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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
帰還
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リン 二十 ー 40 ー

リンが卓に着き、茶を飲み始めると、クロウの食事を用意すると言ってアイリは下がっていった。

本当にただの女官に徹しているようだ。

部屋で一人になったリンはじっと隣の部屋に続く朱色の扉を眺めた。

基本、神殿の内装は白い壁に朱い柱、神官の身の回りは特に徹底している。

神官の妃の部屋であるこの部屋も、神官と揃いの色で統一されている。


「何だかなぁ……」


何故だかわからないけれど、アイリはリンを歓迎しているようだった。

クロウの相手ーー妃として望まれていると感じた。

平民のリンを女として傍に置くのは、クロウにとって利のない荷物にしかならないのはわかりきっている。

たとえクロウが望んでも、後見人であり執政を担っているリオンが認めなければ婚姻は難しい。

なにより家名持ちが黙っていない。

妃候補に選ばれるのは神官一族の血が混じる家名のある特権階級の令嬢。

アイリ以外にも邑には数人存在する。

リンのような平民が選ばれるのなら、血筋関係ないと看做され融通しろと言ってくるに違いない。撥ね除ければ、血筋の女性を担ぎ上げるだろう。

それに、リンは男として振る舞っていた。

今更歓迎されるわけもない。


リンは横っ腹を摩った。

包帯が撒いてあるあたりだ。

痛みはない。

傷がないと驚いていたネイ。

あるはずの傷がないことにリンは違和感を感じていなかった。それは三年間で当たり前になっていたのだから。


「まだ、魔が抜けきっていないのか……」


刃物で切った深い傷さえ血が流れた跡を残して瞬時に消える驚異的な回復力は魔憑きの証拠。

呟きに失望が滲んでいる。

魔に意識を乗っ取られてから記憶がない。

魔の森でクロウの姿を目に入れた途端、意識が闇に沈んだ。

リンが魔憑きであると、あの時点で知られた筈。

神官の敵である魔を神殿内に入れたとなれば、脅威はないと看做されたのだろう。

現に部屋にはリン一人で、見張りはいない。

おそらくクロウの白炎でリンの内に巣食っていた魔が祓われた。

完全な魔憑きとなったリンはクロウを襲ったのだろう。醜く禍々しい姿で。

傷はその時出来たと考えられる。

いつもなら傷の痕跡さえ残らず治癒されるのだが、傷があったとわかる鬱血があった。

炎で魔の力が弱まっている所為だろう。

クロウを前にしても魔の声がしない。

殺したい程憎い神官が目の前にいたのに腹の底から沸き上がる殺意が微々とも感じられない。

どれくらい気を失っていたかわからないが、治療師のネイが見て驚愕する程早く傷が消えているのだから、リンの中に魔がいるのは間違いない。


そもそも、何故意識を保っていられるのかわからなかった。

魔と契約したから?

