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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
帰還
113/123

リン 二十 ー 38 ー

視界を闇色に塗り替えられた世界。

何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。

本能が拒絶しようとも纏わりつく闇が消えることはなかった。

魔が見せる悪夢。

魔に魅入られた以上、生涯ついてまわるものだと諦めていた。


『見つけた。おまえだ』


何故リンが魔に狙われたのか。

リンが白炎の神官、クロウの傍にいるからだ。

クロウからの絶対の信頼を得ているからだ。

魔に憑かれては、築いた絆を裏切らないとクロウを守ることが出来ない。

リンの命など道端の石ころと同じだ。

命を持って償おうと思っていたのに。


振り払えなかった闇が一瞬で燃えた。

真っ白な炎がリンを包み、闇を祓った。

真っ直ぐ伸ばした指の先が見える。

鼓動の音が聞こえる。

無痛の体にぬくもりを感じる。

一面の闇が真っ白に塗り替えられ、手を伸ばした先に灯りが見えた。

神官の証の、魔除けの朱色だ。






ふっと意識が浮上し、目を開いた。

焦点が合わず視界が霞む。

体に感覚が戻って、意識と繋がっていく。

体は横になっているようだ。

見えている視界は天井。

繊細な模様が彫られている木の枠がいくつも並べられ、豪華な造りだとわかる。

横たわっている寝台に敷かれた布は、肌触りが良く平民ではまず手に入れられないもの。

けれどリンはここが何処かすぐにわかった。


「…………俺の、部屋」


呟きは空気に溶けた。

喉ががさがさで声が出ていない。

一つ気づくと目に入るものすべての情報が頭の中に浮かんだ。

白い壁、朱い柱、簡素な造りの調度、壁に掛けられた織物。

すべて見覚えがあり、懐かしいものばかり。

間違いなくリンが使用していた神殿内の私室だ。


「お目覚めになりましたか」


すぐ近くで声がした。

クロウではない。

馴染みのない女性の声だった。

知らない人間が部屋にいる、と警戒心が一気に跳ね上がった。

身を守ろうと起き上がろうとするが、思うように体が動かない。

せめて姿だけでも、と首を巡らすと、女官の衣装を着た美しい女性がいた。

知らない女官。否、印象が違うが、覚えのある顔だ。


「無理に起き上がらなくても大丈夫ですわ。只今神官様をお呼びしてまいりますので、楽にしてお待ち下さい」


女官は綺麗に一礼をして隣にある控えの侍女部屋から退室していった。

彼女の気配が消えるとほっと息を吐き、体の緊張を解いた。

目を瞑って記憶を辿る。


思い出せる最後の記憶は、魔の森の中でサイリと居合わせた所だ。

サイリの暴言に頭に血が上り、手が出そうになった所をリャンに止められた。

もちろんそれ以前のことも覚えている。

だがそれ以降が曖昧で良く覚えていない。


ふっと瞼を開いてぐるりと部屋を見渡す。

三年前と変わらない配置。

さわさわと囁く森の梢や、神殿内を忙しなく走る足音、時折聞こえる鍛錬の掛け声、女官たちの賑やかな会話。

神殿内での日常音が、帰って来たのだと実感させてくれる。

本当はずっと眠っていただけで、港町の生活も、三人での旅も、魔に憑かれたことも、すべて夢だったのではないかとすら思えた。

やがてバタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。


「リー!」


正面の扉が開き、飛び出す勢いで人が流れ込んできた。

癖のない長い白髪を振り乱し、リンが横たわっている寝台に我先にと齧りつく。

その綺麗な顔を間近まで近づけられた。

金の瞳が揺れている。

普段は無表情を貼付けているのに、取り繕うこともできない程心配させてしまったのだと知った。

目の前に本物のクロウがいる。


