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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
神殿
120/123

リン 二十 ー 46 ー

朝から雲一つない気持ちの良い快晴で、開け放った窓から爽やかな風が入り込む。

少し遠くから兵士たちの訓練の声が聞こえてくる。

時折、武官長であるルオウの怒声が上がるが、平和な訓練風景なのだろう。

神殿の最奥に位置する神官の居住区まで、いくつもの棟を経由して辿り着く。

リンの日常は居住区にある私室で完結する。

妃になる為に知っておかなければならないこと、貴婦人としての立ち振る舞いなどを日夜叩き込まれている。

衣裳の着こなし方から始まり、食事の時間も教師の目がつく。

外の声に混ざりたいと思ったことが何度あったか。

気が逸れる度に、教師役であるアイリから圧をかけられる。

教師であるアイリは優秀で、様々な知識がすらすらと出てくるのだが、聞かされる話に首を傾げること多数。

神殿の仕組みや神官の成り立ちはわかる。だが、都と北地の因縁やら、別大陸へ行く為の造船やら、効率的な捕鯨やらと妃教育どころか、邑の運営にすら擦らない話もある。

勉強というより興味がある雑学を披露していたのかもしれない。


今日はそんなアイリが貯めていた雑学から茶葉の栽培を語っている。

茶葉は日常的に口にするものなので馴染み深い。

残念なことに、邑では栽培されておらず外から持ち込まれるものなので高級品である。


「茶葉を栽培するには土壌が大切です。木ですので、根がしっかり張れる土が好ましく、また肥料により上質な茶葉がとれるのです。気候も重要です。暑すぎず寒すぎず、適度の雨が降る安定した土地が茶栽培に適しています」


実践より講義が大半を占め、やや興味が削がれている。

茶は上流社会の嗜みなので、リンもクロウと一緒に習ってはいた。が、活用することはなかった。

執務の息抜きに茶を所望するクロウにいれる程度。

上手くいれることが出来ればクロウが喜ぶので、少し頑張っていた時期もあった。

港町の食堂で働いていた時、リンがいれた茶が、特に素封家たちに好評だった。

耳で聞いて覚えるより体に覚えさせるリンにとってアイリの講義は、面白くもあるが経過するにつれて眠気を誘うもの。アイリもわかった上で話しているので、途中で実践や休憩を挟んだりして気力を持たせていた。


