考えた。

魔がクロウを殺せと囁く度、自ら命を絶とうとした。

しかし、魔は許さずリンを生かす。

せめてクロウと袂を分かち、新たな土地で暮らそうとした。

それも魔は許してくれない。

毎日毎晩クロウを求めるよう心を乱す。

クロウを渇望する心は魔が作ったものではない。他でもないリンの本心だ。

魔に作られたものではない、筈だ。

記憶も思い出も与えられたものすべてまやかしではなく現実で、何より大切で命をかけて忠誠を誓ったのも本心で、自覚して流した涙も触れた熱に一喜一憂した想いも本物だ。

だから迷っている。

自分とクロウを天秤にかけて答えは決まっている。

釣り合う未来等ないのもわかっている。

それでも、一目逢いたいのだ。


魔の衝動を抑えられないのなら、せめてクロウの手で終わらせてほしいと願ってしまう。

自分が何よりクロウを傷つける者だとしても。


「……もし、俺が、魔に飲まれた時は」


クロウに逢うより先に、

邑に着く前に、

見知らぬ誰かを、

リャンとスエンを殺そうとしたら、

トクトクと血が通るこの首を、


「斬ってくれ。恨み言なんて言わないからさ」


スエンの表情が凍る。

魔憑きを止める唯一の方法を、簡単に口にされ、絶句した。


「当たり前だろぉ。要らん心配してんな」

「頼んだ」


やはり軽い調子で頷くリャンに苦笑で返した。

リャンは心配していない。

子供の時から一緒に訓練し、邑で共に魔と戦ってきた。

リャンは平時のリンより強い。

危機に遭った時は何度も助けられた。

信頼している。

間違いなく、一欠片の躊躇も見せず、リンの首を落とす。

ちらりと横目でスエンを見る。

硬い表情のまま口を引き結んでいる。


「今すぐってわけじゃねーんだろ?」


スエンが纏う空気が重い今、リャンのあっけらかんとした軽薄さに救われる。

まったくの考えなしではないが、不意の間の悪さからの失言にクロウやチェンが何度気を揉んだことか。

しかも本人に悪気も気負いも他意もないので余計に質が悪い。

尤も、揶揄う目的の茶目っ気も持ち合わせているので、容赦なく拳を落とされるが。


「そりゃまあ、今の所大丈夫だけどさ」

「昨夜のことで心配になっちゃったのはわかるけど、あんまり思い詰めんなよぉ。ずっと気ぃ張っておまえの監視すんのも疲れちゃうからさぁ。な!」


にっと笑ってスエンの肩に腕をまわす。

スエンは鬱陶しいと言わんばかりに払い除けた。


「なんでお前はそう軽いんだ」

「もっと単純に考えよーぜぇ。例え親兄弟が魔憑きになっても、魔憑きは魔憑き。人を襲う前に退治する。簡単だろ?」

「簡単、じゃ……ねぇだろ。それが、お前の恋人でも言えるのかよ」

「勿論、俺がる。誰にも触らせない。あいつの命、全部俺が背負う」


調子とは裏腹に言葉に込められた想いは重い。

どれだけリャンが婚約者を溺愛しているか知っているつもりだった。

離れていてもなお積もる愛情に切なささえ感じる。


「スエンに斬れとは言わねぇよ。でも、危ないと思ったらちゃんと逃げて……」

「逃げねぇよ」


スエンは強い口調で言い切った。


「俺だって兵役していたんだぜ。ちゃんと向き合うさ」

「でも……」


ーー罪のない人を斬ったことないんだろう。

スエンに伝えるのは、兵士であった彼を否定するようで、口を噤む。


「なんだ?」

「大丈夫なら、いい……」


赴任していた港町は、住人や船員の喧嘩は多いが、血を流す事件性は低かった。

二年住んでいて、なんて平和なのだろう、と感心したくらいだ。

魔憑きが出ても片手程の小動物。

いくら訓練を積んだ兵士も、人の命を奪うことに躊躇する。

奪って、悩んで、後悔し、心を病むのだ。

それが知り合いなら、親しく付き合っている間柄なら、心を許した友人なら。

リンだって、初めてよく知った顔を斬った日は眠れなかった。

朝までクロウに慰められ、大声で泣いた。

今だって自分に言い訳して心を鈍感にしないと平静を保てない。

鬱とした暗い心は魔の餌になる。

クロウに逢うまで、心を食わせるわけにはいかない。

すべてが終わるまでは。






結局、山を下りるまで半月かかった。

低いが広く、時には高低差が激しい渓谷があり、何度も進んでは引き返し、方向感覚が狂いながら下る方へ向かっていたら、主要都市とつながる街道に出た。

山を下りるまで、何匹か動物の魔憑きが出て、人里に下りる前に討伐した。

上って来た道より険しかったけれど、渓流があり水は常に確保できたので、然程危機感もなく進行できたのが僥倖だ。

シャラからもらった地図があったおかげもある。

街道で通りがかった隊商と共に、近くの村に入った。


旅をはじめて八ヶ月程経った。

