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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 7
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リン 二十 ー 28 ー

二年世話になった町を出てどれくらい経っただろうか。

乗船した船は海賊に襲われ、助力を願いに訪れたロアンが管理する町では命を狙われ、ひたすら先へ進んだ。

西へ続く街道を、時には道なき道を、歩いて走って、通りがかりの荷台に乗って。

この道が合っているかわからない。

だいたい、子供の時に一度通ったきりで、殆ど邑から出たことがなかった。

覚えているわけがない。

今の所、追っ手に遭遇することなく旅を続けられている。

いくつか町を通ったけれど、手配が回っている様子はなかった。

念の為、リンは女とわかる髪型と服装している。

邑では男と認識されていたから女の格好の方が都合が良い。

町に入る時は身分を明かさなければならなかったので、スエンの婚約者で通した。

仮の身分は、遠く離れた家族に結婚の報告をする為に旅をしている役人(休職中)とその婚約者と道中の護衛を依頼した腕利き剣士。

街道沿いの村に停泊中、村を襲う山賊が出没すると聞けば、一宿一飯の礼に山賊退治をしたこともあった。

腰の弱い老夫婦の代わりに畑を耕したこともあった。

魔憑きが出れば退治し、魔憑きでない人を害する獣を掃討し、その肉の一部をもらって食料としたり、煮炊きを教わったり、いろいろあった。

ただの旅になるとは思っていなかったが、西に行くにつれて魔憑きの遭遇が増えていった。

西に広がる魔の森に近づいている証拠。

このまま進めば邑に着く筈だ。

じりじりと胸が焦がれて落ち着かない。

気持ちだけが早る。

早く帰りたい。

でも、帰って良いのか迷っている。

何度もリンの体を乗っ取った魔がクロウを手にかける夢を見た。

思い出したくもない胸糞悪い夢を。

夢であってもリンの中に魔が存在するのは事実。

本当にクロウを殺してしまうかもしれないのが怖かった。


「置いてくぞぉ、リン」

「リン、疲れたのか?」

「……いいや。問題ないよ」


旅を始めてからリャンは「リン」と呼ぶようになった。

スエンに合わせてか、女の格好に合わせてか。

呼び方を変えたところで態度は変わらなかったけれど。


「何かあったぁ?」

「追っ手がいないか確認していただけだ」

「結局来た試しないじゃん。大丈夫っしょ」

「気ぃ緩めるのは感心しねぇな。油断こそ敵だぞ」


真面目なスエンが嗜める。

出会ったばかりの頃は突っかかってばかりいたのに、ずいぶん仲良くなったものだ。


しばらく街道沿いをのんびり歩く。

雨季を過ぎ、暖かい気候が安定しているので過ごしやすい道程だ。

近くに山が見える。

そんなに高くなさそうだが、緑の木々が山の全体を覆っている。

深い森が広がっており、入ったら迷って出られなさそうだ。

今は商人も使う道を使っているので、下手に迷うことはなさそうだけれど、邑への道は依然わからない。

魔の森が近くなったら情報収集が必要になるだろう。

夕日が傾く前に町が見えた。

さほど大きくないが、立派な門構えから、商業の中継都市と推測する。

今日はこの町の宿に決まりだ。

今夜はゆっくり休んで明日は買い出し、明後日出発という予定になるだろう。

初めに持っていた金はもう僅かだが、行く先々で路銀を稼いでいたので、贅沢しなければ余裕が出る程に懐は温かい。

三人で顔を見合わせほっと息を吐いた。

連日野宿だったので暖かい寝床が恋しくなっていた。

いつも通りスエンが通行許可を取ろうと門番に話しかける。

問題なく町に入れそうだった。


「おまえ、ロ家の……?」


門の前を通りかかった男がリンたちを凝視していた。

男の顔色が悪い。

リャンを知っているーーつまり、邑の人間だった可能性がある。

ホ家の男やト家のガイと同じ、リーを探しに邑を出た者。

リーを邪魔に思っている家名持ちの一派だ。


「リャン。たぶん、チ家の子弟だ」

「あー……ト家の腰巾着の」


薄らと記憶にある男の顔をいくつかの情報と照らし合わせて導き出した。

そもそも邑の家名持ちは平民と関わりを持とうとしないので、一度二度パッと見たくらいでは思い出せない。

カンやソンのように事あるごとに神殿に厭味を言いに来ていた輩ならいざ知らず、表立って出てこない当主筋ではない者の顔など印象に残りようがない。

相手も、平民出身だが家名を貰っているリャンの顔は知っているようだが、リンの顔は覚えていないらしい。

女の格好をしていても顔は変わっていないのに。

対象の顔も知らず捜索する気はあるのか疑問だ。

気があったらこんな所で会う筈もないので、疑問ではなく愚問なのだろう。


「そこの御仁。俺の連れを知っているのか」


スエンがリンを背に庇う。

事情を話しているが邑のいざこざに巻き込むわけにはいかない。

知らぬ振りをして宿に直行しようと決め、スエンの裾を引っ張る。

構わなくて良い、と言ったつもりだった。

スエンはリンの腕を取り、町とは反対側に向かって走り出した。


「スエン?!」


名を呼んでも走ることに精一杯で返事はない。

肩越しにうしろを振り返り、リャンがついて来ているか確認する。

リャンはついて来ているが、余計な者までついてきていた。


「待てぇ!」


チ家の男と他複数人。

