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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 6
65/123

リン 二十 ー 22 ー

大陸南部より北へ伸びる運河。

都郊外、大神殿へ続く主要道を使って物資が運ばれる港まで、人工河は続いている。

何千里も続く運河に点在する町は各所に地方神殿が設けられる程、重要視されている。

中でも運河最南端は海に面しており、南部地方にあるいくつもの大きな港と交易が盛んで、流通の要とされている。

大きな荷が動くことに比例して、港で働く人、つまり町の人口が増える。

人が増えるということは、荷に群がり悪事を働く輩も同じく増える。

大きな港を抱える町は、魔よりも悪徒の脅威に怯えている。

その為、神殿が派遣する役所の兵士は、専ら人間問題になっていた。


港に並ぶ船の殆どが商人の持ち船。

大小様々な船が港に着け、早朝から人夫が忙しなく荷を運び入れている。

ちなみに、漁師の船着き場は商船とは別の場所に設けられている。

今、一隻の商船が出発した。

小規模な船は、物資運搬の拠点として栄える運河最南端の町へ向け進んでいる。

乗組員は、商会の主人と従業人数名、港に出るという海賊に備えて雇った護衛が数名。

こぢんまりとした船は、連絡船として利用され、一見して長期の船旅に向いていないことがわかる。

百人も乗れば沈んでしまいそうだ。

階下の部屋は大小合わせても五室のみ。

嵩張る荷は甲板、風で飛ばされそうな小さな荷は船内へ。

波は穏やか、追い風を受けて船は順調に進む。

沖へ進むに連れて陸が小さくなっていった。

周り一面は海。目印がなければ方角があやふやになりそうだ。

水面に反射した光がキラキラ光る。

時折、海面から魚が顔を覗かせ、航跡を見守る。


リャンは荷が入った木箱に腰掛け、新しく出来た友人を眺めていた。

足元が覚束ないほどよれよれで、真っ青な顔で立っている。

友人の横には弟分である幼馴染みが付き添っていた。


「大丈夫かよ」

「……すまん……うっぷ」


少しでも気分を和らげようと背中を摩る。

初めて船に乗るらしく、上下に揺れる衝撃に体がついてこなかったようだ。

仕方なしに、リャンは世話になった老師から貰った酔い止めの薬を懐から出した。


「初日からこんな調子でついてこれんのぉ?」

「悪い……」


スエンは薬を飲んだ三分後、限界に達した。




甲板から降り、休憩の為の小部屋を一室借りた。

とてもではないがスエンに船の護衛を任せることが出来ない。


「こっちは俺たちに任せて、大人しく寝てろよ」


寝台などないので、床に横たわらせ、毛布を被せる。

毛布から青白い顔を出したスエンが力なく頷く。

日が高いうちは海賊は出ない。

日の出・日の入りや悪天候など視界が悪い時分に出るという。

早朝に出港して数刻。今が日が一番高い時だ。

障害になるものもない見晴らしは、比較的安全な航海だった。

護衛より船内の雑用の方が比率が大きいくらいだ。


「面目ねぇ……」

「いいってぇ。水貰ってきてやるからさー」

「リャ……っ」


片手をひらひら舞わせ、リャンは部屋から退室していった。

リャンを見送り、リンはスエンに付き添って隣に座った。


「…………」

「リン…………まだ怒ってんのか?」


互いに気まずい心地を味わっていた。




事は乗船前まで遡る。

世話になった人たちに別れを告げ、案内役の商人が待つ港へ向かった。

そこにいたのがスエンだ。

しばらく酒場に顔を見せない所為で、挨拶も出来ないまま別れるはずだった男がいたのだ。

しかもリンたちと同じく、旅装束を身につけているではないか。

驚かないわけがなかった。

なのに、兄と慕うリャンも顔見知りの商人も、スエンがいることを当たり前と受け止めている。

つまり、知らなかったのはリンだけだ。

もちろん、血気盛んなリンはスエンに掴みかかった。


「なんでこんな所でいるんだよ!?」

「言っただろ。お前らに付き合うんだって」

