リン 十九 ー 16 ー
※リメイク済み
大陸南部、都から伸びる運河の最南部にあたる地方を治める神官。
都の大神殿の頂点・大神官の五番目の弟君である。
その髪は他の神官と同じく朱色で、リンが良く知るリオンと同じ茶色の瞳の持ち主だ。
名をロアンという。
にやにやと真意の読めない笑みを浮かべる様は、リオンとよく似ている。
知られているなら黙っている意味がない、と観念したリンが顔を上げた。
諦めが表情にも表れている。
スエンはただ見ているしかできなかった。
ただの一兵が神官に口を挟むなどもってのほかだ。
「そうそう、鬼児の側にいた子だ。生きていたんだね」
「クロウ様は、鬼児ではありません」
「朱髪の神官の出自であの色は、鬼児だよ」
「クロウは立派な神官ですっ!」
「…………ふーん、まだ生きてるんだ?」
「!?」
リンの顔が強張った。
口を抑えても吐いてしまった言葉は取り消せない。
神官になれるのは、炎を操ることのできる成人男性のみ。
都にいたのは幼少期、六つになってすぐに都を出た。
邑までの道中、何度か刺客に襲われ、毒を盛られ、それがすべて大神殿の差し金だと察せられた。
神殿ーー大神官が、クロウが生きていることを良しとしない。
生きていると知られてはいけなかった。
「ここで立ち話するのも目立つ。中でお茶でも飲もう」
まだ演習が続いているというのに、ロアンは詰所の方へ歩いていってしまった。
ころころと変わる展開にリンは呆然としてしまう。
「あの方は言い出したら聞かない。早く追いかけなさい」
「えっ、ちょっと……!」
考える間もなくカオに背中を押された。
仕方なくロアンの後を追うと詰所の応接室に行き着いた。
控えていた女中が二人分の茶を置いて静かに退室する。
部屋にはリンとロアンの二人だけだった。
「そう警戒しないで。座りなさい」
「………失礼します」
広い応接室は長椅子と卓の他に調度はなく、控えめな装飾が僅かにあるだけの簡素な部屋。
柔らかな木目の卓が却って違和感を生み出す程無機質だった。
すでに長椅子で寛いでいるロアンの対面に座り、茶を手にする。
動き回って喉が渇いていた。
茶器を傾けた隙間からロアンと目が合った。
気づいたロアンはにっこり笑う。
笑い方はリオンにそっくりだ。
だから親近感を持てたし、吐く言葉に警戒した。
「さっきの試合は見事だった。型通りの模擬戦はつまらないからね」
「ありがとうございます」
当たり障りのない賛辞にぺこりを頭を下げる。
ルオウの戦い方を知っているのなら、ただの剣のぶつけ合いに面白みを感じないだろう。
彼の戦い方は生き残る為のもの。
死地から生還する為に体術を混ぜ、どんな手段でも使うし、武器も選ばない。
たった十六で負け戦から部隊の仲間を半数生きて帰らせ、昇進を得た。
「ルオウには私の護衛になってほしかったんだ。実家の工房も箔がつくように家名を与えたのに。リオンがいいって、なんでだろうね」
「……私ではわかりかねます」
神官相手に滅多なこと等言えるはずもない。
リオンの性格からして強引に口説いたのだろうと予想はできるが、正直に言うことでもないので黙っておく。
「そうだ。よかったら私の護衛にならないかい?」
「護衛?」
「侍女兼護衛、かな。女性の護衛って面白いでしょ。待遇は保障すーー」
「お断りします」
「早いな」
喰い気味の辞退にロアンの眉間に皺が寄った。
ついリオンのように接してしまったが、ロアンがそこに非難する様子はない。
「私の主は、一人だけですから」
リンが命をかけて忠誠を示すのは、クロウただ一人だけ。
クロウが神官だからではない。
神官であり、家族であり、誰より大事な人だから。
「優秀な護衛が手に入ると思ったのに残念だ」
「ご容赦下さい」
まったく残念そうには見えないので苦笑で返した。
地方でも神官なら優先的に優秀な部下を選べるはずだ。
リンである必要はない。
「その大事な主を放って、君はこんな所で何しているのかな?」
「話すと長くなりますので……」
「じゃあ簡潔に」
「………………迷子です」
遠回しに話したくないと言っているのだが、許してくれなかった。
迷子というのも本当だし、多少端折っても答えは一緒だ。
「迷子になって、二年だっけ? 迎えがいるのかい?」
「ご存知だったんですか……」
「一応、この地域を管理する神官だからね」
合点がいった。
カオが無理矢理リンを演習場に引っ張り出した理由。
ロアンと引き合わせるためだったようだ。
酒場の主人とシャオ老師が保証人となっているが、あくまで雇い主と治療師として保護した立場というだけ。
親や保護者がいない子供は多くいるが、役場に申請すれば戸籍がもらえる。身元が確かになるのだ。
リンは申請していない。未だ滞在人扱いなのだ。
役人として身元不明な者を放っておくわけにはいかなかったのだろう。
その確認を神官自身がするのは事例がないが。
「それで、いつまでこの町にいるのかな?」
「え?」
「住民登録しないのならいつか出ていくということだろう?」
「それは……」
登録できない理由があった。
住民登録をするとは神殿に身元を知られてしまう。
