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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
神殿
122/123

リン 二十一 ー 48 ー

神殿とは、格式が高く厳かで神聖な区画であり、厳重な警備のもと用向きがなければ民は寄り付かない。そんな場所である。

大陸に住む多くの者が神殿に足を踏み入れることは生涯でも二度三度。住んでいる地域によっては一度も訪れたことが無い者もいる。

ましてや、神官の姿を見ることなど殆どない。

神殿を守る兵でさえ髪の色で判断しているのだから。


邑の神殿は寄り合い場という雰囲気が強い。

表の庭や広間は常に解放され、外から来た行商の市が開かれることもあれば、嵐や魔憑きの来襲時に避難所にもなっている。

狭い土地に住む住民の人口は少なく全員が顔見知り、家族のような間柄である。

邑が出来て日が浅く皆が移住民である為、神殿が神聖な場所であり、土地を治める神官が尊い存在であるという認識はある。

そんな中「神殿は民の為にあり、神官は民を守るもの」と説いたのは、邑を建興した神官だった。

親しく接してくる神官に民たちは初めこそ動揺を露にしたが、数年共に過ごせば慣れもする。剣術の訓練に神官が混じっているのは日常茶飯事で誰も驚きはしない。

それだけ神殿と民の距離が近い。




つい先日、ロ家のリャンが結婚した。相手は長らく恋仲であったジウ。

大陸の婚姻は夫婦になると家族に誓いを立て、住民登録がされている神殿に属する役場へ夫婦になるという申請をする。神殿の許可が下りたら晴れて夫婦となる。

目出度いことなので、新たに夫婦となった男女は派手に着飾り、近隣に披露し祝いの言葉をもらうのが慣習となっている。

その慣習は邑でも行われている。

リャンの場合、宣誓は何年も前に行っており、新妻になるジウはロ家に入っていた。

しかし、婚約期間中にリャンは戦地で行方不明。死んだと思われていた彼は大怪我を負った後、自力で帰って来た。

数年越しに婚姻を結んだのだった。

二人の祝いの日は雲一つない晴天。

長い婚約期間で立派な刺繍を施したお披露目衣裳で身を包み、邑中の住民が集まり神殿の前庭で新しい夫婦を賑やかに祝った。

神殿から酒が振る舞われ、腕に覚えのある者たちはほろ酔いで剣舞を披露したり、楽器を持ち寄り曲に奏でたりと、日が暮れるまで笑い声が響いた。

剣を握る男たちの中にはジウに憧れる者もおり、途中からリャンに挑んでは返り討ちにされている様子もあった。


神官の婚姻に祝うという慣しがない。

成婚の儀式といっても、神官と妃の親族で執り行う契約の為、初夜が初対面となる妃が多い。

妃は秘され、祝いの席も披露もされない。

その所為か、後宮から人知れず妃が消えても誰も気にしない。噂になっても数日で収まる程度。

妃は神官の所有物であり、次代の神官を産む器という認識が神殿には根付いている。

生母となるのは名誉である為、選ばれる為に妃候補は様々な教育を受けており、我が娘こそはと母方の実家は必死となっているのだった。


そんな神殿の慣例は悪しきものだと思っているのもリオンだ。

彼は幼少より決められていた婚約者を長兄に略奪された過去がある。

彼女は望まず大神官の妃となり、御子を産むとすぐに亡くなった。

それが切っ掛けか、リオンは妃を娶らずにいる。




「頭が重い、肩が凝る、腰が痛い、疲れた……」

「横になる前にお着替え下さい」


私室に戻るなり長椅子に寝そべろうとするリンをアイリが嗜めた。

リンは全身から疲労感を漂わせている。

頭上には大きな色石を散りばめた帽子、何重にも重ねた深衣に床を引きずる長さの長衣、首元を飾るのは帽子と同じ色の石。

かなりの重量の衣裳を纏っていたのだ、無理はない。


「これちょっと重すぎないか」

「神官の婚儀ですもの。せっかくお披露目するのですから、リー様が一番美しく栄える姿になって頂きたいですわ。わたくしとしてはまだ足りないくらいですよ」

「これで……?」


見るからに重い衣裳は赤い。長衣も石も赤色で統一されている。

赤は神官の色。

神官以外に纏える者は神官の妃だけ。


本日、リンはクロウの妃となった。


神官の婚儀は披露されないのが慣例だったが、邑の儀礼に都の慣例は含まれない。

都に属しているわけではないのだから、同じ習わしにしなくても良い。しない為に邑を創った。

華美な衣装を身に着けたリンは、クロウと並んで邑の住民に妃として披露された。

