クロウ 二十 ー 17 ー
「妃候補を、降りさせて頂きます」
気の弱いミアンの口からはっきりと出た強い言葉に、クロウは暫し呆然とした。
悪徒に襲われ、命の危険すらあったのだ。
嫌だというのも無理はない。
「わかった。検討する」
「け、検討って……降りられないんですか!?」
思ってもみなかったのだろう。
だが、これも政のひとつ。
イ家のことも事件も解決していないまま、ミアンに降りられるのは困る。
どういえばミアンを納得させられるだろうか、と思案を巡らせる。
クロウは大きく息を吐いた。
ミアンはびくりを身を竦ませる。
怒っている訳ではないのだから怯えられるのは少々傷つく。
回りくどく縛るより事実を伝える方が良さそうだ。
「私の妃になりたくない、と捉えれば良いのか」
「そう、です……ね」
ミアンは引っ込み思案というだけで気が弱い訳ではないのかもしれない。
真っ直ぐクロウの金の目を見て答えている。
「ならその不満は直に解消される」
「え……?」
「私は、貴女ら候補者を妃にするつもりはない」
ミアンの口から、なぜ、と擦れた声が漏れる。
問われ、理由を思い浮かべる。
首から下げている赤い石に触れた。
手元に戻ってからずっと肌身離さず下げている。
持ち主も戻る様にと。
我ながら自分勝手だな、と苦笑した。
「片翼を探している。それが我が手に戻るまで、誰も娶る気はないんだ」
「片翼……? 男女の翼人のお話ですか?」
「まあ……そうだな」
ミアンはぱちくりと目をしばたかせた。
先程まで泣いていた所為で、目が赤く腫れている。
「神官様には、いらっしゃるんですね。とても大事な方が」
「ああ。いる」
「そこにアイリ様が入る余地はございませんか?」
「アイリ?」
突然出た名前に思わず鸚鵡返しをしてしまった。
神官の妃になる為教育された才女であるアイリ。
神官の妃に求められる役割は一つだけ。
それにアイリ程相応しくない女性はいないだろう。
もっとアイリの能力を活かせる男の元に嫁ぐべきだ。
そもそもアイリはクロウとの結婚に否定的である。
「彼女は、私のことなどひねくれた面倒臭い餓鬼くらいにしか思っていないだろう」
「まあ」
一つ上の又従姉はどこか達観していて、クロウを異性と意識することないだろう。
夫婦の契りを淡々とこなし、神官の妻である姿しか見せず、本心を明かすことなどしない。
表面すら取り繕うとしない契約上の夫婦である未来しか見えないのだ。
「アイリ様も同じようなことをおっしゃっていました」
ミアンがくすくす笑いを零す。
とても自然に笑うので、クロウの方が驚いてしまう。
「貴女は、アイリ嬢が好きなのだな」
「はい。とても良くしてくれるお友達ですから」
照れくさそうに肯定する。
胸を張って、是、というミアンに初めて召された時のおどおどした様子はない。
ミアンとアイリが良好な関係が作れたのなら、妃候補の集いは良いものだったのだろう。
「妃候補を容認しているのも、時間稼ぎの為だ」
妃候補が集められた理由はミアンも知っての通り。
政の一貫ということは、公に結果を伝える必要がある。
誰もが納得する形で白紙にしなくてならないのだ。
「大事な方を、見つける時間、ですか?」
「そちらは難航している。何年かかっても取り戻すつもりだ」
放った捜索は無返答。
森の外すら出ていない可能性がある。
もし、海に投げ出され遠くの町に流れ着いたのだとしたら、迎えにいくつもりだ。
だが、まだ邑でやらなくてはいけないことが山ほどある。
「そちらではなく、北と決着をつける時間だ」
「あ……っ」
ミアンはさっと顔色を悪くした。
思い当たる節があるのだろう。
アイリから何か聞いたのかもしれない。
「奴らは狡猾だ。なかなか尻尾を掴ませてくれない。昨日の襲撃で何か気づいたことはなかったか? 何でもいい」
昨日の襲撃の主犯は十中八九、北ーー家名持ちのどこか。
家名持ち、といっても地方出身のミアンの家は彼らの眼中にない。
それも邪魔な羽虫を追い払う程度のことなのだろう。