「はいはい。邪魔ですよー。退いて下さーい」


邑の最高権力者は雑に押し退けられ、かわりに神殿専属の治療師兼薬師がリンの顔を覗き込んだ。

目を開かされ、口を開かされ、首元を触られる。

次に、掛け布を剥がされると、腹部に触れた。


「痛む?」


腹部に布が強く巻き付けられているのか圧迫感がある。

その所為か、痛みというより違和感がある。

なので緩く首を振った。


「傷を見るよ」


言うが早いか、寝間着を掴んで開こうとしている。

流石に慌てた。

リンは邑では男と認知されている。

知っている者は極々一部。

リオンの部下で治療師のネイがリンの本当の性別を知っていても不思議ではないが、その他は違う。

いきなり素っ裸を見られるのは大変よろしくない。

ネイの手から逃げようと体を捻る。


「あんたにも慎みってもんがあったのね。今は必要ないから、傷を見せなさい」


有無を言わさず寝間着を剥がされた。

直ぐさま先程の女官が掛け布を掛けてくれたので、見られて拙い箇所は人目に曝されずに済んだ。

寝間着を脱いで体を直視する。改めて、腹部に包帯が巻かれているのを確認した。

気を失う前まで大仰な治療を施す傷はなかった。

出来ても魔の驚異的な治癒力で即座に治った。

ネイの手がするすると包帯を解く。包帯と一緒に血色に染まった当て布も外れた。


「これは……どういうこと?」


独特な薬草の匂いと微かな酒精が鼻をくすぐる。

治療を施したのは手慣れた者、つまりネイだろう。

そのネイが、傷がある場所を凝視して眉を寄せた。

傷をつけられたリンは、包帯の下の肌がどうなっていたのか知らない。

ただ、傷があったと思われる箇所が赤紫色に鬱血しているだけ。

強く押したら多少鈍い痛みが刺す程度。この程度は傷の内に入らない。


「リー。気分はどうだ?」

「……?」


クロウの質問の意図がわからず首を傾げる。

三年振りの里帰りの感想を聞きたいなら、今ではない。


「俺を殺したい、とか。人の精を吸いたい、とか。血肉を啜りたい、とか」

「あ……っ、るわけないだ…、ゴホッ!」


突然大声を出した所為でガサガサな喉が悲鳴を上げ、盛大に咽せた。

女官に支えられ上体を起こし、水差しからゆっくり水を飲ませてもらった。

神殿内で初めて見る女官だが、非常に有能なのがわかる。

それに触れ合う程間近にいると良い匂いがする。

覚えのある香りと清楚な面差しに、唐突に記憶が繋がった。

意外過ぎて、つい指を指してしまう。


「えっ、なんで!?」

「あら。覚えて頂いており光栄です」


女官に扮したイ家の令嬢アイリがにっこりと微笑んだ。

儚げだった印象はまったくなく、強かで出来る女性に見える。

リンの知る所では、女官長のランに雰囲気が良く似ている。


「アイリはおまえ付きの侍女だ。教育係も兼ねている」

「は? 侍女? 教育係?」

「よろしくお願いします、リー様」

「え、はい、よろしく……? じゃなくて、なんで!?」

「ちょうどいいだろう」

「ちょうどいいって……」


雑なまとめられ方に呆れるしかなかった。

昔から面倒なことや言いたくないことは端折る。

イ家が邑から追放されたのは森の前の村で聞いている。

森で会ったサイリが、アイリは神殿にいると言っていた。

それは神官の妃としてではなく、女官としてということだったのだろうか。

経緯はわからないが、クロウもアイリも納得しているようなので、今言及すべきではなさそうだ。


「傷が消えてるのは気になるけど、意識はしっかりしてるし、水も飲めてる。一先ず問題ないでしょう」

「ご苦労だった」

「怪我がないと言っても、くれぐれも安静にしなさい。外を走り回ってたら拳で制裁喰らわすからね」

「はーい」


ネイは手を振って部屋を出て行った。

さりげなくアイリが寝間着を着せてくれる。

まだ信じられなくてまじまじとアイリを見てしまう。

その間に、アイリはてきぱきと、リンが動き易いように部屋を整えている。