「なんで……あんたには仕事も家族もあるじゃないか。捨てるつもりか!?」


リンとリャンが町を出る理由は、故郷に帰る為。

スエンは邑に縁がない。

神殿の役人という職と、両親と兄弟という肉親がいる。

目的の場所は魔の森に囲まれ、外部に出ることも入ることも簡単にはできない。

リンたちについていったら、全て失ってしまう。


「仕事は辞めたし、家族には挨拶行ってきた」


酒場に顔を見せなかった数日の間、故郷に帰っていたという。

既に住処を引き払っており、手持ちの荷以外全て手放して此処にいる。

本気なのだ。


「後悔しても知らないぞ」

「いい」


お前といられるなら、とスエンは静かに笑った。

リンは聞かなかったことにしようと、視線をそらした。




そんなやりとりがあったのだが、スエンは絶賛後悔中である。

馬車も乗馬も平気なのに、まさか船に適性がないとは本人も思っていなかった。


「怒ってない。あんたが、後悔してるんじゃないかって、思ってるだけ」

「いやいや。こんなの後悔のうちに入らねぇだろ」

「あと、あんたが大人しいと小言がなくて静かだな、って」

「……言ってほしいのか?」

「俺、今男に見える格好してるから、言われるかと思ったんだけど……」


旅装束に、襦裙に動きやすいよう腕と腰と脹脛に麻の布を巻き付け、外套を羽織っている。暖かい気候の為、襟はゆったりと開いていた。

胸元まで伸びた黒髪は頸で一纏めに括っている。

化粧っ気のない肌は余計な肉付きがない所為か精悍で、中性的な男性にも見えた。

こんな格好をされては、邑でずっと男と勘違いされていたのも頷ける。


「スエンに文句言われてもこの格好を通すけどな」

「旅は長くなるんだろ? 魔憑きにも遭うかもしれないなら、動きやすい格好のがいいんじゃないか」


何故か得意げなリンに、スエンは呆れた目を向ける。

再び船が大きく揺れると、顔色を悪くした。

踞って胃からせり上がる吐き気を堪えた。


「港に着くまで大人しく寝てろって」


ポンポンと毛布の上からスエンの肩を叩いた。

船での旅は二日半。三日目の昼頃到着の予定だ。

三日間、スエンは使い物にならないだろうな、としのび笑いを殺した。




夜の海は静かだ。

漁に勤しむ近隣の船も、海鳥の鳴き声もない。波の音しか耳に届かない。

辺りは暗く、空からの僅かな光が、甲板に影を作る。

船に設置されている篝火は、神官が生み出した魔を避ける炎ではない。どこにでもあるただの松明だ。

海に魔は出ないとされている。

実際、悪天候で船が横転してしまい戻らないことは時折あるが、魔の被害は聞かない。

少なくとも、リンは知らなかった。

港町に住んでいた時も、邑で暮らしていた時も。

なので、警戒を怠り過ぎだと感じても、周囲が普通だと唱えればそちらが通る。

そもそも、日が高い時でも炎が欠かせない邑が異常だったのだが。

被害がない以上、海に魔はいないとされている。

海は安全と思われるが、人が海上で生きられるというわけではない。

陸地でないとやはり人が生きるには難しいのだ。

大陸は広い。

南部だけでもいくつも港が存在している。

南東の港から運河南端の港への輸送もよくあるが、いくつもの港を経由して、往復で半年かかる長期の航海になる。

近隣の港へいくだけでも数日かかるので、多くの商船に寝泊まりできる設備が設置されている。

しばしの間、潮に流されないように碇を下ろして停船している。

魔と関係なしに、夜の航海は危険を伴うからだ。

危険があるとしたら、海賊の襲来。

その為のリンたち護衛だ。

護衛は交替で周囲の見張りについている。

篝火を頼りに甲板の前方と後方に分かれて警備についている。

今のところ周囲から近づく影はない。

波も穏やかで天候が崩れる様子もない。

気を緩めるわけではないが、隣にいる者とお喋りするくらいの余裕はある。


「大丈夫か?」

「あぁ。寝たら少し良くなった」

「ならいいけど」


リンとスエンは船の後方で船縁に凭れていた。

気配に敏感なリンが緩んだ様子を見せるので、本当に危険はないのだが、真面目なスエンは気を張って周囲を警戒している。

せっかく立てるまで回復したのに、これではまたすぐに倒れてしまいそうだ。