それなら他の魔に取り憑かれた者たちも、魔を内に入れながら意識を保って魔に操られる選択をする者だっていてもおかしくない。

魔憑きになった人間は須く命を吸い尽くされ、魔の操り人形となって人を襲った。

魔憑きになって三年、ずっと考えていたことだが未だに答えに辿り着けていない。

それどころか、新たな疑問迄生まれてしまっている。


「俺は、いったい……」


キイ、と軽い音を立てて廊下に続く扉が開いた。

白髪の美丈夫が戻ってきた。

表情から機嫌がよろしくないと窺える。

眉間に深い皺が刻まれ、ちょっとやそっとでは戻りそうもない。


「いたか」

「いるだろ」


クロウが部屋を離れたのはほんのわずか。

部屋を出るにしても衛兵が至る所にいるので人目に触れず抜け出すのは難しい。

すぐに連れ戻される。逃げる気はないけれど。


「そう、だな」

「一緒に飯食うって言っただろう」

「うん」

「今アイリが持ってきてくれてる。茶ぁ飲む?」

「もらう」


空の茶碗に茶を注ぐ。

二杯目は湯気が少なく、冷めていた。

言葉少なく二人で茶を啜る。

ちらりと盗み見たクロウの表情の強張りはまだ消えない。


「俺ってさ」

「なんだ」

「……どれくらい寝てた?」

「まる二日」

「……二日、か」


魔の森は隙間なく木が生い茂り、陽の光が届かない。

朝から入森したが、時間の感覚はなく、どこまでも続く木々が終わりを感じさせない。

どれくらい経ったのか、昼なのか夜なのかわからず、魔の圧力もありただただ体力を消耗させた。

窓から見える空は薄暗い。これから闇が広がる刻限になる。

魔の力が強まる時間だ。

リンに内の魔も、おそらく力を増幅させるだろう。

今はまだ魔が暴れる気配はないが、眠っている間に勝手に動いていたら目も当てられない。

昨晩は何もしなかったようだが、おそらく傷の修復に全力を注いでいたのだろう。

まだリンの体が有効だと判断し、傷の修復を優先したのかもしれない。

いつもなら深い傷でも一刻もしない内に消える。二日経っても痕が消えないのはそれだけ魔の力が弱まっていることを指している。


「リャンから聞いた」


クロウが遠い目をしながら静かに言葉を吐いた。

クロウの横顔を見ながら苦笑する。

ひどい内容だっただろう。


「ごめんな?」

「何の謝罪だ」

「なんとなく……」


クロウがリンの手に己の手を重ねた。

温かくて安心する。


「帰ってきたならいい」


クロウはリンに甘い。

クロウとの約束を反故にしようとしたのに許してしまう。

体を乗っ取られている間、魔はクロウを殺そうとした筈。

それすら許してしまいそうだ。

神官に牙を剥いた時点で斬首。どんなに高い地位を有していても、魔に操られていてもだ。例外はない。

神官は誰より尊い存在なのだから。


「俺から離れることだけは許さない」

「またそれか」

「大事なことだ」


重ねた手が握り込まれる。

離さないという意思が込められているようだ。


「クロウが望むなら、離れないよ」

「嘘じゃないだろうな」

「嘘なんかつくか」


掌を返し、今度はリンがクロウの手を握り返した。


「……随分待たされたんだが」

「謝っただろ!?」


クロウの手が離れ、長い指が掌から手首へとゆっくりなぞる。

リンはぞくりと背筋を振るわせた。それなのに頬は熱い。


「仲がよろしくて喜ばしいですが、安静にという診断を忘れておりません?」

「!?」


いつの間にかアイリが戻ってきていた。

手には食事を乗せた盆がある。

今迄使われることのなかった侍女の小部屋の本来の機能が発揮されている。

思わずクロウの手を振り払った。


「おい」

「つい……」


神官と従者が必要以上に触れ合っているのはよろしくない。

男性同士の過度な触れ合いは白い目で見られがちだ。

子供の頃ならまだしも、成人してからは極端に減った。

だが、ふとした時にクロウはリンに触れる。

人目を気にしてリンはクロウから距離をとるのだが、咄嗟のことなので雑になりがちだった。

しかし今は男と女。想い合う仲なのだから触れ合うのは自然のことだった。

慣れないことに恥ずかしさが先に浮上する。


アイリは運んだ食事を卓に並べると給仕することなく下がった。

クロウが下がらせた。

もともと、リンとクロウは私室で二人で食べることが習慣だった。

都にいた時からリンは毒見を兼ねている。