西に行くにつれ、魔憑きの数が増えた気がする。


魔が住む地が大陸には三つある。

邑を取り囲むように広がっている西の森。

都より東側に打ち捨てられた廃墟の町があり、中心に建っている神殿が魔の巣と言われている。都の放置街の被害者はそこに住む魔から逃げてきた者たちだ。

もう一つは大陸の北側。北は民族性の違いから神殿と敵対関係にあり、長く知られなかったが、二十年程前にあった戦争で場所と魔の存在を確認されている。

その中で最も古く広大なのは西の森だ。

森の最西にある半島が、魔の侵食を逃れられている。

数百年前に人が住んでいた記録があり、魔と関係がありそうだとリオンが移住を決めた場所だ。

魔は定期的に人を襲うが、西の森は頻度が高い。

人だけではなく動物に憑いてまで人を襲う。

北はわからないが、東の地はあくまで人に憑いて人を襲っていた。

リンの母親もそう。人から人へ感染し、魔に侵されていった。


隊商とわかれ、宿を取る。

久しぶりの宿だ。

シウマの家を出てから山の中を彷徨っていた際、一番厄介だと思ったのが、虫だった。

森に住む虫の多くが毒を持っており、爪の先くらいの大きさと言えど大の男を卒倒させる危険な毒もある。

常に気を配っても小さいので見失いやすく、羽根があるものは飛んで身を隠し、突然意表をついた場所から出現する。

眠りが浅くなるのも当然だった。

人里に出る虫は、山中より格段に安全だ。

おそらく旅を振り返って、一番身の危険を感じたものは、と聞かれたら、山に住む虫と答える。

実際、羽根の生えた虫に刺されたリャンが苦々しく語るだろう。

そんな厄介な生物を気にせず、毛布に包まって眠れる。なんと幸せなことか。

取った宿は一部屋。いつもの婚約者と護衛の三人という設定で借りる。

小さな寝台でも二つを寄せれば三人で雑魚寝ができる。恥じらい等既にない。

初めはギャーギャー騒いでいたスエンも、野宿を挟むと何も言わなくなった。

宿の入口で湯と桶を貰う。顔や足を洗う為のものだ。

山を下りてから久しく水浴びをしていない。

先に使えというので、リンは一人荷を解いて衣類を脱ぎ捨てた。

湯に布を浸し体を拭う。それだけでもさっぱりする。

待っている男たちの為にささっと身支度をして戸を開いた。


「もういいのか?」

「うん。リャンは?」


いたのはスエンだけだった。

壁にもたれて腕を組んでいる。

槍の使い手がぼーっと立っているだけでも迫力がある。

出会った時から存在感があったが、旅をしている今のが筋肉が増して逞しくなったと思う。


「食いもんの調達」

「それは大事だな」


ゆったりと壁から背を離したスエンを部屋に招き入れる。

使った湯を片付けがてら、リャンを追って宿を出ようとした。

うしろからスエンに腕を掴まれた。

忘れ物かと振り返る。

スエンと目が合った。


「いろよ、ここに」

「…………うん」


ちょこんと寝台の端に腰を下ろす。

寝台の反対側でスエンが着ていた衣を脱ぎ、清式をはじめる。

今更異性の体を見た所で何とも思わないが、何故か緊張した。

スエンの目の所為だ。

何か言いたげで、熱がこもった黒い目がリンを射抜いた。


「さっきリャンが言ってたんだが。邑まであと少しなんだってな」

「そうだな。あと一月ちょっと位だと思う」


一緒になった隊商によると、リンが知っている邑に一番近い集落まで人の足で約一月。

そこから二日歩いて魔の森に入り、何もなければ目的地に着く。

魔の森に入って何もないわけがない。高確率で魔に襲われる。

更にリンの内に潜む魔が何をするかわからない。

この旅最高の慎重さで動く必要があった。


「前にさ……」

「うん」

「帰るのが怖いって、言ってたろ」

「……うん」

「まだ怖いか?」


スエンの声に揶揄う色はない。

心配とも違う。

ただ真面目に問われていた。

知り合った直後ならはぐらかしていただろう。

けれど、数ヶ月ずっと共にいた。心から信頼して助け合ってきた。

だから、素直に答える。


「怖いよ」


今更帰って、居場所がないからではない。

許されないかもしれないからではない。


「魔憑きのくせに、クロウに会っていいのか……怖い」


魔が見せる幻の通りになってしまわないか。

人を斬って手を汚したその血がクロウのものではないか。

想像しただけで不安で、恐ろしくて、しかたがない。


「だったら、俺の故郷に来ないか」


いつの間にかスエンが正面にいた。

リンの前に跪き、じっと目を合わせてくる。

真摯な眼から逸らせない。


「俺と結婚してくれ」

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