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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
神殿
119/123

リン 二十 ー 45 ー

「やあ、よく帰って来たね。我が娘」




衝撃的な告白から一夜明け、帰郷から十日経ってやっとリオンと面会した。

リオンと会うことが決まってから、朝から体を磨き、真新しい衣装に着替え、香油を揉み込んだ髪を結い、化粧まで施された。

女らしくあったことがないリンが見事な女性に仕立て上げられる。

仕立てたアイリの腕は相当なもので、有能な侍女は着飾ったリンを自画自賛を含め褒めちぎった。

一方、慣れない格好にリンは既に疲労の色が見える。


「女って大変なんだな」


と零すと、


「リー様も女性ですわ」


と正面から突っ込まれた。

身支度を整えている間、立ち姿、座り方、指の形一つまで逐一注意される。

男として振る舞っていた姿勢から一転して女性らしい姿勢に矯正させられていた。

完璧に身につけているアイリの目は厳しく、リオンと会う前からぐったりと疲れてしまう。

休憩を与えられる間もなく、リオンの執務室へ向かう。

部屋の外には衛兵がおり、リオンの元まで案内してくれるようだ。

幼い頃から暮らしている神殿内も、今後は誰かに付き添われないと自由に出歩けないのだろう。

見間違えでなければ、迎えの衛兵の顔がぎょっとしていた。

リンの部屋から着飾った女性が出て来て驚いたのか、リンとわかった上で驚いたのか。どっちにしろ少し傷ついた。

衛兵のうしろをしずしずと歩く。背後のアイリの監視の視線が痛かった。

ちらちらと振り返りはしないが、リンを窺っている気配がする。

アイリの小言が怖いので何も答えたりはしないが。


リオンの執務室はクロウの執務室がある棟の隣。廊下で繋がっている為、自室からクロウの執務棟を通るのが一番の近道。

クロウは生憎神殿を留守にしていて、飾った姿を見せることが出来なかった。

いっそのこと見せる前に着替えたい。誉められるにしろ貶されるにしろ、気恥ずかしさが先にたつ。

それに、一歩足を出す度に幾重に重なった衣が足に絡まり歩きにくい。

既に脱ぎたい気持ちでいっぱいだった。

先触れが出ているのですんなり通してもらえたが、リオンの執務室の前を守る衛兵の目もリンに釘付けだ。

ここまで驚かれると新手の拷問のように思えてくる。


通されたリオンの執務室に踏み入り、リンは言葉に詰まった。

無駄な物を置かないクロウの部屋は、物が少なく整然としていてすっきりとした印象を持つ。散らかっていると指摘があっても、脱ぎたての上着が長椅子に引っかかっていたり、読みかけの書籍が数冊机に放置されているくらい。

比べて、リオンの執務室ははっきり散らかっていると言える。

執務机にはこれでもかと書類や木簡、古い資料と思われる石板が山と積まれ、机に乗り切らなかった物は床にも置かれている。辛うじて机と扉を繋ぐ道が出来ているが、壁の棚も調度品も、隙間なく物が詰まっている。

リンが最後にリオンの執務室を訪れた時より酷い有様だった。

もともとリオンは、為政者というより研究者肌であり、興味がある物を収集する癖がある。さらに、研究の為の資料を掻き集め、調査の詳細を書き認め『机の上に片付け』ていく。