そうなれば、どこかしらで情報が漏れたらクロウの身に危険が及ぶ。
リンの中で神殿に対しての信頼は地を這っている。
リオンの兄であろうと簡単に信じることはできない。
ロアンに知られてしまったのだから隠す意味がなくなるかもしれないが、ロアン以外から外部に知れられてしまう可能性もあるので慎重になってしまう。
どのみち邑に帰るつもりはない。
けれど、この町にずっといるのかと聞かれると答えに詰まる。
「出て、いかなければいけませんか?」
「それは君の好きにすれば良い。永住するなら申請しなさい。けど」
ロアンは意味ありげに視線を伏せた。
紡がれない言葉にリンは焦れた。
続く言葉が否定的で、嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
この町が好き
数拍の後、ロアンは口を開い。
「カンは元気かな?」
「……イ家のカン大人ですか?」
「そう。そのカン」
突然話が変わり、首を傾げた。
リオンを追って邑へ移住してきた、都で大きな権力を持つイ家の血筋であるカン。
昔、リンは彼に嫌がらせを受けたことがあり、あまり好きではない。
リオンより少し年上で、ロアンと同じくらいの中年だ。
知り合いでも不思議ではない。
だが、リンが帰ることとカンの関係が繋がらない。
「カンは自尊心の高い男でね。次男だから、家から長男と区別されていたこともあって、イーシン兄上の生母の実家という家柄だけが自慢だったんだよ。それ以外は劣等感の塊だ」
都の大神官でクロウの父親、イーシンのおかげでイ家は都で今最も権力を持つ家となった。
大神官の後押しもあり、イ家の長男が執政の任に就いている。
長男と比べられて育ったカンは、長男への対抗意識からリオンについて邑へ行ったのだろう。
「カンとは学舎が一緒だったんだけど、側近にしろと鬱陶しくてね。リオンが都から出ていくというので同行を勧めたんだよ」
「はあ!?」
「娘が鬼児と同じくらいらしいから許嫁にちょうどいいって、喜んでついていったね」
カンの娘は知っている。
とても美しい深層のご令嬢だ。
話す機会は殆どなかったけれど、発言は利的で凛とした佇まい、その上守ってあげたくなる儚さもある。
女としてリンは完敗していた。
クロウの妃は彼女がなるのだと思っていた。
二人が並んでいる姿を想像するのが嫌で無我夢中で剣を振るった日を覚えている。
「カンは狡猾な男だ。ご主人様を守りたいなら迷子とか巫山戯たこと言ってないで帰りなさい」
「でも……」
「あぁ、大丈夫大丈夫。兄上たちに言ったりしないよ。リオンたちに追っ手を向けることもしないし、君を監視することもしない」
「…………」
「今更だよ。それに、リオンが鬼児を連れて行ったおかげで、この地域で魔が出なくなったんだ。感謝したいくらいだよ」
「…………どういう、ことですか?」
ロアンの言葉にひやりと冷たいものが背中を走る。
絞り出した声が擦れた。
クロウと魔が何の関係があるというのだ。
「魔にとって鬼児は天敵で好物なんだよ。ってリオンが言ってた受け売りで、私もよく知らないけど」
「リオン様、が……」
リンの声が徐々に細くなっていく。
顔は白く、憔悴しきっている。
さっきまで男相手に武器を振るっていたとは思えないほどに弱々しい。
リオンはクロウを可愛がっていた。
後見人として、年配者として、厳しいことを言うけれど、それがすべて愛情からだと知っている。
クロウもリオンを誰よりも信頼していたし愛情を感じていたはずだ。
同じようにリンにも愛情をかけてくれていた。
ロアンが言うリオンの行動が真実だとしても、リオンへの信頼は揺るがない。
けれど、クロウにとって良いことではないとしたら。
それに、ロアンが言っていることが本当なら、リンはクロウの元へ帰ってはいけない気がした。
「帰るのなら私の宮殿へ寄りなさい。邑への交易路を知る商人を紹介しよう」
「え?」
「邑で作られたものが港町で売られていることを知っているだろう? 交易路を許可したのは私だ」
邑では数ヶ月に一度、外部との交易の為に隊商が組まれ、邑で作ったものと外部の、主に食料の取引に出かける。
逆に、外部の隊商が邑にやってくることもある。
リンは一度だけ、一番近い村まで護衛で付いていったことがある。
そこで貨幣の存在を知った。
邑から村、村から都市へ交易路が伸びている。
帰るとしたら商人を通じて交易路を教えてもらうことに思い当たってはいた。
「少し前に流れてきた者も一緒で構わないよ。私としては、早く君たちが私の管轄内から出ていってくれることを望むよ」
「早く、ですか?」
「……だって君、ーーーーだろう?」
リンの目がこれでもかというほど大きく見開いた。
ロアンが言い当てた真実に脱力する。
神官の血を甘くみていた。
ロアンの冷たい視線が突き刺さる。
ロアンは退室し、観覧席へ戻っていった。
残されたリンは、迎えにきたスエンに引きずられるように店に戻った。
自室に引きこもって店に出てこないリンを、常連客たちが心配していたと、翌日訪れたスエンは女将から聞かされた。




