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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
クロウ 5
83/123

アイリ 二十一 ー 3 ー

掌に収まる小さな硝子の小瓶。

細かな彫り物が施され、硝子細工として部屋に飾っても美しい。

陽に透かすと幾重にも反射してきらきらと光っている。

瓶の中身は透明な液体。


「本当に、愚かな方」


近くに控えてる侍女は、顔を覆って泣いていた。






ミアンとメイが襲われてから、アイリは神殿に身を寄せていた。

アイリに身の危険は及んでいない。

しかし、同じ妃候補二人が危ない目に遭ったのだ。

更に、二人を襲った主犯がアイリの身内である可能性があり、襲撃を知ったアイリに危険がないとは言い切れない。

故に、三人の妃候補が神殿に集まっているのだ。

自宅の部屋より多少手狭だが、各々に個室を与えているにも拘らず、三人(主にアイリとミアン)はミアンの部屋で過ごしていた。


ミアンは、慎み深いが教養が低い。

神殿での振る舞いや礼儀がなっていない。

それもそのはず。幼い頃から邑暮らしで、神殿の大人たちが教える学しか持っていない。

暮らすには十分だが、妃候補に選ばれる名家の令嬢とは言い難い。

神官の妃になる為、アイリのような教育を受けていないのだ。

恐縮しきるミアンに、アイリは丁寧に且つ厳しく礼節を叩き込んだ。

なんとか及第点を取れるまでミアンは弱音を吐くことなく、アイリの指導を飲み込んでいった。

アイリも鬼ではない。出来ていることにはきちんと誉める。

その所為か、ますます懐かれ……いいや、憧憬の目で見られる様になった。

唯一、笛だけは母親から習っているというので、聞かせてほしいと頼むと、照れながらも一曲披露してくれた。

柔らかく伸びやかな音色は耳心地がよく、つい聞き入ってしまう。

是非と請われてアイリの琴と音合わせを行うと、通りがかった者たちが次々に足を止めてしまい、人集りができてしまった。

神殿にいる間は、教養を磨いたり、お茶を飲みながらお喋りしているだけで時間があっという間に過ぎていく。

楽しかった。

無駄を好まないアイリでも、外聞など気にせずゆったり過ごす時間がかけがえのないものだと知れたのだった。


「ねえ、ミアン様」

「はい。なんでしょう」


いつまでも神殿に籠っているわけにはいかない。

いくら楽しくても、この時間がずっと続けばいいと思っていても、何の解決にもならないのだ。

クロウの方にも目立った進展はないようで、余裕のない表情を度々見かける。


「ミアン様は、神官様の妃になりたいの?」


ミアンが望むなら、どんな手を使っても願いを叶える。

それ程にアイリはミアンを気に入っていた。


「いいえ! 実は、神官様には、もうお話ししているんです」

「あら、そうなの?」

「はい。神官様には、その……片翼の方がいらっしゃるそうで……」

「そんなことまで、あの方がおっしゃったの?」

「はあ……でも、私が知る限りその方……男性だったと、思うんですが……」


ミアンの顔に困惑の色が浮かぶ。

男色家がまったくいない訳ではない。

嫌厭される傾向にはあるが、迫害されるまでには至らない。

特に邑は、圧倒的に男性が多い。

一夫一妻が常識である中でそちらに走ってしまう男性がいてもおかしくはない。


「そうね。でも、あの方にとっては些細なことなのでしょうね」

「些細、ですか」


だからといって、子孫を残さなくてはいけない神官が男色家では困るのだが。

三年前までクロウの側付きをしていた男。

クロウが唯一命を預けられる人物は、現在行方不明。

すでに死んでいるという声が多い。

クロウにとって一番大切なのは守るべき邑の民。

その中でも一等特別な存在が片翼と称する……

はたと、アイリの脳裏に別の可能性が浮かんだ。


「神官様は『片翼』とおっしゃったのね?」

「え? ……はい。片翼の翼人のことだと」

「そう……」


片翼の翼人は、男女の番を差す。

クロウがそれを知らない筈がない。

