リオン 三十四 ー 1 ー
カツカツと沓を鳴らして神殿最北の宮につながる廊下を歩く。
切り揃えた石を敷き詰めた床はよく響く。
小さな宮の扉の前で守りを固めていた衛兵が頭を垂れ、鍵を外して扉を開ける。
一歩、宮に足を踏み入れる。
一部屋しかないこじんまりとした部屋は簡素で、今まで使ってこなかった様子が窺える。
だが、女中が手入れを忘れていなかったおかげか、埃っぽさはない。
生活感もなければ、政務室のような雑然感もない。
滅多に使わないけれど、と思いつつ、必要だと作らせた宮。
調度一つない部屋にあるのは一脚の椅子のみ。
狭い部屋にはがらんとした印象を与えた。
「さて」
呼吸さえ音として反響する。
暗いから余計だ。
「頭は冷えたか、甥子殿」
乱れた白髪の隙間から、金色が鋭く光った。
事の起こりは三日前。
クロウが嘆願書を持ってリオンの執務室に乗り込んできた。
渡された嘆願書に目を通すと額を抑えた。
本気で頭痛がする。
次いで読んだチェンも、形容し難い渋い顔を作った。
「私は、おまえが賢くなる様に教育してきたつもりだけどね。さすがに見過ごせないな」
「しかし!」
「おまえはまだ神官の自覚が足りないようだ。前回は許したけれど、今回は許可できない」
「前回は……」
「何人犠牲になった?」
「ーーっ」
「魔が絡んでいるのだから、おまえが適任かもしれない。だけど、森に入るのは死にたいと言っているのと一緒だ。おまえがいなくなったら、この邑はどうなるかわかった上で言っているのか?」
クロウは反論しようとした口を閉じ、引き結んだ。
勝てる見込みのない口論をしないのはいいが、納得していない顔のまま。
リオンに引き取られた頃は感情のない人形の様だったのに。
リーと共に育ったおかげか、感情が分かりやすい程表情豊かになった。
聞き分けの良いクロウが我が侭を通そうとすることは、大抵リーが絡んでいる。
何故今頃になって再び森に入ろうと言い出したのか。
行方不明のリーが関係するのだろう。
邑の民を盾に取るような言い方になったが、事実、クロウの炎がなければ邑は魔に飲まれてしまう。
「それでも行くと言うなら、私も考えがあるよ」
「なんです?」
「衛兵。クロウを北の宮に連れて行きなさい」
「リオン様!?」
「考えを改めるまで幽閉する」
窓のない宮は小さく何もないとはいえ、神殿内にある宮の一つ。
貴人を閉じ込める為の牢獄として使われる。
邑が興って以来、使われることのなかった部屋だが、まさか最初に使うのが邑で一番地位の高い神官だと誰が予想しただろう。
「考えは変わったかい?」
「……叔父上」
クロウはゆらりと立ち上がった。
三日間の幽閉は、クロウの美貌を損う程疲弊させたが、生者の証である瞳は爛々と輝いている。
「この三日間、ずっと考えていました」
「そうか」
「やはり、森に行くべきだと考えます」
「クロウ……」
リオンの声が落胆に染まる。
リオンとて可愛い甥の意思を尊重してやりたい気持ちはある。
けれど、命と引き換えにするというなら閉じ込めても止める。
自分より先に逝かせるわけにはいかない。
自分の婚約者……彼女が命と引き換えに産んだ尊い命を無駄死にさせたくない。
彼女とよく似た顔がじっとリオンを見つめていた。
「おまえの言う“犯人”が森にいるかわからないんだよ?」
「います。奴は邑の近くにいる。そうでなければ、毎夜炎が反応する筈がない」
「炎が反応したとなれば、それは魔憑きだ。相応の準備をして迎え打たなくてはいけない」
「わかってます。だから俺が……」
「それが短慮だと言っているんだ」
リオンの険しい声がクロウの言葉を遮る。
諦めそうにないクロウを見下ろし、ため息を吐いた。
何を言えばクロウが改めるかわからない。
リーがいたのなら説得がもっと楽だったのにな、と愚痴を零したくなるくらいだ。
いや、リーがいたなら逆だった。
リーが森に入ろうとしたならクロウは止める側。
一緒に育つと行動も似るのか。
リーがいなくなってからのクロウは、リーの面影を追う様に同じような行動をとることが多くなった。
本人は気づいていないようだけれど。
「とにかく、森に入ることは許可しない。今日から執務に戻りなさい」
「許可を得るまでここにいる、と言ったら?」
「強行するに決まっているだろう」
すっと手を挙げ、衛兵に連れて行けと命じる。
衛兵は戸惑いながらクロウを両脇から抱え、退室する。
クロウは大人しく引きずられていった。
成人して数年が経ったというのに、ぶすっとした顔は子供のようだ。
「誰に似たんだろうね、ロウ」




