リン 二十 ー 25 ー
運河沿いを北上し隣町を目指す。
運河最南端の町は海賊が出るため少々治安が良くない。
船の出入りが多く物流の拠点にもなっているが神殿はない。
神殿がある町まで陸路を歩いて数刻。
リオンの義母兄であるロアンが治めている町だ。
スエンの頭痛が酷い為、休み休み歩いていたが、夜になる前には辿り着けた。
道中ずっと反省の言葉を口にしていたが、気に病むなと伝えた。
気にしなくてもいいが反省はしろ、と。
この町に来た理由は一つ、ロアンに会う為だ。
ロアンとの約束がある。
邑に帰らず港町に永住するなら住民登録をすること。
住民登録をしないのなら港町を出ること。邑に帰るなら案内役を紹介する。
必ず守らなくてはいけない内容ではない。
けれど、土地勘のない旅は危険過ぎる。
案内役も自分たちで見つければいい。いや、出発前に探したのだ。
邑で織られた生地は高級品として市場に出回っている。けれど、卸している商店が見つからなかった。
いくつかの商会を聞き回っても出所不明。
地方神殿に属している商会ではないかという噂しかわからなかった。
つまり、ロアンが直接管理している可能性が高い。
なのでロアンの手を取ることを選ばざるを得なかった。
それに都の神殿の様子も気になる。
邑に移住してもう十年以上経っているが、クロウを執拗に殺そうとしていた大神官や都の家名持ちたちが、このままずっと見逃してくれるだろうか。
杞憂ならいいが、クロウがまだ狙われているならなんとかしたい。
その為にロアンを利用するのだ。
「そこのおまえ! 止まれ!」
神殿に向かう途中、見回りの兵士に声をかけられた。
男はきつくリンを睨みつけている。
命令形であることから無視はできない。後で面倒なことになる。
静止の声と共に矛先を向けられた為、通りがかった人々から白い目で見られてしまった。
「何か?」
「どこから来た」
「えっと……ここから東の港町だ。昨日、運河の連絡港に着いて、さっきこの町に到着したんだが」
「本当か? 証拠はあるのか」
「あるぞ」
疑って掛かる兵士にスエンが応じた。
「船を所有する商会の手形だ。こいつの身元は俺が保証する」
「なんだ、お……っ!? おまえは東の」
顔見知りなのか、スエンを見て目を丸くした。
いつかの合同演習で一緒になったことがあるのだろう。
「辞めた。今はこいつの旅の同行をしてんだ」
「おまえ程の腕を持っていて、もったいない! 出世できただろうに」
「はははっ。先を急いでんだ。問題あるか?」
「いや、ない。行っていいぞ」
兵士は矛を収め、道を譲る。
「待ってくれ」
スエンに手を引かれるが、呼び止められた理由が気になる。
スエンやリャンではなく、リンのみに向けられたのだ。
「何故矛を向けられたんだ? 何かやっただろうか」
兵士はばつが悪そうに頬を掻く。
「都の家名持ちが、黒髪の目つきの悪い男が来たら捕まえろ、と人相書きを持って詰所にきたんだ。あんたに似ててよ」
「!」
「家名持ちがわざわざやってきたもんだから、罪人は皆で捕まえねえとってなったわけよ」
ホ家の男と同じだ。
リンを探しに来た邑の家名持ちに違いない。
役人まで使って捕らえようとしている。
「それはいつのことだ?」
「一年ちょっと前だったか」
「なら、こいつじゃない。一年前は東の町で暮らしていた。それにこう見えて女だ」
「女ぁ!? そりゃあ悪いことしちまったな」
「いいや、大丈夫だ」
頭を下げる兵士を苦笑で許す。
今度こそ行こうとしたら、今度はリャンが兵士に問いかける。
「なあ、その家名持ち、名乗ってたか?」
「そりゃあ家名を言われねーとわかんねーよ」
「どこの家だ?」
「確か……ト家、だったな」
町に着いた時分はすでに夕刻。
神殿に赴いたが、さすがに時間が遅すぎて門前払いされ、取り合ってもらえなかった。
翌日に謁見できるように面会を申し込んだ。
仕方なく市街へ引き返して宿を探す。
