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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 7
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リン 二十 ー 29 ー

鬱蒼としていた森を抜け、大きな大きな池ーー湖が三人の前に姿を現した。

風で水面が揺れ、押しては返す波が岸辺を濡らしている。

港町で見慣れた海のように広大で、陸の端まで来てしまったのかと錯覚する程だ。

薄らと見える対面の山のお陰で、湖だと認識することが出来た。

ばしゃばしゃと聞こえる水音に目をやると、浅瀬で数羽の鳥が水浴びをしている。

その向こうには草食動物の親子が水を飲んでいた。

なんとも平和な光景に、緊張の糸が切れたのか揃って座り込んだ。


「ちょっと、予想外なんだけど」

「山間にこんな場所があるなんてな」

「腹減った……」


ぐぅーっとスエンの腹から情けない音が鳴る。

もう動けないと言わんばかりに寝転がって両手足を伸ばした。


「鳥? 鹿? 魚?」

「最短で食える肉」

「はいはぁい」


長く一緒に旅をすると単語だけで会話が成立する。

極端な例だが、こんなやりとりが日常的だ。

リャンは短剣を取り出すとさっと立ち上がり、水辺にいる鳥に向かって投げた。

短剣が命中し、鳥はクァッ、と鳴いて水面に浮かんだ。

周囲にいた鳥たちは警告の様に泣き声を上げ、飛び立とうと翼を広げる。

リャンの二投目が命中する。


「朝食確保~」

「お前のその才能、心底羨ましいわ、今だけ」

「誉めるならちゃんと誉めてよぉ」


二人が戯れ合っている間に、リンは火を熾していた。

森の中の小枝や葉は湿気っていて難しかったが、慣れた所作で小さな竃を作る。

火種を入れ、枯れ草を焼べる。

探せばなくはない。

草食動物は柔らかい新芽を好むので育ちきった草は放置されるからだ。

小さな火種から徐々に大きくなっていく。


「こっちの準備できたぞ」

「羽根と内蔵は取ったけど、丸焼き? 捌く?」

「すぐにでも食べたそうな奴がいるから捌いて」

「了解~」


大胆にぶつ切りされた鳥の肉を火で炙っていく。

脂が滴るとパチパチ音を立てて爆ぜた。

仕上げに塩を振る。

港町を出る際に宿屋の主人から塩を初めとした日持ちする調味料をいくつか貰ったが、既に使い果たし、立ち寄った町で何種類か買い足していた。


「塩も美味いけど、味噌味が恋しい」

「次の町まで我慢しろ」


道中、大将の味が食べたくなったスエンが味噌を購入したが、数日後に腐らせて異臭騒ぎになった。

黴まみれで食べるどころではなくなり、以降味噌の購入は禁止になった。

あっという間に二羽の鳥を平らげ、湖の水で湯を沸かす。

温かい飲み物が冷えきった体を癒した。


「さて。ここからどうする?」

「元来た道に戻るってことか?」

「逃げちゃったし、あの町にはもう入れないから、先に行く方が利口だとは思ってる」

「それはそう。問題は、何所を通っていくかってこと」

「他に道はねぇだろ。探すにしても、未開の森だ」


また森に入って小川を辿って下山するか、別の道を探すか意見は別れる。

邑に着くどころか生存すら怪しくなってきた。

リンはじっと湖を眺めた。


「なあ。この湖って、何所まで続いてんだろ」

「何所って……」


遠くに見える連なった山々。

邑がある土地は魔の森に囲まれているだけではなく、隠される様に高い山にも囲まれている。

幼い頃の過酷な旅を記憶している。

邑に来た商人たちからも山越えが大変だと聞かされていた。

森に入るまでは西へ向かっていた筈だった。

幼い頃越えた山の一つが目の前の山だったら。

