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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 5
59/123

リン 十九 ー 20 ー

あけましておめでとうございます。

今年もばんばん更新していきますのでよろしくお願いいたします。

『やっと……』


聞き覚えのある声がして振り返った。

あるのは寝台のみ。人影はない。


「……?」

「どうした?」

「いや。今声が……って、スエンは?」

「いない。どこ行った?」


病室にはリンとリャンの二人だけ。

つい先程までスエンがいたはずだ。顔を見合わせ首を傾げる。

出て行くとしても出入り口は一つ。

リンが扉を開く。


「スエン?」


廊下の隅で踞っているスエンを発見した。

ぼんやりと天井を眺めて、リンに気がつくと緩慢に視線を動かした。


「終わったか?」

「あぁ、うん。あんたはこんな所で何してんだ?」

「俺は…………よくわからん」

「なんだそれ」


あってないような答えに思わず苦笑してしまう。

手を伸ばすと、スエンはそれを掴んで立ち上がった。

子供の頃から大人の男性に囲まれて育ち、当たり前のことだったけれど、不思議な気分になった。

リンの手をすっぽり隠してしまう程大きく、鍛錬を重ねていることがわかる程厚く、隆々の体格と同じく角張った逞しい手だった。

じっと重なった手を見ているとスエンが首を傾げ訊ねてきた。


「どうした?」

「えっと……男の手だな、って思って」

「ーーーーっ!」


慌てて振り払うようにスエンは手を引っ込めた。

顔が耳まで赤く染まっている。

暗がりだったが、魔を宿すリンにははっきり見えた。


「い、や……だったか?」

「え? 全然、嫌じゃねぇけど」

「そうか」

「大っきくて男らしいな、って見てたんだけど」


いくら男らしく振る舞っても体格の差は埋められない。

背は町をすれ違う女性たちより高いが、男性に間違われることは殆どない。偶にどちらかと訊ねられることはあるけれど。

手もそうだが、首や肩や腰も、男と女手は違うだろう。

邑に帰っても男で通すのは難しいかもしれない。


「そうか……男らしいか」

「うん。羨ましい」


本当に男だったら、守れるものがもっと多かったのにと思ってしまう。

男だったら、他人を気にせずクロウの傍にいられたのに。




「ほんとーに、あなたの片翼は質悪いっスよぉ、クロウ様ぁ」


リャンが何か言っていたが、よく聞き取れなかった。






町を出て、邑に帰る。

口に出したら、実感がじんわり湧いてきた。

帰ってはいけないと律していた枷が外れた気分だった。

けれど、今すぐではない。

リン自身に軛はないが、リャンの怪我が治りきっていない為、リャンの療養が第一。置いていく、という選択肢はない。

邑までには山がいくつもある。松葉杖でやっと歩ける程度では山越えは無理だ。

魔の森に近い山は特にたくさんの魔憑きが出る。

松葉杖が外れても、魔憑きが出る道中でまともに動けるはずもない。出来る限り万全な体調で向かいたい。


帰るにあたり問題はいくつもある。おおまかに言うと、経路と旅費不足。

経路はとりあえずのあてがあるので後回しにした。

二年間、リンが酒場で働いて貯めた貯金はあれど、一年も掛かる旅を賄える金額にはほど遠い。しかも二人分。

シャオ老師へ払うリャンの治療費もある。


「はぁ……どうすっかなー」

「どうするって、何かあったのかい?」


独り言のつもりだったけれど、聞こえてしまったようだ。

朝も早くない時分。色街一の娼館の娼婦たちが朝食を食べに来ていた。

ほかほかと湯気が立つ粥の碗を姐さんの前に差し出す。

姉さんたちは粥に手を伸ばしつつ、面白そうな目を向けている。

いずれは町を出ることを話さなければならない。

情報通な娼婦たちはリンより町に詳しい。

水夫の誰それが夫婦喧嘩をした、西地区のあの店と東地区のあの店の店主は仲が悪い、など様々な情報を持っている。

彼女たちなら短期間で稼げる方法を知っているかもしれない。


「まとまった金がいることになって、どうやって稼ごうかなぁ、って」

「あら急ね。男でも出来たの?」


姐さんの目がきらりと光った。

女は総じて恋話が好きだ。


