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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 7
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リン 二十 ー 32 ー

※人種的差別を含む表現があります。不快な思いをさせますが、物語上やむを得ない表現ですのでご了承ください。

明け方からしとしとと地面を濡らしていた雨粒が次第に大きくなり、屋根を破壊せんとする程の質量で湖周辺の空を覆った。

動こうにも一歩外に出ただけでずぶ濡れになってしまう。

家の外に放置していた桶は雨水が溢れている。

大雨の前では、森の動物たちも静かに身を潜めている。

ゴロゴロと空が唸っている所為だろう。

やがて、黒い雲が連れてきた雷が湖上で光った。


湖の畔にひっそりと存在する村の一軒から女性が悲鳴を上げる。

しかし、それは雨によって誰にも届かず消えた。

気が動転した女性は視界を塞ぐような雨の中、村長宅へ駆け込んだ。

頭から水を被り、足元は泥塗れの彼女を村長は出迎え、落ち着く様に椅子に座らせる。

それでも彼女から焦りの色が消えない。

気遣う村長に掴みかかり、雨だか涙かわからない程濡れた顔をぐしゃぐしゃにして、懇願する様に叫んだ。


「うちの子が、何所にもいないの! 眠る前はいたのよ!? まだ二つになる前なのにこの雨の中で歩く筈がないわ。ねえ、何所へ行ったの!?」


大声で泣き出した彼女の肩を村長は皺が刻まれた手で抱きしめた。






一枚板で出来た卓を五人で囲むとやや狭い。

元々二人暮らしの為に設えたものだ、無理もない。

雨空から光は漏れることなく、薄暗い室内で一つの油皿が唯一の明かりだった。

橙色の火が卓の上でゆらゆらと揺れる。


「私は、外の生まれで、六年前に住んでいた村が魔憑きによって壊滅状態になりました。私を始め、生き延びた村人たちは魔憑きから逃れ、なんとか生きられる場所を探して山に入りました」


ぽつりぽつりとシャラが昔を語る。


「何故山に? 神官に助けを求めるなら街道沿いを行けばいい」

「そう言う人もいました。でも走れる若手衆は少なく、残ったのは子供や老人。伝手もなく神官様のいる遠い町へ向かうには無謀でした。なら、まだ食料がある山に入った方が、と」