邑に来てから一度もないが、万が一の為にクロウが口にするものは先に食べるようにしていた。

機能していないとわかっていながら、敢えて人払いをしていた。

卓に並べられた料理に手をつける。

リンに用意された粥はすでに冷め、湯がいた野菜も水がしみ出しべちゃべちゃになっている。

閉鎖されている邑で食料は貴重。豆一粒だって無駄に出来ない。

アイリは温め直すと申し出てくれたが、冷めた飯どころか顎が痛くなる程固い肉も焼き過ぎて焦げた魚も慣れているので断った。

港町で働いていた食堂は人気の食事処だったので、少々舌が肥えてしまった自覚がある。薄味の粥に物足りなさがあった。

侍女の控え部屋から気配が消えるのを待って、クロウが口を開いた。


「おまえは気づいていると思うが」

「魔か?」


クロウは頷いた。

やはりか、とリンは顔を顰めた。

魔の性質を一番知っているのは神官であるクロウと、魔を研究しているリオン。

リャンから報告を受けたのなら、リンの内に魔がいたことを聞いているだろう。

そして、ネイの診療も。

魔憑きの脅威的な回復力は邑では広く知られている。

リンの内にまだ魔が残っていることに気づく筈。

人払いをしたのは決定的な言葉を聞かれない為だったと察せられる。

リンが傍にいることを望んだのはクロウなのだから。


「クロウが白炎で祓ってくれたんだろう? それでも全部は消えてない」

「敢えて消さなかった、というのが本当のところなんだが」

「…………は?」


リンの顔が歪む。

魔は神官の命を狙っている。

自殺願望でもあるのかと疑ってしまうではないか。


「魔が消えたら、おまえ死んでたぞ」

「そうなの?」

「腹を斬って傷口から炎を注いだ」

「おまっ、殺す気かよ……」

「賭けだったがな。その前に魔は炎が届かない所まで逃げたようだった。まあ、おかげで死なずに済んだ。よかったな」

「よかった……のか?」


リンは眉を下げながら首を傾げた。

良いか悪いか判断しかねるが、まず生かしてくれたことに感謝することにした。

魔がリンの内にまだ巣食っているなら、すべて消さねばならない。

逃げ場を失うまで執拗に追ってでも。

リンの命を天秤にかけるまでもない。


「二日で傷は癒えたが、魔が回復しきる前に今度はすべて焼く」


リンは慎重な面持ちで頷いた。

魔はまだクロウを諦めていない。

その為のリンの体だ。

だが、方法だ。

傷口から炎を注いでも焼かれない所まで逃げたというなら、リンの全身を焼くしかない。

リンの体中に張り巡らされた魔の力を取り払うのだ。命と引き換えになる。

沈痛な面持ちのリンとは逆にクロウはにやりと口の端を持ち上げた。


「それで、魔は何処にいるかわかるか?」

「何処って、体の中としか……」

「正しくは部位だな」

「知るかよ」


様々な教養を詰め込まされたクロウと違い、リンは読み書きと簡単な計算程度しか身につけていない。

クロウに付き合って同じ講学を受けたが殆ど理解の範疇外だった。

体の部位は武術を習得する際に覚えたが、内部のことまで詳しくない。

精々腹を斬ったら長い臓器や小さな小袋が飛び出る、位だ。

クロウはリンの下腹部を指差した。


「魔はここにいる」

「腹?」


リンは臍辺りを撫でる。


「もっと下だ」


臍と股の中辺りを指す。

心当たりがなくリンはきょとんとクロウと腹を交互に見た。

何故ここだと言い切れるのか。


「リー、妊婦の腹を見たことないとは言わせんぞ」

「そりゃあるけど……」


子を宿した母体の腹が大きく膨らむことくらいリンも知っている。

港町ではお産の手伝いをしたこともあった。

それと魔のつながりがわからず、ますます混乱して視線を彷徨わせる。

察しが悪いと言わんばかりにクロウは眉を顰めた。


「まだわからんのか」

「何をだ」

「男と女が媾うと子供が出来ることも知らねぇとは」

「それぐらい知ってるっつーの。それと魔が何か関係あるのかよ」

「おまえのはらに直接俺の子胤を注げば魔が完全に祓える」

「な……るほ、ど……?」


やっと理解したリンの顔が瞬時に真っ赤に染まる。


「嫌とは言わせない」

「……うん」


クロウの傍でクロウと生きる。

共に望んだこと。

魔を祓う為に必要なことだ。


「おまえを抱く」

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