リンが帰って来た、しかも女として。邑の住民の多くは半信半疑だったが、着飾ったリンを目の当たりにして疑う余地がなかった。

中には女装を疑った者もいたが、クロウと周囲が黙らせた。

驚いていたが、最後には皆笑顔で祝ってくれた。

祝福を実感し、リンは嬉しくなった。


「まだ終わりではありませんよ。むしろ今からが本番です」

「…………そうだな」


夜の伽を迎え、正式な夫婦となる。

妃候補は神官の血に負けない体が必須とされているので、初夜を乗り切れないと妃になれないのだ。

また、純血を失った娘は妃になれない。

妃になったら神殿の外へ出られないのも不義を防ぐ為だ。

リンは既に清い体ではないが相手がクロウなので問題となっていない。

互いに想い合う間なので、疑うべくもないのだが。

初めではないとはいえ、肌を重ね合うと意識すると緊張するもの。

しかも、周囲に知られている。

いくら知った仲とはいえ恥ずかしいという感情は沸き上がる。


「お疲れでしたら湯浴みをなさいますか?」

「うーん……」


人が浸かる程の湯を用意するのは重労働。

ただでさえリンを着飾る為に朝から忙しなく働いているアイリをこれ以上働かせるに抵抗がある。


「神官様と床に入るのですから、嫌と言われても入って頂きますけれど」

「訊いた意味とは……」

「湯浴みの前にお食事をされた方が良いかもしれませんね」

「どっちが先でもいいけど」

「…………湯から出たら朝まで食事は出来なくなりますわ」

「ご飯下さい」


即答した。

昼間に催された宴会で果実を数個と酒を口にして以降何も食べていない。

空腹には慣れているが、食べられるとわかっていて食べないのは惜しい。


食事を用意する間、衣裳の支度を侍女たちに手伝ってもらう。

婚儀の重装備は数人掛かりで行った。脱ぐのも同じ。

ひとつひとつ丁寧に外されていく。

朱色の布は市井に販売はされないので手に入れるのも困難。さらに衣裳を作るまでに時間を有する。

リンたちの婚儀が伸びたのも衣裳の準備に時間が必要だった所為だった。


「あ、あの! リー様、えっと……とてもお綺麗でした!」

「ありがとう。ミアンの笛の音も綺麗だったよ」

「っ! ふふっ」


ミアンは嬉しそうにはにかんだ。

アイリの口添えでハ家の令嬢であるミアンが支度を手伝いに来ている。

婚儀の宴で多数の人手が必要で、日雇いで何人か神殿に出仕している。

ミアンは一日限りの侍女だった。

三年前、ミアンは一家でリンに救われた。

ずっと礼が言いたかったがリンは行方不明。やっと機会が巡り、対面を果たしたのだった。

そして、あの日交わした笛の演奏を聴かせるという約束を宴で叶えた。






食事をとり、湯浴みを済ませたら次女たちは下がっていった。

夜着に着替えてクロウを待つ。

侍女たちに磨かれ肌はツヤツヤ。香を刷り込まれた髪から良い香りがする。

旅で痛んだ体はすっかり整えられている。

待ち人であるクロウはリオンたちと一緒にいる。

以前から話し合いをしていたので、おそらく杯片手に絡まれているのだろう。

リオンとルオウは元より、冷徹なチェンまでも上機嫌で杯を空けていた。

リンも誘われたが、衣装が重すぎて脱ぎたいが先行してしまった。

クロウが飲みすぎてないか心配だ。

弱くないが、際限のない大人たちに付き合えば、部屋に戻ってくる頃にはフラフラになっているだろう。

夜が近づくにつれて緊張が強くなっている。心臓がバクバクだ。

けれど期待してい自分もいて複雑だ。

ただ座っているのも落ち着かず、目についたものを片付けたり水を飲んだり部屋をうろうろしているうちに部屋の扉が開いた。


「はあ……加減を知らんのか、酔っぱらいどもが」

「お、おかえり!」


そうこうしている内にクロウが戻ってきた。

リンがいる部屋は妃の寝室。神官の私室ではなくリンの部屋へ直接入ってきた。

ふらついてはいないが頬がほんのり赤い。相当飲まされたようだ。

どかりと長椅子に身を預ける。


「水もらえるか」

「はいはい」


水差しから杯に移し替えて差し出す。

クロウは水を一気に飲み干した。

空になった杯に再度水を注ぐと、二杯目もすぐに空になる。


「リー」

「うん?」


クロウが長椅子をポンポンと叩く。

促されるまま、クロウの隣に腰を下ろす。

すっと伸ばされたクロウの手が頬に触れた。


「疲れているか?」

「流石にな」

「神官の結婚なのに騒がしかったからな」

「でも嬉しかったよ」


神官の妃になると決めてから祝われることを諦めていた。

今日は多くの人が神殿に訪れ、リンに祝いの言葉をかけてくれた。

思い出せば頬が緩む。


「後悔してないか?」

