リン 二十 ー 43 ー
前回より1話とんでおります。
ふと意識が覚醒した。
けれど、頭を直接殴りつけるような頭痛と寝返りすら億劫な重怠さで起きようという気がしない。
眠気はないがこのまま体を横たえていたかった。
だが、元々惰眠を貪るような性質ではないので、起き上がらなくては、とカッと目を開いた。
窓から見える空は明るい。
遠くから聞こえる兵士たちの訓練の声から、太陽が昇ってかなり経っているのだとわかる。
特にルオウは声が大きいので一番目立っている。
そこでハッとして勢い良く身を起こした。
遅刻だ怒られる、と条件反射からの行動だった。
無作法を嗜めるようにズキンと大きく頭が痛む。
「リー様、お目覚めになられたのですね!」
「あ……おはよう」
部屋で控えていたアイリが駆け寄ってきた。
ようやく、長らく離れていた邑に帰って来たばかりだと気づいた。
殆ど変化のない部屋が三年の月日が夢だったのではと錯覚させた。
アイリは眉を下げ、大きな瞳を潤ませ覗き込んでくる。
予想外の反応にたじろいてしまった。
両手を掴まれ握り込まれる。
「よかった……」
アイリの目元に薄ら隈が出来ており、窶れた印象を受ける。
たった一晩、眠る前に会った時とがらりと変わってしまった。
「只今神官様と医師様をお呼びします。そこから動かず待っていて下さい」
「え? ちょっと怠いくらいで、別に……」
「待っていて下さい」
「はい……」
有無を言わさず待機命令が出た。
アイリは反論を受け付けないようだ。
起きただけでとても心配をされてしまった。
少し寝坊しただけで慌てられるのは腑に落ちない。
何かあったのだろうかと考えを巡らそうにも、頭痛に邪魔されて、思考が繋がらない。
これが森の中なら無理をしただろうが、安全が保障されている自室ではどうしても気が緩んでしまう。
諦めて再び寝転がった。
やがてパタパタと忙しない足音が聞こえた。
頭に響くから静かにしてほしい。
「リー!」
首だけ巡らせ扉を見た。
先頭を走っていたのはクロウ。
見覚えのある光景だ、と既視感を感じる。
まっすぐ寝台に飛んできたクロウはリーの手を取った。
続いてペタペタと額、頬に触れる。
「脈がある。息をしてる。温かい……生きてる」
「大袈裟な」
あまりの言われように呆れた。
「大袈裟ではございません。リー様は八日も眠っておられたのですよ。顔色も悪く、氷のように冷たくなってしまったので、神官様が心配されるのはご尤も。まあ、神官様が原因ではございますが」
「八日……?」
しかも氷のように冷たかったのならば死体と遜色ない。
大袈裟な程心配されるわけだった。
「体に違和感はないか? 痛みは?」
「頭が痛い。あと怠いのと、っ……腹痛い」
「痛みは生きてる証拠、ってね。はいはい若様、診るから退いて下さいな」
ネイがクロウを押し退ける。
これも見覚えがある。
「頭痛、は血の巡りが悪いからだろう。あとで薬持ってくるから飲みなさい」
「はい」
「腹はどんな痛み?」
「えーっと、熱い? 針で突かれてるみたいな? 動くと急に痛むっていうか」
「ふーん?」
ネイはぐいぐいとリンの腹を押す。
鳩尾から下部へ下がり、左右へ動かす。更に下へも押していく。
「いたっ、痛い痛い!」
「この辺りか」
臍の下辺りが特に痛んだ。
頭痛と相まって顔が歪む。
「女特有の痛みかしら。アイリ女史、足と腹と腰回り、冷やさないようにしてやってちょうだい。飲み物も温かいものを出して」
「畏まりました」
ネイは診察を終えると、薬を取りに一度下がった。
ネイのあとをアイリが追う。先程の指示の為にいろいろ取り揃えに行った。
部屋にはリンとクロウが取り残される。
「リー。他には? 痛むところはないか?」
「大丈夫、だと思う。とにかく頭が痛い」
正直目を開けているだけでも頭痛がする。
起き上がるのも辛いのでそっとしておいてほしいのが本音だ。
目を瞑っているからといって眠気が来るわけでもなく、波のある頭痛をただやり過ごしているだけに過ぎない。
初めて酒を飲んだ時でもここまで頭痛に悩まされなかったのに。
「辛いか?」
クロウが心配の色を滲ませる。
心配かけまいと視線で大丈夫と伝えると苦笑された。
クロウの色彩は異質だが、顔の造りは見蕩れる程整っている。
突然投下された微笑に頬が朱に染まり熱い。
ゆっくり下りてきた手が、リンの額と瞼を被った。
落ち着いた体温が痛みを包んでいるように和らげていく。
ずっとこうしていたい程心地良かった。
寝台が小さく軋む。
呼吸を止められた。
手で遮られて何も見えないが、唇が塞がれているのはわかった。
生暖かな感触に緊張が走る。
ほんの僅かな時間、数拍で手とともに唇も離れていった。
何故、と視線で問う。
「顔色が戻ったな。頭痛はどうだ?」
「何言って……あ、ちょっとましになった」
「それはよかった」
拭って捨てたい程の頭痛が和らいでいる。
クロウが何をしたかわかった。