「もっと肩の力抜けよ。海賊船も魔憑きもいないんだしさ」

「いないなんて、言い切れるのか?」

「俺が見える範囲にはな」


魔に憑かれているリンは暗闇でも視界が広い。

更に常人の何倍も遠くのものが見通せる。

ひとまずリンを信用し、スエンは剣の柄から手を離した。

大きく息を吐いて肩の力を抜く。


「魔憑きは他の魔憑きまでわかるのか」

「いや。わかんねぇよ?」


リンの返しにスエンが目を丸くした。

意外過ぎたのか声も出さない。


「俺も魔憑きになってから知ったんだけど、魔憑き同士で交信し合ったり、見ただけで互いが魔憑きかわかるとかないんだ」


リンがホ家の男に襲われた時、男が魔憑きとすぐにわからなかった。

あからさまな身体変化がない限り、見分けるのは難しい。


「だから、リャンが魔に憑かれてるかどうか、わからない」

「リャンが!?」


ずっと考えていた。

リャンが、大怪我を負っていたものの、五体満足であの町に流れ着いたことを。

リンが無傷で流されたのは、魔がリンの身体を守っていたからだ。

では、リャンが運河を越えてリンと同じ町まで流されたのは? リャンも魔憑きでないと説明がつかない。

しかし、クロウの力の欠片を宿した剣に触れても何の反応もなかった。


「本人にも自覚はない。俺みたいに、魔の声が聞こえないみたいだし。回復力は普通の人と変わらない。筋力も普通。魔憑きだとしても、今の状態じゃわかりようがない」

「なんでそんなこと思っちまったんだ?」

「俺たちの邑は魔の森の奥にあるんだぞ。運河の向こうだ。そんな所から流されて生きていられるなんて、魔憑きと疑えと言っているようなもんだろ?」

「そ、それは……そうかもしれないが。わからないんだろ?」

「うん。でも、大抵の魔憑きは見た目でわかるから。リャンがどっちかわからない以上、今はいない、ってなる」


話は終わりだ、と言わんばかりに船縁から背を離し、海側を向いて頬杖をついた。

ぼうっと水平線を眺める。

ザザンと音を立てて返す波とどこまで広がる暗い水面しかない世界が広がっている。


「…………なるほど。聞かねぇのか?」


スエンが真っ直ぐリンを見る。

横目で受け止め、すぐに視線を海に戻した。

僅かに眉間に皺が寄る。


「聞けるかよ。自分が魔憑きだってことも納得するのに時間がかかったのに……」

「リャンとは、これからしばらく一緒だ。確認しないと不安じゃねぇのか」


スエンとて、リンが自分でつけた傷が異常な速さで治っていくところを見なければ、魔憑きと信じられなかった。

出会って数ヶ月。リンはどこから見ても周りの人と変わらないただの娘だ。

力の片鱗を見せられなければ、嘘をつくな、と一蹴したことだろう。

リャンも同じだ。魔が憑いているようには、まったく思えない。

疑っているのに一緒にいなければならないのは、正直堪える。


「力比べなら負ける気はしないけど」

「そうかよ」


戯けた言葉に、スエンは目を丸くした。

スエンの顔を見たリンはくすりと笑う。

態と茶化した言い方をしたのは、リンよりもスエンのか険しい顔をしていたからだろう。


「もし邑に着く前にリャンが魔憑きになって、俺たちを襲ってきたら、もちろん討伐する。それを師匠たちに伝えるのは……辛いな」


波の音と一緒にスエンの耳に届いたリンの小さな弱音は、想像とは違うもの。

親しい間柄であろうと、魔に犯され人を襲うようなら切り捨てる。

それは変わらない。

幼少期から親しいからこそ、自分の手で始末を請け負い、相手の家族を案じる。

節目がちに暗い海面を見ている目は、けしてその場凌ぎの言葉ではない。

ずっとリンが抱いていたものだった。

胸に燻る不安は、弱点になる。

スエンの前でリンが弱みを見せたのは、病室の一件と今の二度だけ。


「泣きたいなら、胸貸すぞ?」

「さすがに泣かねえよ」


リンは苦笑した。

スエンも苦笑を返したが、どことなく残念そうに見える。


「今は、無事に邑に帰れることだけ考えるよ」

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