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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
クロウ 5
84/123

チェン 三十七 ー 1 ー

成人してすぐ、都で役人試験を受け、神殿の書庫付き文官として仕えることになった。

ニ家といえば、神殿に仕える官吏を多く排出する名家。

チェンはニ家の分家の末端に生まれ、本家筋から疎まれていた。

代々高い能力を持つ人物が多いのだが、それ故か選民思想で排他主義の者も多い。

同じ分家の者たちに本家の者に負けるな、努力を怠るな、と言われて育った。

役人試験に受かっても配属された部署を知ると、親族たちの期待が一気に冷めた。

ニ家本家の者に虐げられながら仕事をこなしていたある日、リオンに逢った。

人を喰ったような表情を浮かべる大人びた赤髪の少年に抱いたのは不信感。

もちろん朱色の髪を持つ者が神官の血筋なのは知っている。

取り入れば昇進も夢ではない。

けれど、この少年には極力関わりたくないと思った。

敢えて悪態をついて突き放した。

しかし、却って少年に興味を持たれてしまった。


『君面白いね。私の部下になる気はないかな?』






リオンと出会って二十余年。

無茶振りばかりの上司に仕えて後悔したことは数えきれない。

けれど、不思議と本気で辞退しようと思ったことはない。

リオンが子供を引き取り、育てようとした時からだ。

すくすくと育っていく子供たちの成長が楽しみになっていた。

リオンの傍について彼を助ける仕事を、存外気に入っている。

常に余裕を見せているリオンが時には慌てふためき、心から子供を慈しむ姿は面白い。

そんなリオンが歳の離れた女性にやり込められ、面を喰らっている様はかなり珍しい。

チェンの妻である女官のランに詰め寄られても苦笑で流していたのに。


「それで、態と、なんですわね?」

「まあ……そうなるね」


家名持ち筆頭令嬢であるアイリの迫力に押され、たじたじだ。

イ家のアイリ嬢は、表向きは儚げな美貌を持つ深層の姫君。

しかし、素のアイリと対面した者は誰しも噂との差に戸惑うのだ。

並の男より勇ましい、と。

無駄な嘘をつかず、つかせず、しかも隠れた本音を悟らせない。

おそらく、リオンが苦手とする相手だろう。


「その結果、ミアン様とメイの命が危うくなろうと、マオ様を殺した者を捕縛することを優先したのですね」

「そう、だね」


アイリは大きなため息を吐いた。

リオンとてその搦め手は悪手だとわかった上で実行した。

彼らが動くのは可能性の一つでしかなく、実際に襲撃するのは愚かな手。

つまり彼らは愚かだった。

不幸中の幸いと言えるのは、死者が出なかったことくらい。

結局、犯人を捕まえることは叶わず、怪我人が出てしまった。

一つわかったことは、彼らはなりふり構わず目的を遂行する決意をした。

ミアンとメイがいなくなれば、自動的に妃になるのはアイリしかいなくなる。

人命を軽く見ている彼らに怒りが湧いた。


「言い訳はございますか? 言った所で許しませんけれど」

「…………ないよ。二人を危険に曝したことも、犯人を逃がしたことも。弁明することはない」

「思いの外、潔い方ですのね」

「褒め言葉として受けとっておくよ」


リオンが力なく笑う。

アイリが突撃して時間はまだあまり経っていないにも関わらず、疲労感が半端ではない。

ランに説教された時と同じくらい疲れた。

女性を怒らせるものではないな、とチェンは改めて思った。


「この話はそれくらいにして、本題を聞いてもいいかな?」

「こちらも本題ですが」

「…………他にも用件があるんだね?」

「ええ、もちろん」


アイリは口元を隠して笑みを作る。

彼女が何か企てている時に見せる仕草だ。

それが意図的であるかは、別として。


「二度とミアン様たちを傷つけさせない案を持って参りました。ご助力頂けますわね」


アイリの笑顔は、有無を言わせない迫力があった。

さすがのリオンも、否、と言えず、詳細を聞く間もなくアイリの案に頷いた。




嵐が過ぎれば何とやら、リオンは机に突っ伏し脱力した。

机に山積みになった書類の一部が崩れそうだ。

チェンも大きく息を吐いて力を抜く。


「すごいねぇ、アイリ嬢は」

「カン氏の娘とは思えませんね」

「着眼点が違うだけで性格は似てるんじゃないかな」

「なるほど」


アイリが聞いたら顔を顰めて即否定しそうな発言だ。

都の学舎で学をきちんと修めているカンは、上手く機能すれば有能な人物。

己の思想に執着している為、リオンたちと対立しているが。


「アイリ嬢を妃に出来ないものかな」

「あれほどの才女を妃に押しとどめるのはいただけません」


神官の妃は、神官の御子を宿す器。

妃は生涯一度だけ御子を産むことが出来る。

しかし、その命は出産とともに散る。

言い換えれば、使い捨てなのだ。

アイリを御子を産むだけの為の妃にするのは言葉通り“勿体ない”。

チェンの言葉にリオンも頷く。


「聞く所によると、ミアン姫からも妃候補から外してほしいという申請が来ているようです」

「クロウに直接言ったんだってね。ミアン嬢も度胸があるというか」


慣例では、候補者本人ではなく、後見人ーー彼女の父親から神殿へ申請されるものなのだが、そこを飛ばして本人同士で話してしまったという。

小さな邑の中のことなので、都の習わしに従うことはないが、少し悶々としてしまうのは文官の性なのだろう。


「本当にリーが生きて帰って来なければ、クロウは生涯独り身になっちゃうね」

「それを貴方が言いますか」

「私はいいんだよ」


リオンは成人前に当時の婚約者と死別してから新たな婚約者を作らなかった。

クロウの後見となったこともあるが、自身が婚姻を結ぶ気がないからだろう。

チェンとしては御子云々は置いておいて、配偶者はいてほしい。

妻と呼べる女性がいれば、リオンも落ち着きを見せるだろう。

できれば手綱を握れる女性がいい。


「さて。アイリ嬢のお願いを聞き入れる為に動きますか」


リオンが頭の上で腕を組んで伸びをする。

衝撃で机の上の山が一つ雪崩れそうになるの手で抑えて止める。

日に何度も起こることなので慣れた所作だ。

チェンとしては不本意きわまりない。


「いつ頃時間が取れそうかな」

「そうですね。令嬢たちはこちらにいるので収集は容易いですが、諸々の準備を含めて……三日後はいかがでしょう」

「よし、じゃあ明日にしよう」


この上司は耳が悪いんだろうか、と疑い、つい目を眇めた。

ついでに机の惨状が見えない程目も悪いんだろうか。

即日とはいかないが、早めに決済が欲しいものがいくつかあるのだが。

チェンの胡乱な目など意に介さず、リオンは新たな書を認める。

さらさらと書き付ける書状は四通。


「はい、妃候補の後見人に渡してきてくれ」

「こんなに急で、応じますかね」

「神殿からの茶会の誘いだ。何が何でも食いついてもらう」


食いつかせるまでが仕事だ、と言わんばかりにリオンがにんまりと笑みを作る。

無茶振りばかりの厄介な上司の期待に添う為、チェンは早速動いた。

帰ったら幼い娘に癒してもらおうと心に決めて。

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