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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
クロウ 4
53/123

クロウ 二十 ー 18 ー

※リメイク済み

「愛している。何にも替えられない程。私……いや、俺の片翼だ」


扉越しに聞こえたクロウの声に、メイは扉を叩くはずの拳を下ろした。


神殿で女中務めをしているメイは、クロウの執務宮を通りがかった際、違和感を憶えて扉を叩こうとした。

執務室の前には常に誰かしら衛兵が立っているものだが、今日に限って誰もいない。

主人不在だとしても、重要なものが多数積まれている執務室を警備するのは至極当然のこと。

なのに衛兵の姿が見えないのは違和感でしかない。

せめてクロウが不在かどうかだけでも確かめようとしたのだった。

そこで聴こえてきた聞き覚えのある二つの声。

ひとつは部屋の主であるクロウ、もうひとつはメイの友人であるアイリ。

手を止めたのは二人の逢瀬の邪魔にならないよう配慮したからではなく、単に驚いたからだった。


クロウが、口を開けばリーの名前しか出さないあのクロウが、アイリに愛を囁いた。

既に妃内定はアイリにほぼ決まっていたのだが、神殿とイ家に確執がある為、先延ばしにされていた。

神殿を我が物のように操りたいカンの思惑にさせない為に。

カンひとりならイ家を取り潰せば良いだけなのだが、邑北に邸を構える家名持ちの殆どがカンに賛同している。

同じ妃候補を有していたト家ですら、カンに強く口を出せないでいた。

邑の家名持ち一派はイ家一強。

この状態でクロウがアイリを娶ろうものなら、邑すべてがカンの手中といっても過言ではない。

それを阻止する為のメイやミアンだ。

いずれにしろ、近かれ遠かれアイリはクロウの元へ嫁ぐ。

メイは胸を抑えた。

突然、ちくりと痛んだ。


「愛……ですか?」

「伴にと願って……ーー」


会話が続いている。

聴きたくなくて、扉の前から去った。






ワンリとロ家の工房で顔を合わせてから数日、事件に関して目立った進展はない。

疑わしいと思われるイ家の動き、サイリの目撃、北門の開閉など、情報を集めた。

しかし、これといって得られたものはない。

家名持ち同士の繋がりが強いというわけではない。

被害者のト家も、知らない、被った損害を払え、とまで言っている。

もちろん、イ家の家人は誰として口を割ろうとしない。

せめてサイリが邑にいたという証拠が欲しいのだが、形跡すらないのだからお手上げだった。


正直クロウとしては、誰がマオを殺したのかはどうでもよい。

だが、邑を守る神官として、民の不安を払いたい。

そして、危険に身を置いている妃候補たちを少しでも早く解放したい。

魔以外の脅威は不要だというのに。


つらつらと事件解決の算段を思考しているクロウの目の前では、三人の妃候補の親交会が行われていた。

執務室に隠っているのは良くないとメイに連れ出され、神殿の中庭にある東屋へ案内された。

彼女たちの安否を自分の目で確かめる目的もあり、仕方ないと足を運んだ。

親交会といっても、喋っているのは女性たちで、クロウは席について茶を飲んでいるだけ。

以前はどこか殺伐としていた集まりだったが、アイリがクロウの執務室に訪れて以来、アイリがミアンに楽しそうに話しかけている。

ミアンも頬を染めながら応えている様子が微笑ましい。

彼女たちの背後には護衛が控えている。

神殿から派遣した兵士たち。

メイには恋人であるライ、ミアンにはライの相棒のフォウ。

フォウは体格が他の兵士より小柄で、成人したばかりであるミアンへの恐怖心を与えない為の配慮による人選だった。もちろん実力もある。クロウがリーを探しに魔の森に入った際、生きて帰った希有な戦力である。