「こちら、わたくしが好きなお茶なのですが……」


ーードォオオオン


アイリの講義の最中、近くで轟音があった。

大きな物が倒壊したような大きな音で、耳の奥がビリビリと痛む。

建物も揺れ、部屋の壁を飾っていた小物がいくつか落ちた。


「リー様!」


アイリはリンを庇おうと腕を伸ばしたが、逆にリンがアイリを抱き寄せた。

魔憑きの襲来か、事故かわからない。

静まるまで防御に徹する。闇雲に動いては不利になることもある。

左手でアイリを抱え、右手で腰に手を当て、はっとした。

いつも腰に佩いでいた剣がない。

無意識に手を伸ばしたので気がついたときの衝撃は大きかった。

深衣に剣帯などついていないのだから昨日今日の話ではない。

いつからなかったのか、いつなくしたのか記憶になかった。


「リー様、これではわたくしの面目がございません。貴女様が勇敢なことは存じておりますが……リー様?」


リンの様子がおかしいと、アイリは訝しむ。

リンの剣はクロウから賜った特別な剣。

神官から剣を頂くことは、命を預ける程の信頼を意味する。

剣をなくしたということは、神官の信頼を裏切ったと同義。

しかも今まで気づかなかった。

当然のように近くにあると錯覚していた。

妃騒動でそれどころではなかったなど言い訳でしかなく、なくしたことは覆らない。

リンの顔色が真っ青になったのは当然だった。






「剣? ロ家の工房に修理に出してるぞ」


リンの大事な愛剣の所在はあっさり割れた。

なくしただけでなく、今日まで存在を忘れていたことをクロウに謝罪した。

主への忠誠の印を紛失したのだから罰も覚悟していたのに、持ち主が知らぬ間に修理されている。

良かったと胸を撫で下ろしたあと僅かにもやっとした。

ないとわかってから、部屋の隅々を探し、世話をしてくれている女官や居住区を警備している衛兵たちに聞いて回っていた。誰もが首を横に振る。

いつどこでなくしたか記憶を辿っても魔の森ですべてが途切れている。目が覚めたら私室。ボロボロだった旅装束は捨てられていた。

絶望に似た悲壮感が頭を占めていたのだった。


「酷い有様だったからな。よく保ったものだ」


クロウが喉で笑う。

確かに刃こぼれも酷かったし、滑り止めに柄に巻いた布は黒く汚れて芯が見える程破れている。

道中、腕の良い鍛治士に出会えずそのままにしていた。時々手入れはしていたが、刃こぼれはどうしようもない。折れなかっただけ良かった方だ。


「一言言えよ。焦っただろうが」

「悪かった。その剣だが、そろそろ仕上がっている筈だぞ」


魔の森でリンの剣を振るったクロウはそのまま剣を持ち帰り、帰り際にルオウに預けたという。

ルオウ経由なら直通で工房に届く。

神官であるクロウからの依頼なら何よりも早く出来上がることだろう。


「じゃあ、明日にでも様子見てくるな」

「駄目だ」


クロウの顔から一切の色が消えた。

声も低く、怒りを含んでいる。


「駄目って、おい……」

「許可しない」

「なんで!?」


クロウがリンを居住区の外に出したがらないのは薄々感じていたが、拒否される理由がわからない。

リンが幼い頃から邑に住んでいる。

住民全員の名前や家族構成、どの家に住んでいるか言える程浸透している。

畑にも顔を出していたし、漁の手伝いだってしたことがある。


「俺の妃が気軽に外に行くものじゃない」

「危険なんてないだろ、ロ家の工房行くだけなんだから。例え魔憑きが出たって俺だぞ?」

「……おまえだからだろう」


剣の腕に覚えがあり、剣がなくても体術を会得しているので、生半可な破落戸では太刀打ち出来ない。

せっかく故郷に帰って来たのに、神殿の外から出られず鬱憤が溜まっていた。

ロ家の工房は、神殿のすぐ隣の区画にあり、神殿の南門を出てすぐ。

魔の森は神殿のすぐ裏なので近いと言えば近いが、何重もの警備が敷かれているので、神殿を出てすぐ襲われることはよっぽどない。


「理由を聞かせろ。納得出来る理由をな」

「それは……」

「それは?」


クロウが言い淀む。

けれどリンは逃がさない。

都合が悪いと言い包めて有耶無耶にしようとするからだ。


「…………リーを見せたくない、可愛いから」

「却下」


リンの額に青筋が立った。

冗談で誤魔化そうとするクロウを一蹴する。

可愛いと口にするのはクロウくらいで、多少物珍しさで注目が集まるかもしれないが、男と認知されていたのだから邪な感情を抱きようがない。

リンより綺麗で可愛らしい女性は山のようにいる。

少し着飾ったくらいで口説くような輩は邑にはいない。


「自覚がないのか。面倒な……」

「うん?」


独り言なのか、声が小さくて上手く聞き取れない。


「俺の言い分はともかく、修理が終わったらルオウが持ってくる。大人しく待っていろ」

「それって元に戻ったものが届くってことだろ? もし調整して欲しいところがあったら、カナンさんに直接言えるし、工房でそのまま直してもらえるじゃん」

「おまえはもう剣を持つことはないんだから、いいだろう」

「え……?」


突然冷水を浴びせられた心地がした。

クロウから剣を賜った時の喜びは今でも忘れていない。

邑の要たる神官を守る栄誉を直接授与された。

最上の信頼を託されたのだ。

それを、否定された気がした。

邑を離れていた三年間、ずっと心の支えだった大事な相棒なのに、粗末に扱われているとすら思ってしまう。


「俺は、クロウの為に……」

「必要ない」

「っ! ……クロウにとっては、玩具を与えただけのつもりだったのかもしれない、けど……俺は、嬉しかったのにっ!」


クロウにだけはリンの存在価値を否定されたくなかったのに、一緒に剣を握った過去を捨てさせようとするのか。

女としてのリンは共闘するに値しないのか。

悔しくて、悲しくて、涙が滲む。


「リー、俺は……」

「もういい。クロウに頼まない」


リンはクロウの前から逃げた。

過去一度も、自分の我が侭でクロウに背いたことはない。

喧嘩をするけれど戯れ合いの延長で互いを突き放すことはなかった。

初めて主人に逆らった。

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