神殿があるだけあって、町は整備が行き届いてどこも綺麗な印象を受ける。
立ち並ぶ建物も上品で明るい。
夜なのに燈が灯っているおかげで安心して外を出歩ける。
町の外とは石壁で囲まれている為外部からの侵入は難しい。
同時に神官の特別な許可がなければ出ることもできない。
町の中の野宿は人が取り締まりが厳しくて難しいだろう。
安宿でいいから寝床を見つけないといけない。
「まだ空いてる部屋あっかなー」
「わからん。探すしかねぇだろ」
「神殿の客室使わせてもらえたらよかったのになぁ」
「無理だろ」
「普通は貴賓以外泊まることないけどな」
リンとリャンは、幼い頃から神殿に近かった所為か、普通ではない発想が生まれている。
スエンはそんな二人に呆れた目を向けた。
屋台通りに差し掛かると、四方から様々な匂いがして空腹を覚えた。
大食漢のスエンの腹が鳴る。
「腹減ったな。宿が先か、飯が先か」
「宿だろ」
「そうだよな……」
再びスエンの腹が大きく鳴った。
思わず腹を抑えるが、鳴ったものは取り消せない。
「俺が宿探してくっから、二人で飯食ってろよ」
「…………そうさせてもらう」
「屋台でいろいろ見繕ってくるから、商店街の大提灯前で落ち合おう。さっき絡まれた近くにあった」
「了解~」
リャンはひらひらと手を振りながら、宿屋街の方へ歩いていった。
リンはスエンを伴って屋台が並ぶ方へ向かった。
神殿への道すがら、だいたいの地形を覚えた。
港町と似ていて、格子状の道に区切られた区画毎に店がある。
店の種類もだいたい同じ区画で固まっているので、食事を売っている店はだいたい同じ区画にある。
「何食う?」
「とにかく腹に溜まるもんだな」
とにかく空腹を抑えたいスエンは即答する。
屋台の定番は蒸した饅頭や鉄板焼き、団子入りの湯も人気が高い。
リャンには内緒で熱々の湯を飲みながらぶらぶらと屋台を練り歩く。
蒸したての粽と焼栗、薄く焼いた卵に炒めた肉を巻いたものも購入した。
人通りが多いので落とさないように鞄に詰めておく。
大提灯の前へ行くと、すでにリャンが待っていた。
「飯買うだけでどんだけ時間かけんだよ」
「どれも美味そうで、迷った」
「観光してんなよ」
「宿はあったか?」
「あったあった。あったけどぉ……」
言いにくそうにリャンは視線を逸らせて唇を尖らせる。
リンはリャンの脇腹を掌拳で突いた。
「リャン兄」
「どこも部屋がいっぱいで二人部屋一室しか取れなかった」
「…………」
「? なんか問題あったか?」
男二人が気まずい空気を出している横で、リンは首を傾げている。
男所帯で育ったリンに危機感はない。
リャンはリンを常々弟と言っているので何かあるわけではないのだが、問題はスエン。
生足を見ただけで部屋を飛び出す男だ。
船では毛布にくるまり小さく蹲って眠っていた。
同じ寝台に横になるとなると話は違ってくる。
かといって、図体のでかい男が二人並んで寝るのは、嫌ではないが、なんとも言えない複雑な気持ちになる。
野宿が多いであろう旅なのだ。文句は言えない。
「宿が決まったなら飯はそっちで食おう」
「ちょい待ち。酒買おう、葡萄酒」
「温めたやつならいいぞ」
「それ酒精死んでんじゃん!」
「酒臭いやつの隣で寝るのは嫌だ」
リンは当たり前のようにリャンと一緒に寝るつもりだ。
スエンは無意識にため息を吐いた。
結局、水筒に水だけ詰めて宿へ向かった。
取った部屋は寝台が二つ並んだ部屋。
机はない。
三人で泊まる為、毛布を一人分多く貸してもらった。
早速、買ったばかりの食事を広げる。
まずは熱が残る卵焼きと粽をそれぞれ手に取る。
「明日、どうする?」
「どうって、ロアン様のところに行くんだろ」
「その後だよ。ロアン様が素直に送り出してくれると思ってんのぉ?」
リャンの懸念にリンは言葉を詰まらせる。
「ロアンって神官様はいい人じゃないのか?」
ロアンとほぼ面識のないスエンが訊いた。
