【間話】 十六 赤い石 ー 1 ー
作中で話題の赤い石を巡るすったもんだの部分です。
二人が一緒にいるので本編より糖度は高いはずです。
朱色は神聖な色とされている。
闇の化身である『魔』が朱色の炎を嫌う故の、命を持つ者の守護の色だ。
しかし、朱色を所有できるのは神官のみ。
平民がその色を持つことは禁じられていた。
それ故、赤や紅などの類似色が一般的に使用されている。
朱に近い色は神殿に咎められる為、薄赤や深紅など濃淡を変えることが流行った。
普段着から日用品、家具に至るまで神殿以外に朱色を見かけることはない。
都から遠く離れたーー邑であっても例外ではない。
約一月前、大陸に大きな嵐がやってきた。
海の向こう、西南から近づき、大陸の西の果てにある邑から、山脈を越えた中東部に位置する都まで威力を弱めることなく通過していった。
半島に及ぼした被害は甚大。
最南端の崖を崩し、邑の周囲を囲む森の一部を燃やし、止まない雨で家財が流された家もある。
強風に煽られた木材が邑を守る壁を瓦礫に変え、魔が邑内に侵入したが、危険性がある民家の住民は皆神殿に批難していた為、人的被害は奇跡的になかった。
邑内の修復作業が終え、落石の調査が始められた。
長年、荒れた波が岩を削り、半島の先端が出っ張りとなって崖下へ降りることを不可能にしていた。
この度の嵐でその出っ張り部分が海に落ちた。
固い岩盤には鉱石が眠っていることが多かったが、危険性から崖下の採掘は手つかずになっていた。
つまり、新しい採掘場所が拓けたのだった。
「失礼します」
邑の中心にある大きな建物、宮殿といっても差し障りがない広く高貴な神殿がある。
神殿には行政区と居住区がある。
居住区はその名の通り、神官と世話をする身内が住まう私設区域。
行政区は邑の政を行う公設区域で、二百もいない邑民が一堂に集まれる講堂も備えている。
行政区の奥には官吏たちの執務室がある。
部署毎に分けられた執務室の一つ、朱色の扉の部屋は邑で唯一使用が許されている神官の仕事部屋だ。
採掘技術者の責任者が神官の執務室に入っていった。
彼を出迎えたのは神官付きの文官と護衛兼従者、神官職を賜っている若者、クロウだった。
クロウは書面から顔を上げ、採掘責任者の報告を聞く。
「ご報告します。南部の採掘ですがまだ不安定で崩れやすく、更に調査が必要です」
「わかった。調査の詳細は任せる。決まったら日程と予定採掘量を教えてくれ。人員が必要ならそちらも合わせて」
「ありがとうございます。あと、本日新たに掘った場所からこちらが……」
採掘責任者が脇に抱えていた布の塊をクロウの前に開いて差し出す。
一応、危険がないか従者が預かって確認する。
一瞬息をのんだが、問題ないと判断し、クロウの執務机に置いた。
布の中身にクロウも文官も目を見開いた。
「これは……奇麗だな」
「はい。光を当てるとまた違った色が現れます」
採掘責任者が持ってきた物は、赤い石。
透明度があり、光の屈折具合で赤から橙、深紅から虹色に変化する。
子供の手のひら程の大きさがあり、やや歪だ。
表面は採掘したばかりで土汚れがあるが、磨けば装飾品として都の大店にも並べられる品質だ。
「硝子ではなさそうだ。色鉱石か?」
「おそらく。紅玉だと思われます」
「こんな海近くでも採れるんだな」
「もしくは、数百年前の落とし物という可能性も」
「なるほど」
数百年前にも、この地に集落があった。
邑に隣接する森には『魔』が住んでいる。
魔と人は共存できない。魔が人を襲うからだ。
邑が集落として機能しているのはクロウの神官としての能力があったからに他ならない。
神官は魔が嫌う炎を生み出せる。