「違うでしょ。リンは里に男がいるんだから」

「てことは、やっと帰るのね?」

「なるほど。路銀がいるってことかい」


鋭い。

たった一言で答えに辿り着かれてしまった。

店の主人と女将にはすでに話してある。

出ていくことを悲しんでくれたけれど、喜んで送り出してくれるという言葉と抱擁をもらった。

あと僅かではあるが宿の一室はそのまま使っていいと言うので、ありがたく借りている。

良くしてくれた主人夫婦と別れを惜しむ気持ちはある。

けれど、自分で決めたことだ。やっと覚悟できた。

酒場とは他に仕事をしなければ、邑に着く前に路銀が尽きる。

野宿ももちろんする。保存食だけで空腹を満たすこともあるだろう。

その最低限に満たない内は迂闊に町を出られない。

旅の間で稼ぐこともできなくはないだろうけれど、準備不足で帰るのが伸びることは避けたい。


「そう。短期間で稼げる方法知らないか?」


リンの短剣を売れば、一年の旅くらい余裕で賄える。

最終手段だとしても出来はしないけれど。


「それなら、ひとつ、知ってるわ」




娼婦が提案した港町で一番手っ取り早く稼げる仕事は、色街での商売だ。

一晩、客をとるだけで一月は暮らせる。

酒場で貯まるのを待っていたら、数年は掛かってしまう。

もちろん抵抗はある。けれど、背に腹はかえられない。

娼館で働く馴染みの姐さんたちは平気そうにしているけれど、未経験のリンは身が竦んでしまう。

何より、相手はクロウではないのだから。


姐さんたちに背を押されて娼館へやってきた。

あれよあれよと着替えさせられ、化粧を施され、髪を結われ、芳香を擦り込まれた。

どの角度から見ても立派な娼婦が出来上がった。


「覚悟さえしちゃえばなんとかなるさ」

「手管なんかなくても、お客にしな垂れ掛かれば、あっちが勝手にその気になるわよ」

「は……はい」


簡単に言うが、男性にそのような態度をとったことがない。もちろんクロウにも。

リンの性格から男性に媚びるより一緒に肩を並べることを選ぶ。

その上、身を預けたりするなどしたことない。

本気で手が出たりしないか心配だ。


「でも、ちょうどよかったわ」

「え?」

「ここの主人に、リンを連れてこい、ってせっつかれてたのよ」

「なんで?」


姐さんたちは顔を見合わせ眉尻を下げる。


「前にここにいた時、客が暴れて、あんたが鎮めてくれたことがあったじゃない」

「あったな」

「その時いろんな人があんたのこと見て、あんたを買いたいって客が多かったそうよ」

「迂闊にあたしたちが着飾った所為で……ごめんよ」


姐さんが頭を下げた。

あの日、暴漢を抑えたリンは今と同じような娼婦の衣装を着て化粧を施していた。

普段の酒場で給仕をするリンを知っている者は、店に揶揄いにきた。しかし、知らない者は娼館の主人に聞く他手がかりはない。

本来、娼婦ではないリンが客の声を聞く必要はないが、迷惑をかけた一端はある。

互いに利点が合致していたからこそ、容易に都合がついたのだった。

客をとった分に上乗せをしてもらおう、と姐さんは茶目っ気を含ませて言った。


「ヘタな客つけないように言っておいたから。頑張んな」


姐さんに背中を押されて、客が待つ部屋へ向かった。

薄暗い廊下を提灯が柔らかに明かりを灯す。等間隔の光だけが視界を助ける。

とくんとくん、と心臓が煩い。

魔に立ち向かう時より緊張している。

通り過ぎた部屋から艶かしい声が聞こえてくる。

突然現実を突きつけられて、ぞっと背筋が震えた。

ぎゅっと拳を握って震えを堪える。

前を歩く下働きの下女がちらちらと振り返り、気にかけてくれている。一緒に洗濯をした子だ。

彼女が心配する程酷い顔をしていたのだろう。

大きく息を吐いた。

下女は客に出す酒が乗った盆を持っている。客が注文した品だ。

少なくとも情を重ねるだけではないらしい。


「こちらの部屋でお客様がお待ちです」


案内をしてくれた下女が戸を開ける。

布団が敷かれただけの狭い部屋に客の男がいた。

光が弱い暗がりでもリンには関係ない。男の顔がはっきり見えた。

この男がリンの初めての男になる。

ごくりと喉が鳴った。


「…………スエン?」

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