手には三個目となる粽が握られている。
「ロアン様がどんな方かよく知らないけど、リオン様の兄貴だからなぁ」
「そうなんだよな。リオン様の兄君なんだよなー」
一度だけ会話を交わしたリンも、ロアンからリオンと同じ匂いを感じた。
だから親近感が湧いたし、警戒心も強くなった。
「だからリオン様ってのも知らねぇってーの」
むしゃりと粽を貪る。
「リオン様はいい方だよ。俺を拾ってくれた恩人で、クロウと分け隔てなく育ててくれた。厳しいけど優しい方だ。だけど、なんていうか……」
「クセが強い。仕事ができて有能なんだけど」
「決断力もあって行動力もあるんだけど……ちょっと、面倒臭いところがあるよな」
「なるほど」
リンとリャンは頷き合う。
厄介な人物と認めながらも慕っているのが窺える。
二人から面倒だと思われている人物の兄は厄介な人物と疑わざるを得ない。
警戒するには充分だった。
「あとリーなんだけど」
「俺?」
「もうちょい女に見える格好しな」
「なんで?」
リーの格好は男に見えなくもない旅装。動きやすさ重視の為、丈が短い。
女性も褲をまったく着用しないことはないけれど圧倒的に裙を着ている女性が多い。
そんな風習の中で褲を着ていると、印象だけで男性と見られてしまう。
「さっき男に見られて絡まれただろ。女に見られて方がいいんじゃん?」
「あーー……そうだな」
「どういうことだ?」
二人はわかりあっているが、スエンは邑の事情を知らないので話についていけない。
一緒に旅をするのなら知っていた方が良い事柄だ。
「リーは邑の家名持ちに首狙われてんだよ」
「はあ!? なんでだっ!?」
「……クロウの近くにいた俺が邪魔なんだろ」
「クロウ様が、リーが帰るまで結婚しないって宣言しちゃったんだわ。だから、自分の身内を結婚させたい強欲なおっさんたちがリーの首だけ持って帰ろうとしてんだ。クロウ様も生死のことは言ってなかったし」
「おいおい」
「さっきの役人も、目つきが悪い黒髪の男、って言ってただろう? だから女に見えた方がいいじゃん」
邑では男で通っていたリンだ。
似たような顔だと気づいても女だとわかれば疑いが晴れるだろう。
「邑で俺が女だって知ってるのはリオン様とラン夫人だけだしな」
「あとクロウ様もな」
「まだ疑ってんのか?」
「いや、絶対知ってる。クロウ様がお前に指輪作ろうとしてたの知ってんだからな」
「あれか……あれは、違うだろ」
「求婚する気満々だったって。お前に渡せないからって俺とジウのなめそれ聞いてきた」
「あいつそんなことしてたのか?」
リンは呆れたため息を吐いた。
リャンも苦笑している。
クロウのリンへの執着は周囲が知ることだった。
「なんで命狙われてるのに軽いんだよ」
「今更だし?」
邑にいた時から表立っての嫌味から、陰からの嫌がらせもたくさん受けてきた。
クロウのそばにいる限り、ずっと狙われることはわかっていた。
まさか、失踪してからも狙われるとは思わなかったけれど。
「そういやあ、さっきガイ見たかも」
「ガイ? …………あぁ、ト家の」
思い出したついでのようにリャンがある名前を出した。
記憶に残るような男ではないので思い出すのに少し時間が掛かっただけ。
「おう。遠目だっし一瞬だったから確かめてないけど」
「ト家ってさっき聞いた……」
「あそこはやりかねないだろうな、って思ってたから、そんなに驚いてない」
「だからなんで軽いんだよ!」
スエンが吠えるが、リンたちは軽く流した。
買った食事の残りは鞄に戻す。
栗は皮付きなので携帯食として多めに購入した。
町を出る前にもう一度商店を見て回って食料を買い足したいところだ。
「女っぽくっていっても、服は買わないとないし。髪型だけでもそれっぽくするか」
「とりあえずはいいんじゃん?」
「はあ。朝一で神殿に行くんだろ。もう寝んぞ」
スエンの号令で就寝時間となった。
結局、二つ繋げた寝台に三人並んで眠った。