結局、町に行かなかったことを後悔した。

山に入って一月もしないうちに、シャラは一人になった。

体力のない老人は諦め、知らない野草を食べた子供は息を止め、足を滑らせて崖から落ち、待ち構えていた獣に襲われた。

逃げて逃げて、山一つ越えられたのはシャラだけだった。


「本当に、夫と出会えたのは奇跡でした。けれど、犠牲にしたものがあまりに大きくて……」


シャラの眦に涙が浮かぶ。

記憶を遡るのは辛いだろう。


「シャラに出会って、私が普通の人間ではないと知りました。髪が赤いのも、念じれば火が出せることも、神官だからと聞いて。知った所でこの村では無意味ですけどね」


シウマは自嘲気味に苦笑を零す。

ただの人がいきなり神官になるわけがない。

神官の血は特別だ。

脈々と受け継がれている、魔に抵抗しうる唯一の血族。

おそらく、彼の先祖が神官で、血族に暫く神官の能力者が現れなかった。

今代で漸く生まれた神官の能力者は、都の権力とは無縁な秘境の地で生まれた。

祖父の代で移り住んだと言っていたが、都にいられなくなった家名持ちが逃げ延び辿り着いたのだろう。

神官になれなかった者たちは、生母の実家預かりになることが殆どで、神殿に召し上げられることはもうない。

そういった者は混血の家名持ちとして、次代の神官の妃を輩出することに注力する。


「記憶にある母親は、私を蔑んだ目で見ていた。自分の子ではない、と。この村の生まれですから、今から思えば仕方ないのかもしれないですが」


幼少期に母親は家を出て行き、以降父親と二人暮らしになった。

母親に捨てられたと自覚してから、村の人たちと馴染むことを諦めたという。

唯一の家族、父親も八年前に亡くなっている。


「妻と出会えたのは僥倖です。村では知り得ない外の話を聞けたり、妻が……病に倒れた時、助けてあげられた」

「この人が片翼の相手なんだってすんなり信じられたんですよ」


シウマとシャラが寄り添い合う。

お互いを尊重し合っているように見える、仲の良い夫婦だった。

片翼、と聞いてリンは目を逸らした。

シャラは本心からシウマを愛し、妻として尽くそうとしている。

けれど、本当の意味で二人は夫婦になれない。

神官とただの人は結ばれないと知っている。

クロウとリンが、そうであるように。


「ところで、あなた方はどういうご関係? 兄弟には見えないのだけれど」


自分たちの話はしまいだと、リンたちに話を振ってきた。

ただの友人、ではあるが根掘り葉掘り訊かれるのが面倒だった為、いつもの設定を話す。

すると、シャラははしゃいだ。

出会いは、お付き合いの切っ掛けは、求婚の言葉は、と次々と質問をしてくる。

いくつになっても女性は恋話が好きなのだ。


「でしたら早く帰らないといけないわ。こんな所で道草していては結婚が遅くなってしまうもの」

「多少の寄り道も楽しいですよ。家族への土産話になる」

「ご家族が、いるのね」


シャラが寂しげに笑った。

リンに親はいないが、一緒に過ごした人たちがいる。

帰りを待ってくれている人がいる。


「はい」





昼を過ぎる頃、雨脚は弱まり、雷は遠くへ去っていった。

辺りは水浸しで何所もぬかるんでいる。

強い風が水面を撫で村を飲み込まんと飛沫を上げた。

湖も荒れており、岸辺に繋がれた船は上下に大きく揺れている。

シウマの家は森の中、湖よりの村の集落より少し山を登った高い位置にある。

今日のような大雨を伴った嵐で心配すべきは水没ではなく土砂崩れ。

木の根が剥き出しになった緩い地盤だったなら、間違いなく村を押し流していただろう。

今の所そういった事態になったことはなく、今日も心配なさそうだ。

山を登る必要がある家に滅多に人が訪れることなく、用があればシウマを村へ呼びつける。

だから、突然激しく扉を叩かれることに慣れておらず、びくりと肩を振るわせることになるのだ。


「シウマ! いるんだろ。出てこいっ!」

「早くしろ、化物が!」


扉を叩く者たちの声は怒号に近い。

吐く言葉は侮蔑を含み、シウマを同じ人として見ていないことがわかる。

少し見た目が違うだけなのに。

怯えたシャラがシウマの腕にしがみつく。

シャラの手を握ったシウマは、意を決した様に扉を開けた。


「何かご用ですか?」

「しらばっくれんじゃねえ! てめえがチカの子供を攫ったのはわかってんだ!」

「チカさんの? いいえ、知りません」

「てめえじゃなきゃ誰だっていうんだ」


何の確証もないのにシウマが一方的に責められている。

見兼ねたシャラがシウマと村人たちの間に割って入った。


「主人はずっと家にいました。子供を攫うなんてする筈ありません!」

「煩い! 余所者がしゃしゃり出てくんじゃねえ!」

「きゃあ!」


村人の一人がシャラを突き飛ばした。

力負けしたシャラが小さな悲鳴と共に床に倒れる。


「シャラ!」


倒れたシャラをシウマが抱き起こす。