同時に罪悪感が沸き上がる。
「もうやめてくれ。おまえの方が倒れるぞ」
「そんなに柔じゃない」
クロウは悪戯っぽく笑った。
だがリンは気が気でない。
それはただの接吻ではなかった。
口から口に伝って、白炎をリンへ送った。
山中の村で出会った、魔憑きであるシャラを朱炎で正気を保たせていたシウマのように。
炎は神官の生命力を変質させて具現化したものだと、リオンが魔の研究の過程で発見した。
炎を使った直後のクロウは眩暈を起こしたり顔色を悪くさせる。
「休んでいれば体調は戻る。クロウが力を使うほどじゃない」
頭痛の煩わしさがなくなり、リンは上半身を起こした。
はっきり言わないとクロウは再びリンに炎を注入しようとするだろう。
リンは自身よりクロウが大事だ。無理をさせたくない。
「無理だ」
「!」
しかし、クロウは首を振る。
そればかりか、リンを抱き寄せた。
子供の頃からの仲とはいえ、リンは寝起きで寝巻きしか身につけていない。
気を失う直前の事柄が鮮明に思い起こされ、顔から火を吹く程真っ赤になって慌てた。
「死んだと思った……俺が、俺の所為で……失うかと思ったんだ」
「……なんで?」
取り乱すクロウに、リンは逆に冷静になっていく。
周囲の心配が度を超えていると思っていたが、そうならざるを得ない状況だったのだと理解した。
あの行為は魔を祓う為のこと。神官の力をもってリンの体内を浄化しようと試みた。
その結果、リンは死の淵に立ってしまった。
「魔がおまえを道連れにしようとした。全身から血が噴き出し、呼吸が止まり、心臓が止まり……死んだ。それを無理矢理白炎で繋ぎ止めたんだ」
「そんな状態の俺を生かそうとしたのか」
全身を隈なく探っても魔の気配はない。
海賊を一撃で屠った腕力も、クロウの肩を押し返すことすら出来ない。
魔の呪縛から逃れている。
魔を完全に祓うまで、クロウが必死で力を尽くしてくれたことに他ならない。
クロウに執着されている自覚はある。命を削ってまでとは思っていなかったが。
「俺にはおまえしかいないんだ」
「クロウ……」
クロウの心からの叫びに胸が締め付けられる。
幼い頃から共に育ち、苦楽を共有し、感情を分け合った半身とも言える相手。
リンとて、離れていた三年間、クロウに会いたくて恋しくて仕方がなかった。
どんなに想っても交わることを許されない間柄。
自覚と共に諦め、一臣下として弁えた。
せめて傍にいられるよう剣の腕を磨いて役に立とうとした。
邑にはリンより優れた剣の腕を持つ者も多い。
何か一つでもクロウの為になることを、と必死で邑を走り回っていた。
リン一人で出来ることなど僅かで、文官、女官、他の官吏が神殿に居着く度、足元が掬われる心地がした。
それでもクロウはリンを傍から離さなかった。
それがどれ程惨めになったか。自分の狭量に思い至ったか。
邑の長であるクロウの重圧をわかったふりをして。
「そんなことない。みんなクロウの味方だ。俺がいなくてもやってこれただろ……」
「違う!」
クロウが吠えた。
耳元のすぐ近くだったのでキンと痛くなる。
「違う、そうじゃない。俺が無理だ。俺には……おまえは、俺の片翼なんだ」
「…………」
「おまえがいないと俺は生きていけない。頼むから、離れていくな」
抱きしめる腕の力が強くなる。
離すまいと縋り付いているようだ。
リンも抵抗せず抱擁を受け入れた。
子供の癇癪のような仕草に胸に燻っていたわだかまりが消える。
そっとクロウの背に手を添えた。
「離れたり、しない。クロウが必要としてくれるなら、ずっといるから」
「リー」
力を込められ、背後に押し倒された。
クロウはリンに覆いかぶさり、間を置かず口を塞ぐ。
強引で優しくない行為。吸われ、舌を絡め取られ、口の中を蹂躙された。
ぞくりとした悪寒と僅かな甘い痺れに目を閉じる。
抵抗し難く甘受した。
「リー……」
クロウの手が体の線をなぞり、衣の襟に手を掛ける。
脱がされると勘が囁いた。
昨晩、否、八日前の晩の記憶が鮮明に思い起こされ、カッと体が熱くなる。
「ひっ!? ちょっ、待て待て待てっ!」
「耳元で騒ぐな」
雰囲気を打ち壊され、クロウはうんざりと眉を顰めた。
手は止まったが、体の重みで抜け出すことができない。
「一度経験したら二度も三度も同じだろう。今更拒む理由はないはずだが?」
「変わるわ! それにあれは治療って言ったじゃないか」
「結果であって事実しただろう。リーだって積極的に求めて……」
「わーわーわーーっ!」
じたばたと暴れるリンがの腕を掴んで寝台に縫い止める。
逃げ出そうともがく足も押さえつけた。
「俺に触られたくない程嫌いか?」
「そんなわけないだろ!?」
「なら、何故嫌がる」
「だって……」
クロウは首を傾げる。
拒む理由が思い当たらない。
ただ恥ずかしがっているというわけでもなさそうだ。
背けた顔に嫌悪はなく、困っているという雰囲気である。
「こんなことをしたって、俺は妃になれない……っ」