クロウ 十九 ー 8 ー
※リメイク済み
魔の森で、力を使い切りクロウは倒れた。
それでも起き上がろうとした時、何かを掴んだ。
足元に生えている草と共に、草に隠れていた石を握り込んでいた。
あの時は必死で気付かなかったが、ルオウに担がれて逃げ帰る道中、手の中の石を確認した。
金具がついた赤い石。
持ち主はすぐにわかった。
クロウがリーに贈ったものだから。
一夜明け、クロウの執務室に神殿の重鎮が顔を揃えた。
執政のリオン、武官長のルオウ、文官長のチェン。
さらに邑の外へ買い付けに出る商人のタオも招集された。
タオもリーの教育に携わっていた大人の一人であり、神殿外でのリーをよく知る人物である。
邑では数少ない放置街出身の中年の男だ。
「これだ」
クロウが机の上に赤い石を置く。
深い赤で角度を変えて覗き込むと濃淡が違う、赤というより紅い透明度のある石だった。
リーが行方を晦ます一年前、クロウの元に採掘で見つかった石が献上された。
素人目でも一見しただけで貴重な石だとわかる。
石を首にかけられるように加工し、すったもんだの末にリーの手に渡った。
押し付け合いの結果、渋々折れたリーはなんだかんだ赤い石の首飾りを大事に身につけていた。
赤は神官の色。
神官が赤い物を臣下に下賜するには意味が伴う。
時折、石を眺めるリーの嬉しそうな顔を、クロウはにやにやしながら見ていたものだった。
「これのどこにリーが生きているという根拠が?」
「これしかなかったんだ」
クロウの言わんとすることがわからず、一同疑問を浮かべる。
あの場にいたルオウも意図が読み込めておらず、無精髭が伸びた顎を撫でる。
森の奥にあった石は黒であり、近づくことすら叶わなかった。
周囲は木しかなく、いつの間に石など持って帰って来たのかルオウは気づかなかった。
「リーの持ち物はわかるか?」
「持ち物? あの時は場が混乱していて、簡易の鎧といつもの剣くらいだったとしか……」
「そうだ」
リーがいなくなったのは嵐の夜。
大荒れの中、連絡が取れなくなった仲間を捜しに飛び出し、朝になっても帰って来なかった。
石壁に沿って歩いても半日かからず邑を一周できる広さしかない。
その内、魔の森に隣接するのは北から東南にかけて。
邑のある半島は最南端が絶壁の壁。西に行くに連れて少しずつ高さが緩くなり、神殿正面にある北西の門から小さな湾に降りられるようなっていた。
絶壁の崖に挟まれた入り江はゴツゴツとした岩場と僅かな砂地で出来ており、荒波が届かない、壁の外で唯一人が出入り出来る場所である。
入り江は日頃から邑の住民がよく利用するので何か変わったことがあれば誰かが気づく。
なので、リーがいなくなったのは森側だと判断されたのだった。
「剣?」
チェンが呟いた。
「剣がどうかしたか?」
「リーのあの剣、ですよね?」
「そうだ」
二人が十の歳の頃、リーの不注意でクロウに怪我を負わせたことがあった。
訓練用の切れないはずの剣で傷をつくってしまい、危うく大事件になるところだった。
その後、打ち直してリーの愛剣としてずっと佩帯していた。
件の剣は、クロウの血を吸っている。神官の特別な血を。
「なるほど。クロウの血を吸った剣に魔が触れられるわけがない」
「はい。あの場にないとおかしいのです」
余裕がないながらも、木しかない森の中で剣でも落ちていようものなら気づく。
過去に何度か森に引きずられた民がいたが、落としたものは見つけれなかった。
魔がすべて吸収していると考えていた。
だから、赤い石だけが残っているのは不自然だった。
リーが石を、クロウから与えられた物を大事にしているのは周知。
赤い石も、剣も捨てるなど考えられなかった。
「リーは生きて、剣と共にいる」
そう、クロウは推理した。
わかっている事実は、魔の森にリーがいたこと。
大事にしていた赤い石を落とす程の危機に遭っていたこと。
周囲に他の持ち物が落ちていないことから、剣を持ってあの場から逃げたこと。
あくまで憶測で確証はない。
けれど、それが正解だと思えた。
「生きているならどこに……」