そんな思想は、リオンの理想とは程遠い。
「気づいたこと、ですか…………ええっと、家を出て……石が飛んできたんです。いつものことなので無視しようとしたら、正面から覆面を被った男の人が三人、逃げようとしたら逃げた先に二人いました。それで……フォウさんの、うしろに隠れて……よく、見てないです」
「知った顔はあったか?」
「わかりません。皆顔を隠していました、ので」
「そうか……」
クロウの声に落胆が滲む。
襲撃者の特徴さえわかれば、家名持ちたちを糾弾する足掛かりになれた。
ミアンを含むハ家は邑での人付き合いが薄い。
接点がなければ知らない可能性もある。
「なら、その中にサイリらしい男はいなかったか?」
サイリは家名持ちはもちろん、平民(特に女性)にも顔が広い。
アイリからサイリは邑の近くにいると聞いている。
もし襲撃を指示したのがカンだったら、サイリが絡んでいる可能性が十分にあった。
「サイリ、様なんですか……?」
ミアンの反応が変わった。
やはりミアンはサイリを知っている。
友人であるアイリの兄だからか。
けれど、困惑より確信に近い色を含んでいた。
「何か知っているのか?」
「いいえっ! 何も知りません! 見てません!」
ミアンが勢いよく首を振る。
事件の流れを整理する。
マオが亡くなったのは夕刻から夜間、発見されたのは翌朝だ。
発見された場所は邑の西側にある小さな浜辺。隠される様に岩の影に横たわっていた。
出血などの傷はなく、ほとんど眠っているような状態だった。
目撃者はおらず、巡回していた見回り兵も、不信な動きをしていた者はいなかったという。
マオの死因は外部犯によるものと推測できる。
そして、ミアンの周囲にアイリが侍る様になったのが態となら。
「マオが死んだ日に、サイリを見たのか?」
「!?」
口にしなくても、目が語っている。
正直なところは美徳だが、正直過ぎる。
腹芸の一つも出来ない性分なようだ。
いつかアイリの口車に乗って好き勝手玩具にされそうだ。
「取って食いはしない。貴女を保護する理由が増えただけだ」
「保護……?」
「我々はサイリを探している。壁の外にいるのなら魔憑きである可能性が高い。内にいるなら謀反者だ。そんな男を目撃したとなれば、貴女の身に危険が及ぶ」
イ家のアイリが傍にいるなら、犯人側は滅多なことはできない。
アイリを妃にしたいならなおさら。
「どうだ?」
ミアンは青ざめ、フルフルと震えていた。
意を決した様に口を開く。
「み……見ました」
「いつ?」
「マオ様が……見つかる前の日、ゆ……夕陽がで、出ている時に」
「どこにいた?」
「浜の方……家から見えたので……北の門より西側の、浜の近くです」
「貴女の家は、北の東側にあったんだったな」
「はい……丘の上にあるので、浜がよく見えるんです」
邑の東側は魔の森と隣接している。
整地されていない、不遇の場所を当てられたようだ。
加えて、北側には神殿とを隔てる大池がある。
北の住人は神殿へ赴く際は、池をぐるりと回らなければならない。
「貴女が見たのはサイリで間違いないんだな?」
ミアンはおそるおそる頷いた。
いくら狭い邑の中とはいえ、東端と浜辺までは距離がある。
「サイリ様は目立つ方なので……」
「確かに」
クロウでも姿を見かけたら遠くでもサイリだとわかるくらいには目立つ。
高価な衣装を崩して着こなし、黒よりも褐色に近い髪を無造作に括って背に垂らしているのは、邑ではサイリくらいしかいない。
「貴女がサイリを見たと知っている者は、誰がいる?」
「あ、アイリ様しか知りません。アイリ様に、誰にも言っては駄目だと……」
「あの女傑は……」
クロウはため息を吐きたくなった。
アイリは知っていた上で、神殿を使ってミアンを守ろうとしていた。
リオンはそれわかっていた節がある。
クロウだけが知らず、利用されていた。今気づいた。
「あの?」
「いいや、貴女は悪くない」
「え?」
「本日より、正式にミアン嬢とアイリ嬢を神殿で保護させてもらう」