執政である業務も平行して行っているので、現状のような部屋が出来上がるのだ。

ちなみに、右腕である文官長のチェンもこの部屋を使用するが、文官用の執務室が別にあるので、この部屋に埋まることはない。提出した書類を見失うことはあるけれど。

部屋の真ん中を陣取る長椅子は応接用にと置かれた物だが、客がこの部屋に通されることはなく、仮眠を取る為の寝椅子となっている。

そんな長椅子にゆったりと座っているリオンは、穏やかな笑みを浮かべリンを迎え入れた。

この部屋で落ち着けるかどうかは別だが。


「お久しぶりでございます、リオン様。恥ずかしげもなく顔を見せることをお許し下さり感謝致します」


リンにとってリオンは上司だ。

クロウは主として揺るぎないが、恩人であり父のような存在であるリオンは親しくとも敬うべき相手として見ている。

最上級の礼をもって向かい合う。


「堅苦しい礼は不要だ。体は本調子ではないだろう。座りなさい」

「御前を失礼します」


リオンと向かい合うように対面の長椅子に腰掛けた。

この時もアイリの目が光り、緊張で背筋が伸びる。


「まずはおかえりと言っておこうかな」

「ただいま……では、ないですが、帰りました」

「正直、殺されてもう帰って来ないと思っていたよ。よく生きてたね」


あははと笑うリオンのうしろに控えているチェンも同意と頷いている。

身近な者が亡くなるのは邑ではよくあること。リオンの調子は軽かった。

リンが今生きているのは殆ど運によるもの。

魔に憑かれたのも、魔を御せる抗体を持っていたのも、道中命を落とさず邑に辿り着いたのも、偶然の一致。奇跡といっても過言ではない。

偶然はもっと前から続いていた。

リオンに拾われたこと、クロウに引き合わされたこと、クロウと絆を深めたこと。

すべての偶然が今のリンを生かしている。


「この命、クロウの為に使うと誓っていますので。この邑の外でおめおめ死ねません」

「そうか。では、クロウの子供産むと、同意してくれたと思っていいんだね」

「こど……っ!?」


突拍子もない切り返しに思わず声が裏返った。

クロウの妃になるということは、即ち次代の神官を生むと同義。

否、神官と関係を持った女性は自動的に妃とされてしまうのだ。そこに感情がなかろうとも。

妃ーー結婚した女には出産がついて回る。

だが、命をかける宣誓が出産に直結するのは突飛すぎる。


「神官の子供を孕んだら、良くて出産して死。早ければ性交しただけで死ぬ。あまりおおっぴらに出来ないけど、神官の手つきになった女性は早かれ遅かれ皆亡くなっている」


リンの喉がごくりと鳴る。

リンはクロウの犯行により思いがけず耐性がついたが、大多数が神官の妃になり得ない。

神官の血は、魔にとっても人にとっても毒。触れることすら死に繋がる。

クロウの盾になる覚悟はあったが、そちら方面の覚悟はまだ出来ていない。


「子供は授かり物だし、今すぐ作れってわけじゃないからそう怖い顔するんじゃないよ」

「あ……はい」


言われて頬に手を当てる。

知らずに顔が強張っていたようだ。


「確認だけど、事情を知ってもリーはクロウの妃になってくれるのかい?」


神官の正しい婚姻事情は知られていない。

人の命を吸い尽くす所行に神殿は口を噤み、甘言だけ妃の実家に囁いて生け贄を集める。詳しい内情を知らず、妃は命を落とすのだ。

リンは幼い頃よりクロウの近くにいたので知ることが出来た。

クロウの隣に並び立ちたいという思いはあっても、形を想像していなかった。

クロウの妃はアイリがなるものだと漠然と思っていた。

降って湧いたように巡って来た妃の座に戸惑いはある。

覚悟を問われたからには、はっきり答えなければならない。

危険性を示唆してくれたリオンの誠実さの為にも。


はい。クロウが望んでくれるなら」

「そうか」


リオンは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに笑みを戻した。

納得した上での選択が意外だったのだろう。

リオンは良い上司だが、思いやりのある人間ではない。

考えうる限りの最善を選択出来るが、犠牲を出さないわけではない。

それが身内であろうと他人であろうと関係ない。

必要ならば肉親を捨てられる。

優秀な人材が集まるが、理解されない相手には苦手とされる質なのだ。

情に薄いリオンへ、ひとつ疑問に思ったことがある。