炎を持って人は魔に対抗してきた。
数百年前にあったかつての集落から炎の使い手が潰え、半島全体が魔に支配されていた。
当時の住民の持ち物かもしれないということだった。
「見た所、魔の気配もない。ただの鉱石だろう」
「でしたらこちらをクロウ様に」
「石屋に持っていかなくていいのか?」
「錫や銅なら持っていきますが、赤い石ですので」
資源が乏しい邑では採れた物は邑民の財産として邑が管理し、必要な物資が給付される。
一部の家名持ちは例外となるが、実のところ邑も神殿も自給自足の貧乏生活をしている。
装飾品にしても華美なものはない。
着るものでも神官と平民で殆ど差がなかった。
赤いものは神官のもの、という習慣が根付いているからこそ、採掘責任差者はクロウの元へ石を持ってきたのだ。
「では、ありがたくもらっておこう」
クロウは赤い石を眺めてふっと笑みをこぼした。
「これ、どうすンすかぁ?」
本日の護衛兼従者のリャンが石を指差して聞いた。
都の神殿とは違い、邑では神官と民との距離が近い。
都からの逃亡を経て、邑興しを共に尽力している分、気安さがある。
それに、リャンは武術の兄弟子であり幼なじみ。クロウにとって頼れる兄貴分だった。
「加工して装飾品にする。指輪と首飾り、どちらがいいか」
「クロウ様の好きにすればいいのではぁ?」
「揃いにするにしても、この大きさではな」
「え、ちょっと、クロウ様まさか……」
「俺はともかく、リーは紅が似合うと思わないか?」
「やっぱり」
リーというのはクロウの幼なじみ。
幼い頃、都の貧民窟で先代神官に拾われて以来、クロウの従者として共に育ってきた。
武術も一緒に習い、本日は外壁の見回りの任についている。
「クロウ様ぁ、野郎に指輪を贈るのはナシですよぉ」
「なら首飾りか。一つ分しかできないが、まあいい。細工が得意な者は手隙だったか」
「皆、畑と道路整備でいっぱいですね。来月以降かと」
「リャン。じいさんに工房の予定を聞いて……」
「リーじゃなくてご自分の飾りを作って下さい、っつってんですよっ!」
すらすらと事業予定日数を計算した文官とは反対に、リャンはクロウの言葉を遮った。
いくら親しい間柄だといっても、教育係でもないのに表立って神官に意見するのはリャンとリーくらいだ。
「赤い石ですよ!? そんなもの男にやってどうするんですか!」
「俺よりリーのが似合う」
「似合う似合わないんじゃなくて! 神官が赤い装飾品を渡すってどういう意味があるかご存じないんですか!?」
「知っているに決まってるだろ」
しれっと答えるクロウに、リャンは額に手を当てた。
神官が臣下へ朱や近い赤の物を渡す行為は意味がある。
男の臣下へは剣や鎧などの武具を。命を預ける信頼を示す。
女には装飾品を。こちらは求愛を意味する。
男への装飾品の贈与は、服につける釦や加工前の石そのものを渡すのが一般的。
指輪や首飾りなどを贈るのは嫌厭される風習があった。
幼い頃から片時も離れず一緒に育ったクロウが知っているなら、もちろんリーも知っている。
「でしたら、リーは受けとらないかもしれませんね」
「俺が贈った物でもか?」
「その自信、どこからくるんですかぁ」
以前、クロウがリーへ朱色の鞘に収めた剣を贈った時は、それはそれはとても喜んでいた。夜は傍らに抱いて眠る程に。
自分専用の剣が手に入ったことより、クロウからもらったことが何より嬉しかったのだと、クロウは知っている。
なので、クロウから手渡される物なら、採ったばかりの果実でも古着でも笑って受けとるはずだ。
「では、先に意匠の希望を聞いておくか」
「渡すことは決定なんですねぇ……」