アイリの考えが事実なら、クロウは勿論知っていて隠していたことになる。

理由は二つ。

従者として傍に置く為。

そして、家名持ちに殺されない為。

女の身で神官の近くに侍っていたら、ミアンやメイの様に命を狙われた。

否、確実に周到に殺されていたに違いない。

神官が溺愛し、神官の子を産むかもしれない女など、彼らにとって邪魔でしかないからだ。

自分の血筋に神官の血を混ぜたい者たちにとって、何の後ろ盾もない平民を一人消そうが痛くも痒くもない。

アイリの父、カンもその考えを持っている。

都に住むイ家の本家を見返す為、神官の血を欲している。

もし、彼らの耳に入り命を奪ったのなら、神殿と北とで武力による諍いに発展する。

彼の方の行方不明が北の者の仕業だとしたら、とまで考えが及んでしまった。


「ミアン様。このことはわたくしたちだけの秘密のお話にしましょう」

「はい……あ、秘密といえば、ですが」

「なあに?」

「サイリ様を見かけたと、神官様にお話ししちゃいました。すみません……」


そういえば、と頭の片隅に記憶を呼び戻す。

ミアンを巻き込まない為に言ったことだったのでクロウに知られようが構わない。

サイリもそろそろ縄にかからなくてはいけない頃合いだ。

さっさと捕まえてくれればミアンたちは襲われることなどなかったのに。

つい過ぎたことに愚痴が浮かんでしまう。


「いけませんでした……?」

「いいえ。ごめんなさいね、ミアン様に負担をかけることとなってしまって」

「そんなっ! でも、サイリ様見つかりますかね?」

「神官様の頑張り次第ではないかしら」

「だと、いいんですけれど」


ミアンはすっかり冷めてしまった茶をゆっくり飲み干した。

アイリはそっと目を閉じる。

手の中を硝子の瓶を握りしめた。




アイリがひとりで神殿内を歩いていると、メイと出くわした。

手に大きな籠を抱えており、中には衣類が入っている。

絶賛仕事中だった。


「珍しく一人なのね」

「ミアン様は、お疲れなのか眠ってしまったの。書庫の方へ行こうと思って」

「あいかわらず勉強熱心ね」

「そんなものではないわ」


書庫へ行くのは過程であり、目的地はその近くだ。

メイはカラカラと笑って荷を抱え直す。

襲われて日も浅いというのに気丈に振る舞っている。

一緒にいたライに大きな怪我はないというのが大きいのかもしれない。

ミアンは、護衛についていたフォウを気にして沈むことが多々あるのだから。


「あなたは大丈夫なの?」

「うん? 大丈夫よ。慣れているもの。それに、動いている方が思い出さずに済むの」

「……そう」


忙しそうなメイと別れて行政区へ向かう。

アイリたちが逗留している居住区と同じ白い壁に朱色の柱ではあるが、私的な空間である居住区とはまた違う雰囲気がある。

途中、衛兵が付き添いを申し出てくれたが断り、先を行く。

人の行き交いが多いが、平素に比べれば人数が少ない。

おそらく、クロウが外出している所為だ。

だから、アイリが一人で歩いていても誰も気にしない。

書庫を通り過ぎ、奥まった廊下の執務室の戸を叩く。

専ら引きこもって机に向かっている人物なら、昼下がりに訊ねても応答がある筈だ。

室内で警備をしていた衛兵が戸を開く。

アイリを見るとぎょっとした顔になり、部屋の主に面会の確認する。

以前も同じやり取りをしたな、と思いながら取り次ぎを待った。

今回もあっさり入室を許され、肩の力が抜けた。

いくら無力な女とはいえ、簡単に入室を許して良いものかと。


「いらっしゃい。また何か頼み事かな」

「ご機嫌麗しくいらっしゃいますことお喜び申し上げます。この度は恩情により神殿で保護頂き、感謝致します」


裾を引き、腰を折り、頭を深々と下げる。

洗礼された動きに衛兵がほうっと声を上げる。

アイリはすっと姿勢を戻すと、正面のリオンを真っ直ぐ見据えた。

可憐と称されるアイリの顔に、憤怒の色が宿る。


「本日は先代様に抗議を申し立てに参りました」


目を逸らさず、にっこりと笑った。

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