リャン 二十二 ー 5 ー
スエンの腹が大きく鳴った。
キュー、などと可愛い音ではない。落雷のような轟音だ。
腹を抑えたところで、すでに遅い。
揃ってあちこち歩くより、手分けして寝床と食事を用意した方が効率が良い。
「俺が宿探してくっから、二人で飯食ってろよ」
「…………そうさせてもらう」
「屋台でいろいろ見繕ってくるから、商店街の大提灯前で落ち合おう。さっき絡まれた近くにあった」
「了解~」
リャンはひらひらと手を振りながら、宿屋街の方へ向かう。
ちらりと後ろを振り返ると、リーとスエンが屋台が並ぶ方へ歩いていくのが見えた。
リーが楽しげに笑っている。
スエンに気安さを感じているのだろ。
「ま、いっか」
帰省の旅にスエンが同行したいと言い出した時は軽い気持ちで承諾した。
道中何が起こるかわからない。
リャンだけでは、リーだけでは対処できないことがあるかもしれない。
純粋な武力ならリャンとリーの右に出る者はなかなかいない。
町に入る際の手続きやさっき絡んで来た兵士は、スエンがいなければもっと揉めていただろう。
だから、同行してもらえるのはありがたかった。
けれども、本当に良かったのだろうか、と問う自分もいる。
スエンはリーに惚れている。それはもうわかりやすい程に。
そんな男をリーの傍に寄らせて良いものだろうか。
主がリーを欲している。
何としてでもリーを主の元へ帰さなければならない。
リーがクロウを焦がれている内はまだいい。
リーは用心深い。
下心を持って安易に近づけば絶対に心を開かない。
逆に言えば、時間をかけて親しくなろうと心を砕けば、あっさり落ちる。
リーとスエンの距離はどんどん縮まっているように見える。
リーが、スエンに惹かれてしまったら……。
「あー、やめやめ」
頭を振って不毛な想像を打ち消す。
どちにしろ、リーがクロウを選ばないはずない。
それだけは言える。
宿屋が並ぶ一画へ急ぐ。
すでに空は暗く、早くしなければ部屋が埋まってしまう。
周辺では一番大きな町なので行き交う人も多い。
町の住人、神殿の用事で足を伸ばした近隣住人、出稼ぎに来た労働者、観光にきた旅行客まで様々。
商業都市だけあって外部からやってきたとわかる人がばかり。
一軒の宿屋の前で知った姿を見つけた。
「おっちゃん! ひさしぶりじゃあん」
「…………おぉ! カナンの倅ではないか」
突然声をかけられ、男は目を丸くした。
少し考えた後、リャンを思い出して手を打った。
男は邑と唯一商談をしている商隊の一人で、鉱物を取り扱っていることから、リャンの実家の工房と付き合いがある。
リャンも何度か商隊の護衛に同行していたので顔見知りだ。
本来、邑を離れてこのような場所にいるはずないリャンを、幽霊でも見たかの様な顔になっても仕方がない。
「何故ここに? 神官殿の遣いか?」
「ちょっと迷子を送り届けに、ね」
「! 坊主が見つかったのか」
「まあねー」
邑が始まってからの長い付き合いをしているだけあって、邑の事情を知っている。
もちろんリーとも顔見知りだ。
「おっちゃん、この町詳しい? 宿探してんだけどさあ」
「まだ取っておらんのか。この時間ではどこも満室だぞ」
「だよねぇ」
宿も多いが人も多い。
相部屋か、郊外の民家に善意で泊めてもらうかしなければならなくなる。
「では儂の部屋を譲ろう」
「え、いいの?」
「二人部屋しか空いておらんかったので借りたが路銀がもったいないわ。儂は仲間の部屋に転がり込むので、おまえさんたちが使うといい」
男はさっさと手続きをして宿を譲る。
用事があるからと手を振って別れた。
「さーて、戻るか」
来た道を戻ろうと踵を返す。
思ったより時間がかからず部屋を確保できたので面白いものでもないかと視線を巡らせる。
外壁の上部は通路となっており、時折巡回の兵が歩いているのが見えた。
壁の途中に塔が建っている。おそらく上へ上がる出入口だろう。
これは邑でも使えるのではないかと構造を記憶しておく。
あとは婚約中の恋人に商店で土産を購入しようかと視線を移した。
そこでもまた知った姿を見つける。
「ガイ、だよなぁ……?」
噂のト家の分家、ソンの次男であるガイ。
リャンとは同世代でパッとしない割りに野心が強い男だ。
リーを役人に捕らえさせようとするあたり小狡い。
確認できたのは一瞬。行き交う人に紛れて見えなくなった。
兵士のこともあり気にし過ぎて見間違えたのかもしれない。
どっちにしても、ガイがこの町にいた事実は確かで、警戒するに越したことはない。
途中、商店に寄って木で出来た簪を一本買った。
先が花の意匠になっており、恋人に良く似合うと一目で気に入った。
いそいそと胸の内袋にしまっておく。
早く帰って渡したい。
きっと彼女は可憐に笑ってお礼を言うのだ。
「早く、会いたいなぁ」
大通りの提灯前で二人と落ち合い、宿へ向かう。
時間も時間な為、先程より人気が少なくなっていた。
空腹を満たし、横になる頃になると、外を歩く人は疎らで、時折話し声が聞こえるだけで賑やかしいくらいの喧噪がなくなった。
部屋の火を消すと真っ暗で、外からの明かりでぼんやりと輪郭がわかる程度の暗闇。
並べた寝台に三人で寝そべった。
なんとなくリャンは真ん中で寝た。
スエンに背を向け、リーの寝顔を観察する。
穏やかな寝息を立て気持ち良さそうに寝ている。
弟だ弟だ、と言ってきた幼馴染みの女を今更異性だと思えない。
まず色気が皆無なところが減点。
体型がらしくない。凹凸が見当たらないのだ。
顔は可愛い方だが、女性らしいかと言えば首を捻る。
仕草もどちらかといえば男寄り。
男ばかりの中で育ったので仕方がないかもしれないが、邑で女性に囲まれていた時だって、女性を大切にする男のような態度を取っていた。
人誑しで仲間を大切にする性分とはいえ、せいぜい芽生えるのは友情や親愛。
クロウもスエンも、これが女と思えることが凄いと感心さえする。
触れてみたらわかるかと手を伸ばしかけたが、止めた。
即座に察知して剣で突き刺されかねない。
気配取りが異様に高いのだ。
幼少期にクロウが暗殺されかけた頃から、リーの警戒心が一気に高まった。
すでに癖になっていて、眠っていても気が休まらない。無意識に察知してしまうのだ。
考えても埒があかないので、リャンも目を閉じて眠ろうとした。
ーーーーガシャンッ
突如、けたたましい硝子が割れた音がした。