アイリには神殿からの護衛をつけていない。

イ家から断られたこともあるが、アイリ曰く必要ないとのこと。

代わりに、イ家に雇われた体格の良い男が二人付いている。


「クロウ様、アイリが奏でる筝は素晴らしいんですよ」

教師せんせいがよろしかったのよ。ミアン様は、音楽はお好き?」

「は、はい。私……笛が少し、できまして……」

「吹けますの? では合奏致しませんか?」

「そんな! 本当にす、少し吹けるくらいでっ! アイリ様のお耳汚しになりますっ!」

「誰にか聞かせるものではないのだから気になさらないで?」

「クロウ様、聞きたいですよね!?」

「神官様はお忙しいのですから、わざわざお時間を割いて頂くほどでもございませんわ。ねえ、ミアン様?」

「え? あの……そう、ですね?」


アイリはクロウそっちのけでミアンに話を振る。

どうやらアイリが神殿を訪れる目的が、クロウではなくミアンになったらしい。

どうしてか、メイがせっせとアイリの美点をクロウに伝えようとするが、すべて矛先がミアンへ移ってしまう。

アイリがクロウをやんわり邪険にする度、メイの方が冷や汗をかいている。

本格的にクロウはこの場にいなくていいのではないかと悩みそうだ。

そうなる前に、三人に聞きたいことがある。


「少し良いだろうか」


クロウの呼びかけに、三人はぴたりとお喋りを止めた。

三人とも良識を持った令嬢だ。神官の発言が優先されることを心得ている。


「貴女たちの身の回りで、おかしなことは起こってないだろうか」

「おかしなこと、ですか?」


メイの返しに頷いて答えた。


「マオ嬢が亡くなったのは妃候補になったと発表されたことが強い理由に思える。同じく妃候補の貴女たちも狙われる可能性があり、護衛をつけさせてもらった。それだけでは足りないとは思っている。直接手を出されたり、怪しい人物に付け狙われたり、脅されたりなど……何かあれば教えてほしい」