シャラはシウマの腕の中でぐったりとしていた。

顔色が悪い、誰の目からでも明らかに。

村人たちはその様子を嘲り笑った。


「たかが突き飛ばしたくらいで態とらしい態度を取りやがって」

「これだから余所者は」

「おい。家の中を探すぞ」


村人たちが泥がついたまま家に上がり込み、勝手に捜索を始める。

机の上の物は薙ぎ払い、壁にかかっていた布を破り、鬱憤を晴らすかの様に暴れていく。

まるで山賊だ。


「…………るな」


「上が怪しいな」

「おーい。いるかーー」

「化物に家なんか持たせるからこんなことになるんだ」


「……やめろ」


シウマの小さな声は村人たちには届かない。

悔しさで握ったシャラの衣に深い皺ができる。

一階に子供がいないと判断した村人たちは二階へ続く階段に足をかける。

シャラと二人で静かに暮らす家を、自己の正義心を振りかざして好き勝手荒らしていく彼らの方こそ、化物だ。


「やめてくれっ!」


カッとなったシウマは近くにいた男の襟首を掴み、力任せに放り出した。

男はぬかるんだ地面に顔から飛び込み、全身を濡らす。


「出て行け悪徒ども! 貴様らが望むものはここにはない。即刻立ち去れ!」


村人たちの顔に驚愕が浮かぶ。

ここまでシウマが怒ったことはなかった。

穏やかで腰の低い弱い男が牙を剥いた。

ただ、それだけだ。

村人たちの目がすぐに剣呑に光る。


「上だ! 上を探せ!」

「おい、押すなよ」

「ははっ、化物のくせに調子に乗ってんじゃねえぞ」


わらわらと階段を上がっていく。

人が一人やっと登れる細い階段に我も我もと足をかけ、団子状態だ。

だが、村人たちは途中で足を止める。


「はぁー。これが心ある人のやることかねぇ」

「狭い村で生まれ育ったんだ。心も狭ぇんだろう」

「それでいくと、うちの邑もみんな心狭い人しかいなくなる」

「生まれはバラバラだけどなぁ」


階段の踊り場で暢気な会話が交わされていた。

二階の部屋で休んでいた所、一階が騒がしくなり様子を見ていた。

二人の性格を表したような大人しい部屋だったのに、酷い状態だ。

村人同士のことに拘るつもりはなかったが、惨状につい溜息を漏らした。


「余所者が。さてはお前らが子供を攫ったんだな!」

「……どうする?」

「怪我させるのは拙い」

「事情聴取が基本だが、無意味だろ。帰ってもらえばいいんじゃねぇか」

「さっすがお役人様ぁ」

「元、な」

「何ごちゃごちゃ言ってんだ。邪魔だ、退け!」


村人の一人がリンに向かって手を伸ばす。

三人の中では一番小柄で勝てると踏んだのだろう。

しかし、届く前にスエンが手を掴んで遮った。


「汚ぇ手でこいつに触るな」


ギリリと掴んだ手に力を込める。

痛みに呻いた村人は逃れようと、力任せに腕を引いた。

ぐらりと体が傾ぐ。


「うわああっ!?」


階段で姿勢を崩した村人は、周囲を巻き込んで落下していく。

ドスンと大きな音と共に家が衝撃で揺れる。

人が折り重なって山となった。

中には打ち所が悪くて患部を押さえて踞る者もいる。


「何しやがる!」

「いやいや、自分で落ちたじゃん」


冷静になる余裕がないのだろう。

リンやシウマたちが何をしようともこちらが悪く、上手く行かないこともこちらの所為なのだ。

暴徒程手に負えないものはない。


「じゃあ、あんたたちが言う化物なら、何をしても仕方ないよな?」


リンは右手を目の位置まで掲げた。

日に焼けた腕はみるみる黒く染まり、歪に変形していく。

血管が浮き上がる太い腕、人の顔の倍まで大きくなった拳、長く伸びた爪が黒く光る。


「ひぃいいい!」

「化物ぉーーーー!!」


異様な光景に、村人たちは竦み上がる。

腰が抜けて尻から後ずさりする者や、仲間を置いて一目散に逃げていく輩もいる。

リンが一振りするより先に、村人たちは逃げ帰っていった。


「バーーカ! 剣持ってない時に何やってんだっ」

「脅せば帰るかと思って」

「思いつきでやるんじゃない! ったく」


先に剣を取りに戻っていたスエンがリンの愛刀をリャンに寄越す。

朱塗りの鞘から剣を抜くと、黒い腕を剣先で傷つけた。

すると、腕はするすると小さくなり、元に戻る。

傷もあっという間に塞がった。


「今度やったら腕ごと落とすからな」

「ごめんごめん、兄ちゃん」


それにしても、部屋は酷い有様だ。

一階にあったものは殆ど壊され、床は泥でぐちゃぐちゃ。竃で使った灰もばらまかれている。

片付けるのも骨が折れそうだ。


「あなたは……」


出入り口の前でシウマがぽかんと口を開け、呆然としていた。

当然ながら、シウマもリンの腕を見ていた。

神官の敵であるべき魔を内包している腕を。


「あなたも……同じなのですね」

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