生粋のお嬢様に世話を焼かれているなんて、身構えてしまう。

目が合うとにっこりと微笑みを返された。

すると、ふっと視界が暗転した。

人肌が目元に触れる。

クロウによって目を被われたのだった。


「誑し込もうとするな」

「仲良くして頂きたいと思っているだけですわ。心が狭いのではありません?」


互いの言葉に刺がある。

見えていないのに睨み合っている情景が浮かんだ。


「わたくしは下がりますわ。リー様は目覚めたばかりですので、あまり無理はさせてはいけません。それに、御政務を放り出してきたのでしょう。戻らないと皆様に迷惑がかかりますわ」

「…………わかっている」


クロウは舌打ちしつつも、素直に頷いた。

同世代で、しかも女性に言い負かされているクロウを初めて見た。

アイリは綺麗に一礼をして部屋を出て行った。

部屋にはリンとクロウ、二人きり。

目隠しされた瞬間は気にならなかったが、背中にクロウの存在を感じる。

うしろから抱きすくめられていた。

一度気になると意識してしまい、体中の熱がぶわっと上昇する。

片手で数えられる齢から一緒にいて、着替えも湯浴みも寝床も一緒にしていたこともある。

抱き合うのだって今更だ。


たった三年。二十年生きて、出会って十六年、共に過ごした十三年。

三年間、森の外の世界を見て知った。

そして、どれだけ離れてもクロウのことを忘れることはなかった。

魔は炎が使える神官に惹かれる、と聞いて揺れることもあったけれど、変わらない。

リン自身がクロウを強く想っていると確信している。

だから触れられて嬉しい反面、どうして良いか困惑してしまう。

どうするのが正解だろうか。

べたべたするなと腕から逃れるべきか、素直に擦り寄って甘えるべきか。

否、甘えるのはない、と我に返った。

娼館で働いた時もしなかったし、今まで女を武器にクロウに甘えたことなど一度もない。

リャンは、間違いなくクロウはリンが女であることを知っていると言っていたが、リンが明かしたわけではない。

男だと公言したわけではないので、周知されてしまっている性別が実は偽りだったと謝るのもおかしい気がする。

それなら逃げる一択だ。

だが、クロウの腕はリンを抱いたまま離さない。


「ク、クロウ……?」


離してほしい、と伝える為に軽く腕を揺すった。

しかし腕は解かれることなく、そればかりか更に強く抱きしめられた。


「クロウ!? 離せって……」

「離したら、また何処かへ行ってしまうんだろう」

「行くわけ……」


体を捻ってクロウの顔を見た。

言葉を失ってしまう。

何度も見たことがある、旅先で訪れた村で別れを惜しんで駄々を捏ねている子供と同じ目をしていた。

たった三年。されど三年。

けして離れないと誓った相手だったのに。


「ごめんなさい」


ずっと心配してくれていた。生きていると信じてくれていた。

それなのにすぐに帰るという約束を違えてしまった。

魔憑きになってしまった、なんて言い訳でしかない。

離れようと考えたことが、クロウにとっては裏切りなのだから。

あの時言うことを聞いていれば、と過去を悔やんでも時は戻らない。


「二度と俺の傍から離れるな」

「…………」


クロウの瞳を真っ直ぐ受け止めることが出来ず、僅かに目を逸らした。

一緒にいたいという気持ちは嘘ではない。

なのに、スエンの顔が浮かんだ。

誠実なスエンの求婚を無視してクロウへ誓いを立てることに後ろめたくなった。

条件付きとはいえ受諾したのはリン自身。

命を落とすかもしれない旅に付き合わせて、何も言わずなかったことにすることはできない。あまりに不誠実だ。


「ーーっ」


顎を捕まれ、力任せに引き寄せられた。

ぞくりと怖気が走る。

幼い頃から首に触れられることが苦手だった。

クロウは知っている筈なのに。

何故と考える間もなく、噛み付くように唇を塞がれた。

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