三人は顔を見合わせた。

護衛からの報告では常に監視されているような視線を感じるらしい。

しかし、それ以外のことはない。

彼らに課されたのは妃候補の護衛であり、襲われない以上対処しようがなかった。


「わたくしはございませんわ」

「私も。日中は殆ど神殿にいますし」

「わたしも、な、ないです……」


被害がないに越したことはない。

しかし、彼女らの身に何かあってからでは遅いのだ。

怖がらせるつもりはないが、事態をきちんと理解してほしい。

うしろの護衛に目配せするが、身に危険が迫ったことはなく彼女たちと同意だと目礼で返してきた。


「……そうか」


邑中の住民たちから募った話でも、不審者の姿を見たことはないという。

狭い邑で、見知らぬ人物がいようものならすぐに噂になる。

神殿にも即日聞こえるくらいだ。

嫌な視線を感じるのはミアンにだけ。しかもフォウが気が付く程度。

安心は出来ないが、護衛を信じて現状動くことはないと結論づけた。

そのミアンは、アイリの話に相槌を打ちながら膝の上で茶碗をいじっている。時々、ちらちらとアイリを見てはまた俯いてしまう。引き結んだ口は何か言いたげだった。

もしかして、ミアンも何か気づいていることがあるのだろうか。


「どうかしたのか、ミアン嬢」

「ふぇ!? わたっ……いえ、何も……あっ!」


突然名指しされ、びくりと肩を震わせた衝撃で持っていた碗から茶が溢れた。

皆の注目がミアンに向く。


「ミアン様。火傷はございませんか?」

「はい……冷めていたので」


アイリはさっと立ち上がり、持っていた布巾でミアンの手を拭く。

衣装にじわじわと染みができるのを確認し、眉を潜めた。


「襦裙が濡れてしまったわ。もうお開きにしましょう?」


ねえ、とクロウに視線で訴える。

アイリの眼力は有無を言わせない迫力があった。

異論はないので頷く。


「問題ない。メイ、着替えの手伝いを頼めるか」

「畏まりました」

「フォウ、ミアン嬢を頼んだ」

「御意」

「ミアン様。また明日、お茶をしましょうね」

「ふぇ……!? は、はい……」


戸惑いを隠せないミアンはメイに背を押され、退席していった。

二人の護衛であるライとフォウもあとを追う。

東屋に残ったのはクロウとアイリ。

アイリは彼女たちの背中を目で追っていた。


「ずいぶんミアン嬢を気にかけるのだな」

「大事なお友達ですもの」


ころころ笑って答えるが、相手がどうとっているかわからないもの。

けして、アイリと同じ『お友達』という枠組みではないだろう。

先程の様子も、話しかける度に恐縮しきっていた。


「あまりあからさまに構うものではないぞ」

「あら。神官様に言われたくありませんわ」


身に覚えがあり過ぎて言い返す言葉が見つからない。

アイリに口で勝てる気がしなかった。

突かれたくなくて話題をそらす。


「そういえば。先日やっと相見えたぞ」

「あらあら。随分ゆっくりですわね」


アイリは口元を隠しながらころころと微笑う。

だが、その目には僅かな嘲りが含まれている。

アイリの評判を聞くに、クロウ以外には人当たりも良いのだろう。

妃候補でなければ女官に推薦したい人材だ。

何、とは言わなくても通じてしまう察しの良さも、万年人不足の神殿に勤める官吏に欲しい要素。

神出鬼没のワンリに会うことがまず難しい。

クロウを責めるよりワンリを神殿に連れてくる方が先ではないだろうか。

態とか、同じ邸に暮らしていても顔を合わせていないのかは知らないが。


「有意義な時間が過ごせまして?」

「ある程度は把握した。だが、足りないな」

「欲張りな神官様ですね。ですが、わたくしから差し上げられるものはもうございませんわ」

「それは残念だ」


アイリとて知らないことがあるだろう。

けれどまだ何か隠しているような気がしている。

しかし、情報共有をはっきりと拒絶されては引くしかない。

アイリは誰かに似ていた。視線も、思考も、誰かを思い起こさせる。


「…………貴女は何所まで知っているんだ」

「ふふふっ」


答えようとしないアイリを睨みつける。

イ家の護衛も傍にいるこの場で明確な言葉は口にしないだろうが、正か否かすらわからないとは。

クロウは苦汁を飲んだ気分になった。

アイリとクロウは境遇が似ている。

クロウの祖母はアイリの大叔母にあたるので血筋の近さはある。しかし、育った環境がまるで違う。

周囲から腫れ物扱いをされ、一歩外に出れば命を狙われていたクロウ。

花よ蝶よと育てられ、誰からも尊敬と憧憬を向けられてきたアイリ。

違うはずなのに、自分がもう一人いるような感覚になった。


「そろそろ、わたくしもお暇させて頂きますわ」


ふわりと立ち上がり、執務宮へ向かっていく。

帰宅するなら庭を通っていった方が門に近い。

クロウの視線に気づき、アイリは向き直る。


「お友達に挨拶をしてはいけませんか?」

「いいや。案内は必要か?」

「結構です。神殿の表でしたら把握しておりますわ」


アイリは護衛に先に門で待っているよう言いつけ、自身は室内へ入っていく。

アイリが歩く度に裾がひらひらと揺れた。

柔らかな生地で仕立てた高価な襦裙であることがわかる。

髪を飾る金の簪も美貌を際立たせる化粧も、すべてイ家がアイリの為に用意したもの。身を飾る以外にも、琴や立ち振る舞い、彼女が培ってきた教養だって、けして安くない。

だが、アイリを形作るのは衣装でも化粧でもない。

クロウをも圧倒させる矜持。

見せかけの華やかさより、内に秘めたる苛烈さこそが本質。

何故それに気づかない者の方が多いのだろうか。否、見ないのだろう。

それに、アイリもそれを利用している節がある。

家名持ちが何より大事にしている家柄よりも、自身の内面を見てくれる友人を選ぶアイリの剛胆さ。

様々な情報を自ら調べ、繋ぎ合わせて答えを導く賢さ。

誰だ、アイリが守ってあげねばならない儚い女性だと言ったのは。儚いのは見た目だけで中身は並の男より強靭だ。

彼女は信用できる。

けれど、この話をすべて信じていいのかと疑う自分もいる。

相談しようにも、胸の内を吐露できる相手は、今はいない。

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