「まだ森の中にいるとは考えにくいでしょうし」
「可能性があるなら、ここでしょう」
タオが机に広げた地図の一箇所を指差す。
放置街の出であるが、都に行き着く前は各地を転々としていた行商人だった。
行商中、魔に襲われて大神殿に守られた都へ逃げた。
その際財を失い、放置街で彷徨うことになったが、商人としての魂は失っていない。
商人としての腕を買われ、リオンに召し抱えられたのだった。
今は邑の特産品を提げて、外の町で交渉を行っている。邑で誰より外の世界に詳しい。
タオが指した場所は大陸南部の海沿いの町。
近くに運河があり、邑からは魔の森と山脈を二つ三つ越えたところにある。
街に辿り着くには、簡単に見積もって七、八ヶ月程かかる。
「もしリーが森を抜けようとしたら山か海に出ます。魔の森を避けて山を越えるより、魔の森に沿って海沿いを行く方が実は近いのです。このあたりは運河もあり、漁が盛んですから漁船も商船も日に何度も通ります。保護されたとしたらまずこの港に行くでしょう」
「港のある町、か」
「海は盲点でしたね」
邑での海は、落ちたら命がない危険な場所だった。
湾以外から海に出ることはないし、湾から出ても波にすぐ押し戻されてしまう。
十人も乗れば沈んでしまうような船しか持っていない邑で大海原に出るのは自殺行為だった。
半島と違い、船が出せる土地なら海に落ちても即死はすまい。
それに、リーが自ら海に近づく可能性は万に一でもないと捨てていた。
たとえクロウが命じても素直に海に入らないだろう。
「…………」
「リオン様?」
「んー……なんでもない。そういえば、捜索隊から報告はないのかな?」
地図をじっと眺めていたリオンにチェンが声をかける。
リオンは細めていた目を戻し、別の疑問を持ち上げた。
捜索隊とは、手が空いている者を使って邑の外へ探しに行かせた部隊のことである。
部隊の編成は多くが北区に住む次男以下。
リーが自らの意思で邑を出た可能性を考慮して彼らの手を借りたが、今となってはまったくの無駄だったとクロウは思っている。
他の町と隔離された場所にある邑とでは連絡手段がほぼない。
どこを通ろうとも魔の森が障害となる。
その所為もあり、未だにまともな報告が上がってきていないのだ。
それに、彼らが真面目にリーを探すとは思えなかった。
なのに貸しだと厚かましいことを言ってくるに違いない。
二年前は動揺でなりふり構わず、使える手段は何でも命じた。
今ではこの話題が上がる度に溜め息を吐きたくなる。
「色好いものは皆無です。虚偽も含めて、ですが」
「無駄なことが好きな者たちだねえ」
「まったくです」
リオンの毒舌にチェンもタオも力強く頷いた。
他にも色々手を焼くことが多いらしい。
手掛かり一つ報告が上がってこない。
距離の問題もあるが、そもそもリーを連れ戻す利が彼らにない。
それどころか、害する危険性さえ懸念される。
「捜索隊は、誰がいたんだったか」
「保護者を呼び出しますか?」
「いいや。単なる疑問だ」
チェンの目が笑っている。
場を和ます冗談だったのだろう。
「イ家のサイリ、ト家のカイ、チ家のダイ、ワ家のコウ、カ家のブンとバイ、あとル家から……」
「もういい。まったく、碌でもない人選だな」
邑でも良い噂を聞かない名前ばかりだった。
もちろんその身元引き受け人である親たちも一筋縄ではいかない。
呼び出して文句の一つでも言えば、倍となった抗議が飛んでくることだろう。
処理不要の面倒事は蓋をしておくに限る。
「まずは一歩ですね」
「払った犠牲も大きかったがな」
リャンたちを思い、胸が痛む。
クロウの願いは、彼らの犠牲の上にあることを忘れてはいけなかった。
また会える日を願って、赤い石を握りしめた。
「さあ、この議題はお終いです。霊祭の打合わせをしますよ」
チェンは地図を片付けながら、用が済んだルオウとタオを追い出す。
ついでに内侍官のハクを呼んでこいとルオウに言い付ける。
部下たちを横目にリオンが誰にも届かない声音で呟いた。
「本当にそこにリーはいるのかな」