知らない顔なので彼が雇った荒くれ者か何かだろう。

皆一様に人相が悪いし得物を持っている。


「なんで追ってくんだよ」

「わかるじゃん。ガイと商隊のおっちゃんがつるんでたってことはぁ」

「リャンと一緒にいる俺たちもお尋ね者ってことか」

「いやいや、逆だからね? 狙われてんのおまえだから」

「喋る余裕があんなら真面目に走れ!」


スエンに怒鳴られ口を閉じた。

真っ先に走ったスエンは人相の悪い仲間の姿が見えていたのだろう。

しかし、見通しの良い街道を走っても追っ手は撒けない。


「あっちだ!」


リンはスエンから掴まれていた腕を取り戻し、行き先を先導する。

見通しが悪ければ紛れられる。

緑の木々が生い茂る森の中に入っていった。




乱立する木々の間を駆け、湿気った葉っぱを踏み、獣が通った僅かな痕跡を辿っていく。

空はすっかり暗くなり、星の明かり一つ届かない奥地まで入って来てしまった。

荒く吐かれる呼吸は三人分。

追っ手は撒けたようだ。

だが、かなり走った所為で町は遠のいた。

久々の宿だった筈なのにまた野宿する羽目になってしまった。

森の中は野生の獣が多い。

夜になれば夜行性の肉食獣が動き回り、更に危険が増す。

森を抜けるにも暗くて足元が覚束ない。

夜目が利くリンはともかく、男二人は危ない。

怪我でもされたら旅を中断せざるを得なくなる。

それぞれ鞄から水を取り出し一気に飲み干す。

それでも乾きはなくならない。


「あー、しんどぉ」

「ここから離れるぞ」

「もう移動?」

「奴らの縄張りを荒らしたんだ。強制退場させられる前に森を抜ける」


耳を澄ませば、息をひそめて近づいてくる気配が一つ二つ。

僅かに葉が擦れる音に紛れて生きている獣の息遣いがする。


「何所に逃げる?」


森を抜けるには来た道を戻らなくてはならない。

だが、戻ったら追っ手に捕まる。

横から獣に狙われているなら、進むのは森の更に奥。

ここから山を二つ三つ越えれば魔の森の侵食域に着く。


「山を越えれば早く着くと思わないか?」

「…………思わないけど。着く前に死ぬんだけど」


リャンとスエンは普通の人間。

魔の森に入れば魔に侵されてしまう。

魔の森に入るとしても、邑がいつも使っている道でなければ、辿り着く前に命が枯れる。


「とりあえず行くかぁ」

「おい、声が……!」


リャンがぐぐっと腕を伸ばした。

気の抜けた声に、暗闇に潜んでいた獣が地を蹴って距離を詰めて来た。


「ヒャィン!」


何かが木にぶつかる音と共に獣の甲高い悲鳴が聞こえる。

声を頼りにリャンとスエンが一点を見つめる。


「なんかあった?」

「獣の声だったな」

「獣がリャンの喉笛狙ってたから叩き落としただけだ」

「ウッソ!? 怖っ!」


暗闇でもはっきり見えるリンがいなかったら、リャンは獣に食われていた。


「叩き落としたって……」

「剣で傷つけると血の匂いで他の獣も寄ってくるからな」

「素手かよ」


リンは背中に背負っていた愛刀と取り出し、刀身を腕に当てる。

刀身が仄かに光を帯びる。

暗闇でも何が起こったか二人にも見えた。


「止めとけ。癖になるぞ」

「……流石に素手では自分より大きな獣を止められねーよ」

「助けれてるから怒りにくいわぁ」


魔の力で変形した腕で獣を叩いた。

リンは自分の体に巣食う魔の力を都合良く利用している。

大男より重い物を持ち上げる怪力、全治五日の切り傷を数分で治す治癒力、暗闇でもはっきり捕らえる視力、遥か遠くの音や匂いを嗅ぎ付ける聴覚と嗅覚、そして化け物の様に変形する腕。

クロウから貰った刀(お守り)がある所為か、魔を表に出すことに躊躇いがない。

魔の力を表に出すことは、魔の侵食を許していると同意義だというのに。


「獣は?」

「もう去った」


リンの一撃で怯んだのか、仲間と共に逃げていった。

近くに野生の動物はいないか注意深く耳を澄ませる。

カサカサ音はするが害意はなさそうだ。


「じゃあこっちも移動しよう」

「水も尽きたし、川か泉探そうぜ」

「…………こっちから、水の音がする」

「うっわ。魔憑き便利ぃ」

「なりたくてなったんじゃねーっての」


リンを先頭に森を歩く。

背の低い木や太い木の根が張り出して足を取られて危ない為、火を焚いた。

魔憑きは火を苦手とするが、リンは人としての理性が勝っているのかまったく怖がる様子はない。

寧ろ、火が近くにある方が魔の気配が弱まるので、煮炊きなど火を使う作業は積極的に行っていた。

緩やかな登り坂の山道は人の手が入った様子がなく、数歩歩くだけで露に濡れたり蜘蛛の巣を顔から被ったり枝に引っ掛けて肌を傷つけたりした。

草が茂っているが極端な高さまで伸びていない所を見ると、草食動物が多く棲息しているようだ。

目の前に飛び出して来たら是非捕まえて糧としたい。

動き回って三人とも猛烈に空腹だった。

暫く歩いて、細い木々をかき分けると人の腕くらいの幅の小川を見つけた。

ちょろちょろと流れる水だけでは喉の渇きは癒せない。

上流に行けば水源があると考え、小川に沿って森を歩いた。

途中、枝分かれしていたので今度は下る川筋を選ぶ。

水源を辿って頂上に登っても邑に近づくわけではない。

どこかで山を下りて街道に戻らなくてはならない。

休憩を挟んで下り坂を歩く。

よっぽど低い山なのか登りと一緒で緩やかだ。

空が白んだ頃、小川の終着点に到着した。

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