「先程、おーー私を娘と仰っていたと記憶しますが?」

「そうそう。おまえは私の養女になったんだよ」

「……初耳です」


リンはリオンに拾われたが養女ではない。

あくまでクロウの召使いという立ち位置だ。


「妃になるにあたって、家名持ちの子女という認識が根付いている所為で、おまえを妃に歓迎しない者が現れる」


浮かぶのは自らの身内を妃にしたがった家名持ちの当主たち。

昔から連日のように、娘や姪をクロウの妃にと、神殿に押し掛けていた。

半数は邑から放逐されたがまだ残っている家がいくつかある。

追放されなかったとはいえ、彼らは神殿に表立って楯突かなかっただけで絶対的な味方ではない。

家名があるかないかだけで判断し、リンを排除しようとする動きが予想される。


「はじめはチェンの家が候補だったんだけど」

「うちは分家の分家ですからね。都で幅を利かせているニ家とはいえ、イ家本家筋のアイリを再び担ぎ上げられたら面倒なことにしかなりません」

「わたくしとしても御免被りたいですわ」

「というわけで、私が養父になったよ。邑で私より上の権力者なんていないから、これ以上ない後ろ盾だろう」

「なるほど。心遣い感謝します」


リオンに向かって深く頭を下げる。

顔を上げると、不満げに眉を下げるリオンがいた。


「堅苦しいなあ。昔はもっと懐いてくれてたのに」

「何も知らない子供でしたから」

「せっかく親子になったんだから、親子らしい会話をしよう!」

「えっと……」

「お戯れが過ぎますわ、先代様?」


困っているとアイリから援護が入った。

リオン相手でも圧が強い。

家も家名も何もかも失った彼女に怖いものはないのかもしれない。


「いいじゃないか。ほら、お義父様と呼んでごらん」

「おっ!? できませんよ!」

「リオン様……」


チェンがため息混じりにリオンを嗜める。

リンは揶揄われていた。

子供の頃からリンとクロウはリオンにちょっとした悪戯を仕掛けられて遊ばれていた。

本人曰く『可愛くて、つい』らしいが、弄られたリンたちはリオンの一挙を警戒するようになった。

成人してから一層上司と部下の線引きをしたリンは仕掛けられることが減ったが、肉親であるクロウは現在進行形で弄られている。

義父娘になったことで柵が壊され、犠牲者が増えようとしていた。


「残念。そういうわけで、義理の父娘おやこだ。遠慮せず頼りなさい」

「あ、ありがとうございます!」

「ふふっ。では、不在だった三年間の話に移ろうか。リャンから報告が上がっているけれど、リーからも話が聞きたい」

「……はい」


リャンがどこまで話しているか知らないが、リンも話さなければならない。

邑を離れていた三年間を。

何より重要なのは、魔憑きだったこと、だ。

クロウ曰く、リンの内の魔は消滅している。リンも体内に巣食う魔を感じ取れない。

おそらく魔はいない。けれど、絶対ではないのだ。

魔を祓おうとも、魔憑きが良い顔をされるわけがない。

そんなリンが神官の妃になる。

邑の住人たちに受け入れられる想像がつかなかった。

後ろめたさで無意識に視線が下がる。


「問いつめているんじゃないよ。おまえが何を見て何を思ったか、知りたいだけだ。邑の外がどんな暮らしをしているか、聞きたいんだよ」


できたら魔の生態も知りたいなあ、と付け加える。

まるで『昨日の夜何食べた?』と世間話をしているくらい軽かった。

構えていた分拍子抜けしてしまう。

リオンは腹の前で指を組み、ゆったりと背もたれに凭れ掛かった。

すっかり聞く姿勢だ。しかも長時間。

リンの背後のアイリに茶をいれるように頼んでいる。

リオンは個人的に魔の研究をしていた。

何所から発生したのか、何故発生したのか、いつから存在するのか、どのような特性があるのか、と謎が多い。

リオンが長年調べてもわかったことが少ない。なんせ命懸けだ。

リオンの為にも邑の為にもリンが経験したことを話し、役立ててほしいとは思う。だが。

これは仕事を怠けるだしにされている、と勘が囁いている。

証拠にチェンが渋い顔で額を押さえている。


「リオン様。机の上の惨状が見えてますか?」

「うん? いつもどおりだね」

「そうですね。いつもと変わらず必要な物と不要なものが積み上がってますね。いつ片付くか今か今かと私は辛抱強く待っているのですが、いつになるのでしょうか? できたら三日前に再提出した伐採計画書を最初に見て頂きたいのですが、今日頂けるんですか?」