神殿居住区のクロウの私室、外壁の見回りから帰ってきたリーといつものように共に食事を取る。
神官の食事の席に給仕はいない。
神殿の厨房で作られた食事を女官が届けてくれるが、机に並べるだけで退室している。
リーも配膳を手伝ったら同じ席に座り、同じ物を食べている。
十四で成人を迎えたクロウとリンは、一緒に過ごす時間が減ったが、食事だけは毎日毎食一緒だった。
子供の頃からの習慣だが、都にいた頃は別の意味があった。
クロウたちが都を追われた原因でもある。
夕餉の席で赤い石が掘り出されたことを話した。
現物は執務室に仕舞っているので見せられないが、おそらく紅玉だろうと言うと、ふーんという返事がきた。
長い付き合いからわかる、興味がない「ふーん」ではなく、興味がないように見せている「ふーん」だ。
クロウが赤い石を持つ意味をわかった上での返事なのだ。
多少なりとも興味がある様子にクロウの機嫌が上昇する。
「それで、お前用に装飾品を作ろうと思うんだが、どんなものがいい?」
「はぁ? いらねぇ」
何寝ぼけたこと言ってるんだと言わんばかりの拒否にクロウは絶句した。
まさか断られるとは思ってもみなかった。
「紅玉だぞ?」
「紅玉だろ!? 俺にやろうとするな。宝石だぞ!? しかも赤色!」
リーだから贈りたかったのだが、伝わらない。
贈り物としては欲しいと思ってくれているはずなのだ。
高価なものだから遠慮したというわけではあるまい。
剣なら素直に受け取るのに装飾品は拒否をする。
女なら欲しがるものなのに。
本人は隠しているつもりらしいし、周囲も勘違いしているので黙っているが、リーの性別が女だということは知っている。
幼少期からの付き合いで、それこそ着替えも就寝も共にしていたのだから、気付かない方がどうかしている。
クロウにとってリーは片翼ともいえる唯一の女だった。
だから紅玉を使った装飾品を身につけて欲しかった。
男女問わず人に好かれやすいリーを独占するためには、明確な印があればいい。
神官だけが許される朱色のものを身につけさせれば、男女関係なくクロウが独占できる。
剣だけで足りない。
「俺はいいから、自分の飾りを作れって」
「必要ない。そもそも俺に赤色が似合わない」
「そんなことないだろ?」
リーは素できょとんと首を傾げる。
クロウの容姿は正直邑で一・二を競う程優れて美しい。
ただ、その色彩は常人とも神官一族とも違った。
リーをはじめ、大陸に住む大多数は黒髪黒目を持っている。
神官の血筋は神聖な朱色髪に朱混じりの茶色が目に表れる。
先代の神官を日頃から見ているので間違いない。
クロウの色彩は白髪金目。異端だった。
先祖にも同じ色を持った者が生まれたらしいが、一族から迫害され人知れず亡くなったと聞いている。
異端だからこそ差別され、実父に捨てられた。
リーが奇麗な色だと言ってくれなければ、忌彩だと嫌っていただろう。
ただでさえ死者の様な色なのに血を連想させる赤の飾りをつけるとなると、死相が出ているようで気分が良いものではない。
「ツェイ夫人が刺してくれた椿模様の襦、すごく似合ってただろ」
「……そうか?」
「赤い地だからクロウしか着れないものだし、クロウに合うように意匠してくれたんだろう」
「そうだな」
「だから、紅玉の飾りはクロウに合うように作ってもらえばいいって、なっ!」
「…………」
あくまでクロウの装飾品にと押し切られ、夕餉の席で石の話は終わった。
これ以上口にしたらきっとリーは怒る。
時には怒らせたくなる日もあるけれど、赤い石を絶対に受けとらなくなるのでこの辺りが引き際だった。
作って押し付けてしまえばこちらもの。
まずは物を用意しようと計画を立てることにした。