湖が山間にあるのなら、湖の反対側まで行ったら山一つ分進んだことになるのではないだろうか。


「湖に沿って、ってことか」

「水の補給も出来るし、食料も事欠かねぇだろうけどさ」


湖に住む魚や水を飲みに現れる小動物を狩れば食事にありつける。

湖が近いということは、土壌にも恵まれているので、食べれる植物も生えているだろう。


「ここよりも広い川に繋がっているかもしれないし、人が住んでる可能性もあるだろ」

「山の中で暮らす物好きがいンのか?」

「魔の森に囲まれた邑があるんだから、普通の山の中にも物好きがいるんじゃない?」

「説得力……」


リンの提案に二人が頷き、湖をぐるりと回ることになった。

実際歩くと人が住んでいそうもないとわかる。

ゴツゴツした石が転がっている足場もあれば、海岸のようなサラサラした砂地もある。

何所も人の手が加わった様子はなく、自然そのもの姿だった。

横の森の様子も変わった様子はない。

ずっと同じような植物が見えるので、進んでいないと錯覚してしまいそうだった。

高くはないが大きな山なのだろう。

日が傾く前に野営の準備を始める。

見晴らしが良かろうと横は森。

昨夜は獰猛な獣に襲われたのだ。

獣避けに火を熾す。

朝は鳥だったので、夕食は魚の予定だ。


「魚取りがてら水浴びしてくる」

「深いとこまで行くなよぉ」

「はーい」


外套と襦裙を脱ぎ捨てると、湖に飛び込んだ。

辺りに飛沫が飛ぶ。


「おいぃぃ。魚逃げちゃうじゃん」

「すまん」


軽く謝って再び潜る。

海で溺れて以来、深さのある水辺は苦手だった。

泳げなくはないが、波に揉まれて体の自由が利かなかった感覚を思い出してしまう。

なるべく浅瀬で、どんなに深くても足がつく場所を泳いだ。

思い切り走ったし山一つ分は歩いたので汗でベタベタする。

水浴びの一つでもしたくなるものだ。

リンが潜ってから暫く、火の番をしていたリャンの元にスエンが戻ってきた。

森の中で食べれそうな物がないか探しに出ていたのだ。

その手にはいくつか果実が握られている。

一人姿がないことに気づくときょろきょろと辺りを見回す。


「リンは?」

「水浴び」

「ここでか!? 慎みってもんは……っ!」

「ぷはぁ。あ、スエン、お帰り……」

「肌を見せるな、肌をっ!!」


潜っていたリンが水面に姿を見せると、スエンは真っ赤になって叫んだ。

肌、といっても素っ裸ではない。下着は着ている。

水を吸った下着は透け、ぺったりと肌にまとわりついていたが。

男所帯で育ったリンは見られたところで気にしないが、こうも女扱いをされ慌てられると恥ずかしいという感情が湧いてしまうではないか。


「濡れたままだと風邪引くぞぉ」


リャンが手招きをして呼び寄せる。

しかしリンは首を振った。


「魚がまだ獲れてないからもう一回潜ってくる」

「こらっ、リン!」


スエンの静止も聞かず、リンは再び湖に潜った。

しばらくして三匹の魚を確保して岸に上がる。

湖の栄養が良いのかどれも十分な大きさがあった。

火で炙って頂く。

味はもちろん塩だ。

淡白な白身なのに脂が乗っていて、塩だけでも瑞々しい旨味が口に広がった。

齧るとほろっと身が解れる程柔らかい。

美味い食事にありつけて、街道沿いの町に戻らなくてよかったのでは、とさえ思う。

ちなみに、リンは旅の初めに身につけていた衣装を身につけている。

濡れたままでは風邪を引く、と乾かしているのだ。


「こんなない胸見て初心な反応出来るって、童貞か」

「胸の大きさに初心も何もねぇだろう」

「女抱いたことないってわけじゃないだろうに」

「それはそれだ! 胸が真っ平らだろうとリンが女だってことに変わりはねぇ! だいたいお前は恥じらいもなければ危機感ってもんがねぇんだ。男が一緒だってことを……」

