アイリ 二十一 ー 4 ー
アイリとメイが案内されたのは、ミアンが待つ居住区の一室だった。
二人が揃って顔を見せると、ミアンは不安そうな顔から一転、安堵の笑みをこぼした。
「お帰りなさいませ」
「ただ今帰りました。ミアン様はお変わりありませんか?」
「はい。あの、何かあったんですか? 騒がしいというか、衛兵の方がバタバタされていて……」
「魔憑きが出ましたの。神官様たちが駆除したので問題ありません」
「魔憑き!? アイリ様、メイ様お怪我は……」
「すぐに討ち取られたので、怪我人は出ておりませんよ」
「よかった……」
ミアンはほっと胸を撫で下ろした。
数日、一緒に過ごした所為か、ミアンがアイリたちに変に萎縮することはなくなった。
そればかりか、人懐っこい笑みさえ浮かべる。
それも、アイリがミアンを構い倒したおかげであるが、メイ曰く、人誑し、らしい。
懐に入れた者にはとことん甘い。
「アイリ」
メイが名を呼ぶ。
振り返ると硬い表情でアイリを見ていた。
思い当たる節が多すぎて眉が下がる。
「よかったの、あんなことをして」
「それは、あの人のこと?」
あの人ーーアイリの父親であり、イ家の当主であるカン。
アイリは随分長く、カンを父と呼ばなかった。
茶会の席で久しぶりに呼び、違和感すら覚えたくらいに。
「あの人は、いい加減に報いを受けるべきなのよ」
「でも、薬を盛るなんて、やり過ぎだわ」
メイには同じ茶を淹れた。
カンが毒を盛られたと知った時のメイの表情が胸に突き刺さった。
もし毒が誤ってメイの茶碗に入っていたら……
下剤だから命に別状がないものの、自分を許せる気がしない。
実父を罠にはめる為とはいえ、肝胆が冷えたのも事実だ。
ここまでしたのも理由がある。
「わたくし、ずっと神官様が羨ましかった」
「え?」
突然、話題を変えたアイリにメイとミアンの目が点になった。
アイリは構わず続ける。
「優しい叔父様に、慕ってくれる部下、それに信頼し合える友人。わたくしが欲しいものを全部持っているのよ」
家族の愛は幻だった。
カンの顔色を窺う母親、自由な兄たち、イ家に仕える家人もカンを恐れて必要以上にアイリに近づかなかった。
唯一、アイリ付きの侍女はずっと傍にいたけれど、友人のような関係は作れなかった。
イ家の屋敷の中で、アイリはずっと独りだった。
イ家の家名しか見ていない友人と名乗る他家の人間は煩わしいが、初めから人間関係を作るのを諦めたわけではない。
出来なかった。
誰もアイリの本質など見ようとしなかった。
あの家の夫人もこの家の子息も、理想であるアイリの虚像を押しつけ飾り立ててきた。
上っ面だけのアイリしか求められなかった。
邑に来て、邑の民を見て、クロウたちを見て、理想を見つけた。
血のつながりはなくても信頼し合える関係は作れるのだと、強く憧れた。
「メイ、そしてミアン様。だからわたくしは、友人になってくれたあなたたちを大切にしたいの。友人になってくれてありがとう」
「アイリ様ぁ!」
ミアンは感極まったのか、アイリの腰に抱きついた。
アイリは嬉しそうに抱擁を返す。
相思相愛の友情を前に、メイはわなわなと震えた。
「だからって、わたしを庇う必要なんてないわ!」
「庇うわよ。メイはわたくしの初めてのお友達だもの」
「あなたはイ家のお嬢様なのよ。この邑で唯一、神官の妃になれるの。あなたしかなれないのよ!」
「神官様はわたくしを妃になさらないわ」
「それでも!」
メイの目尻に涙が溜まる。
なんとしてでもアイリを妃にしたいと取れるが、そうではないとわかる。
メイは強がりだ。
建前の裏に本音が隠れている。
大きくなった涙溜まりはやがてついと頬を流れた。
「メイ?」
「メイ様……」
「わたしを庇って、自分が傷つこうとしないでよぉ」
メイの声が涙で揺れた。
アイリはミアンを放し、今度はメイの肩を抱く。
「言ったでしょ。あなたに何かあれば泣いてしまうわよ、って」
「アイリ……」
魔憑きが現れた時、咄嗟にメイを庇った。
傷ついても良いとは思っていないけれど、メイが傷つく方が嫌だっただけ。
自分の行動に後悔はない。
「わたしだって、あなたが傷ついたら泣くわ」
「もう泣いているじゃない」
「あなたって人は……」
アイリとメイは、顔を見合わせくすくすと笑った。
たとえ家が潰れてしまっても、この笑顔が守れるなら家一つ失くなっても構わないと思った。