「えーっと。どこにあったかなあ」


背後から冷気を感じる。

ちらりと盗み見ると、アイリは顔から一切の色をなくし、塵でも見るような侮蔑を含んだ目でリオンを見ていた。

令嬢時代の儚げな面影が皆無である。

リンの視線に気づくと、にっこりと綺麗な笑みを作った。


「リー様。先代様はお忙しいようです。続きは後日ということで、お暇致しましょう」

「あ、はい」


アイリから放たれる『是』以外の答えは許さない圧に起立を促され、リオンの部屋をあとにする。

リンが退出してもなお、チェンの小言が聞こえていた。




自室に戻る時も周囲からの好奇の目に晒された。

恥ずかしさはあるが、顔に出すと冷やかされるので平然を装って来た道を再び歩いている。

リオンに執務棟とクロウの執務棟を繋ぐ吹き抜けの廊下から兵士の演習がわずかに見えた。

視線を落として足元を見る。


「リー様?」


うしろに付き従っていたアイリが声をかける。

突然止まって驚いたのだろう。

リンを妃として相応しい女性にする為につけられたアイリに昔を懐かしんでいた等と言えるはずもない。


「……なんでもない」


苦笑を零し建物の中に入る。

部屋と同じく白い壁と朱色の柱の廊下中頃に朱色の扉がある。

扉の向こうはクロウの執務室になる。

今は外出しているので覗いても部屋の主はいない。

一棟にクロウの執務室の他、書庫と文官用の書斎があり、中で繋がっている。三つの部屋をぐるりと囲む様設計された廊下を通って次の棟へと行ける。

朱色の扉を通過した直後、通路の角から人影が現れた。

その人物はリンを見つけると瞠目した。


「! リーか」

「クロウ。おかえり」


専属の文官を引き連れたクロウが帰ってきた。

クロウの顔を見た途端嬉しくなって小走りで駆け寄る。

過去の記憶が蘇った所為か、幼い頃の癖が出てしまった。


「叔父上のところに行っていたのか」

「うん。そうだ。俺がリオン様の養子になるって初めて聞いたぞ」

「俺が聞いたときは検討段階だったからな。決めたのは叔父上だ」


妃になる為の形式的な決定だったとしても、リオンに感謝した。

家名がなければクロウの妃になれないわけではないけれど、リンを守る為だと察せられる。

恵まれた環境に拾われたのだと実感した。


「似合うな」

「うん? ああ、衣装?」


アイリに用意してもらった衣装は、華やかで繊細な刺繍が施されている深衣。

邑の外では高価とされている布で仕立てた薄緑の長衣に腰に巻き付けた濃い緑の裳の襞が重なりひらひらと足元を踊っている。留める帯は、神官のみに許された朱に準ずる色の深紅。

神聖色である朱色と同系である紅色や桃色の衣を身に纏えるのは家名を持つような高貴な身分とされている。

朱色に近い程神官に近いとされ、朱色を身に纏える女性は妃だけ。

今は帯だけだが、今後朱色の衣裳が増えていくことだろう。

クロウは結った髪から一房溢れている髪を掬い、指先で弄ぶ。

港町を出る前は胸元までの長さだった髪がこの一年で腰の近くまで伸びた。

手入れをする暇などなかったので全体的に荒れている。

港町では潮を乗せた風に晒されていた所為で毛先は特にひどい。


「リーはやっぱり赤が似合うな」

「そっかな……?」


クロウの直接的な褒め言葉にリンははにかんだ。

女性の衣装など着たことがない。

ずっと男の格好をしていたから、このような華やかな衣装は初めてだ。

旅で女の格好をする必要があったが、動きやすさ重視していたので、切れ目の入った裙の下に褲を履いていた。

そもそも足元を隠す程長い深衣を着ていては目立って仕方がない。そもそも平民は着る機会がない。あっても裕福な商家の夫人くらいだ。夫人は徒歩の旅などしない。


「俺の妃はリーしかいないと実感した」

「なっ!? もう……」


髪を弄っていた指がするすると上に上がり頬を撫でる。

歯の浮くような台詞も合わさってリンの頬は赤い。

少しだけ背が高いクロウを上目で見ると楽しそうに笑っていた。

女性らしい衣装を見られることに抵抗があったが、機嫌が良いクロウを見ていると満更でもなくなってくる。


すっかり二人の世界になっている所為で、アイリとクロウに付き従っていた文官の目から光が消えていることに気づくことはなかった。

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