「うるせぇな! 人の胸から説教かましてじゃねぇよ!」


リャンと言い合っていたのに、途中からリンに向き直って説教を始めた。

自分の胸がささやかなのはリンが一番知っている。

港町の夜商売の女たちから胸を大きくする方法を聞いて思い出しては実戦してみているが一向に効果が現れない。

劣等感があるわけではないが、リャンから女らしくないと揶揄られ、スエンから女は胸じゃないと慰められる。

どちらかといえば、悲しみより怒りが勝っている。余計な世話だ、と。


「っくしゅ!」

「寒いのか?」

「……少し」


着替えたとはいえ、冷たい湖に潜ったのだ。

暖をとっても指先が冷たい。

魔の力は、傷の修復はしても風邪を引かない健康体にしてくれるわけではなかった。

寒ければ寒い、冷えた体を放置すれば風邪を引く。


「先に寝てろ。体力の回復が予防に一番効く」

「そうだな。悪いが甘えさせてもらう」

「ん。ほーら」


リャンが両手を広げてリンを呼ぶ。

一瞬の躊躇後、リンはリャンに背を預ける形で小さくなった。

子供扱いされているようでつい渋い顔になってしまうが、素直に受け入れ目を閉じる。

しばらくして小さな寝息を吐いた。


「…………」

「そんな羨ましそうな目で見られても、替わんないよ?」

「別に……」

「クロウ様が知ったら、俺は半殺しで済むけど、スエンがやったら確実に命ないからね?」

「疾しい気持ちで見てたわけじゃねぇ!」




鳥の声で目が覚めた。

夜の火の番を変わることなく眠り続けてしまった。

背中が温かい。

一晩、リャンが背後にいたようだ。

人の気配に敏感なリンだったが、すっかりリャンとスエンが傍にいても熟睡できる様になった。

数ヶ月も三人で寝起きを共にすれば気を許してしまうのだろう。

軽く食事をして出発する。

空は明るい薄青で、雨の心配がなさそうだった。

陽が天に上っても目印になりそうな場所はない。

また野営だと、思っていた時、森ので違和感を見つけた。

果実でもないかと見ていただけだったが、それを見つけて足が止まる。


「リン?」

「あれって、さ」


リンが指を指す方向を二人も凝視する。

特に何もない。変わらず木があるだけだ。


「人が住んでんのか……?」

「そんなわけねぇだろ」


まさかと言いながら目的の木に近づく。

草をかき分けて見つけた物は切り株だ。

それも自然に折れた物ではなく、明らかに道具を使って人が切り倒した物。

切り株は一つではなくざっと見ただけでも五つある。

知能が高い動物が、という可能性がなくもないが、人間の生活圏が近いと考える方が自然だろう。

三人の顔に喜色が浮かぶ。

今度こそ宿に泊まるのだと、勇んで人家を探した。

見つけた切り株から、人が踏みしめたとわかる道があった。

切り株はまだ新しい。

道を辿って行けば人里があるはずだ。

こんな山の中だ。山賊という可能性があるが、今は街道に戻る方法を知りたかった。

道は緩い上り坂。

途中、別の切り株も見つけた。


「人がいる」


リンの耳にカーン、カーンと木を切る音が届いた。

遠くない。道を真っ直ぐ進むだけ。


「えぇ!?」


互いの声が重なる。

リンたちが木を切る男を見つけるのと、男がリンたちを見つけるのは同時だった。

お互い、信じられない、という言葉が出ない程、驚愕に目を丸くした。

男は額の汗を拭き、苦笑を浮かべながら三人に向かって会釈をする。


「えーっと、あなたたちは、外の人たちですか?」

「あなたは……」

「私はシウマ。この先の村で樵をしています」


樵と聞いて、また言葉をなくす。

シウマと名乗った男の髪に目が釘付けになっている。

幼い頃から見慣れた鮮やかな朱色だった。

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