「妃になって? 色々悩んだけど、今はしてないよ」

「正直に言っていいぞ」


リンの髪を一房取り出し指に絡める。

酒が入っている所為か流し目が妙に色っぽい。

触れている指が熱くてドギマギしてしまう。


「んなこと言われても……」

「今は、ってことは引っかかってることがあるんだろう」

「だって……」


リンが何を悩んでいたかなど言うつもりはない。

言ったところで現状が覆るわけではないのだから。


「リー」


金の瞳がリンを真っ直ぐ見つめる。

クロウの目に弱い。全て見透かされていそうで、この目の前では隠し事など許されない。

無意識に息を呑んだ。


「俺は……妃になりたくなかった」


クロウとリンの間には確かな身分差があり、恋心を自覚してすぐに手放そうとした。

けれど常に傍にいるクロウへの想いは募るばかり。

離れることもできず、せめて手放し難い程クロウの役に立ちたかった。それだけがリン自身の価値だった。

邑を離れてもその価値は揺るがなかった。

帰ってきて降って湧いてきた妃の座に動揺した。価値が揺らいでしまった。

諦めたクロウの唯一の席を手に入れ、押さえていた欲が溢れた。


「だって、俺はクロウのものだけど、クロウは俺のものにならない……っ」


クロウは神官。

邑にクロウは必要で、クロウがいなければ邑は存続できない。

神官の力は民の為に使われるべきであり、個人のものにすることはできない。

どんなに望んでもクロウはリンのものにならないのだ。

だから妻という立場ではなく、従者という距離でいたかった。


「リー……」


クロウの指がリンの眦を撫でる。

気づいたらリンの目から涙が出ていた。

泣いている姿を見せたくなくて俯こうとしても、クロウの手に遮られて泣き顔を正面から見られた。


「俺を欲しがってくれるのか?」


言葉に詰まってコクンとひとつ頷いた。

ずっと欲しかった。

誰よりもクロウの傍にいて、周囲に嫉妬していた。

政務の面でも武芸の面でもリンより有能な者が多くいて、リンより魅力的な女性も多かった。

リンが勝てる面は近くにいることのみ。

周囲との差を見せつけられる度に落ち込んだ。


「お前はただ俺の傍にいるだけでいい。何も求めていないぞ」

「それは嫌だ……っ」


家名もない、血の尊さもない。

傍にいるだけの愛玩動物ではなく、能力を発揮して役に立って喜んでほしいのだ。認めてほしいのだ。

無能だからクロウに相応しくないと周囲に指を差されたくないのだ。


「クロウは……妃としての俺しか、いらない?」

「…………考えたことなかった」


少し考える素振りを見せて断じた。

ポロポロと涙をこぼすリンの頬を両手で包み込む。

泣きすぎて目と鼻が赤くなっていた。


「剣の腕が良いとか、周囲と調和を取るのが上手いとか、リーの良いところは多くある。俺も好ましいと思っている。だが……」


クロウの顔が近づく。

額が触れ、息遣いを間近に感じる。


「ただ愛してるから傍に置きたい、ではいけないのか?」

「でも……」

「俺より周りの声を気にするのか」


リンは緩く首を振った。

誰より何よりクロウが大事。大事だからこそ周囲の評価を気にしてしまう。

取り巻く視線が妃の座の重さを自覚させた。

ただ愛されるだけの妃で良いのかと、恐怖すら感じる。


「俺としては閉じ込めておきたいが、無理強いをするとまた逃げ出しそうだしな」

「?」

「前に言っていただろう、束縛が強すぎると」


クロウに反抗して外出した時。

スエンに促されてクロウに対する不満を言った覚えがある。


「リーの好きにしろ。訓練に混じってもいい、畑に足を運んでもいい」

「クロウ……」

「その時は俺に行き先を伝えて許可を得ろ。これは絶対だ」


リンの目が見開かれる。

涙も止まった。


「リーが納得する形の妃になればいいさ」

「クロウ……!」


高揚した気持ちのままクロウに抱きついた。

クロウの気遣いが嬉しくて全身で感謝を伝える。

子供の頃からやってきた仕草に、クロウは慣れたもので、ひょいとリンを抱き上げた。


「もう言い残すことはないな」

「うん?」

「今日が婚姻初夜だと忘れてないよな?」


クロウはにやりと笑うと、リンを抱えたまま寝台へ直行する。

リンは顔を赤くするものの、クロウにしがみついて背中の衝撃を待った。

完全に仮状態ですが、言いたいことは詰めたと思います。

本編はエンディング1話を投稿して終了です。

ありがとうございました。

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