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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
帰還
112/123

リャン 二十二 ー 6 ー

「神殿への挨拶は明日で良いから、今日はゆっくり休め」


常時は扉は閉じられ、門番以外に人気のない門だが、やけに人の出入りが多い。

殆どの者がクロウに注視していたが、目敏くリャンを見つけて驚きの声を者もいた。

太陽は西に傾きかけ、空の色が青から橙に染まり始めている。

森の中は暗く、時間の経過が鈍っていたが、空を見ればどれほど経っていたか実感する。


「お言葉に甘えて。明日窺います」

「うん」


クロウはリーを抱えたまま神殿内の居住区へ向かった。

数歩進み、脚を止めて振り返る。

何事かと咄嗟に畏まった。


「リャン」

「はい」

「ありがとう」

「……」

「生きて帰って来てくれて、リーを見つけてきてくれて……心から感謝している」

「…………今までで一番嬉しいお言葉です」


西陽で良く見えない主に向けて、深く頭を下げた。

ざわざわと胸が騒いでくすぐったい。

地面の影が見えなくなるまで頭を上げられなかった。


「リャン?」


スエンに呼ばれてやっと顔を上げる。

太陽は殆ど地平線に消え、空は薄闇が広がっている。

篝火を頼りに探ったスエンとふいに目が合った。


「!? おい!」

「なに?」


スエンはぎょっと目を見開いている。

人の顔を見て失礼な、と訝しんだ。

しばし唖然としていたが、二・三度瞬きをしてふっと笑みを作った。


「……いや。泣く程嬉しかったんだな」

「泣く?」


何のことだと頬を指で触れる。

寮の頬が濡れていた。

成人してから泣いた記憶はない。

どんなに苦しい訓練の時も、仲間が魔に食われた時も涙を流したことがなかった。

一言、クロウに感謝の言葉を貰っただけで、無意識に落涙した。

自覚したらボッと全身が火を噴いたように熱くなる。

ガシガシと袖で乱暴に目を拭った。


「見んなよ。恥ずかしいから」

「いいじゃねぇか。おまえの人間らしいとこ、初めて見た気がするぜ」

「あーもう! 家帰るっ!」


乱暴な足取りで門前から離れる。

神殿の敷地内を通って、南の居住区に出る門を目指した。

ロ家の工房は神殿の隣の区画にあるので、門を出てすぐだ。

ちなみに同じ区画のお隣はニ家の屋敷である。

通りに面しているのは武具の工房。

武具以外にも頼まれれば何でも作るが、得意は金物の加工。

家族と通いの職人の数人で回している小さな工房だが、腕の良さを買われ神殿御用達を得た、都でも人気の工房だった。

人気よりリオンへの忠義を選び、邑で工房を開いた。

火の落ちた工房はすでに暗く人の気配がない。

入口から離れ、屋敷のある裏側へ回る。

住人は家族のみ。大祖父と祖父母、父母と叔父。

それに、婚約をしてから一緒に暮らしている恋人。

屋敷といっても工房がある分土地が広く、それに合わせて住居の方もやや大きいだけで普通の家と変わらない。

他の住民から見たら、三世帯が一緒に住める広さなのだから充分屋敷といえる。

石畳が並べられ、端の方は建物の影となり苔が生えてしまっている。

あたりはすっかり暗くなり、滑り易い石畳は火がないと足元が覚束ない。

家に入りにくい理由はそれだけではないが。

一年振りの実家を前にすると、妙に緊張する。

先に顔を合わせた叔父のルオウは神殿からまだ戻っていないだろうし。

祖父と祖母は顔を見せたら喜んでくれるだろう。

母親は泣いてしまうかもしれない。

父親は、よくわからない。

職人気質で家族の中では物静かな方。剣の腕をルオウと比べられて、口にしたことはないが劣等感を持っていて、穏やかさの中に隠しているような人だ。

リャンは子供の頃からルオウに懐いていて、父親より叔父と一緒にいることが多かった。

帰って来たと知ったら、喜んでくれるだろうか。

疾しいこと等ないのに、一年の月日が躊躇させる。

深呼吸をしようと胸に手を当てる。

懐に忍ばせていたあの存在を思い出した。

これを渡したい相手が家の中にいる。

躊躇いが消え、扉を開けようと手を伸ばした。


ーーバンッ


リャンの手が扉に触れる前に勢い良く開いた。

玄関を照らしていた火が小柄な女の子を映し出す。

女の子が扉の目の前にいたリャンを目にすると、くしゃりと愛らしい顔を歪めた。

驚きで言葉を詰まらせたのか、掌で口元を被った。

なんと声をかけて良いのかまとまらず、頭に浮かんだのは陳腐なものばかり。

『一年振り』

『元気そうで良かった』

『少し痩せたか?』

『まだ家にいてくれたんだ』

どれも違う気がして言葉を探す。

そうだ、彼女を安心させなくてはいけない。

今にも泣いてしまいそうなのだから。


「ただいま」

「…………本物ですか?」

「うん」

「魔に、食われたと聞きました」

「そっか」

「もう会えないって……たくさん、泣きました」

「ごめん」

「生きて……いるのですね?」

「生きてるよ」


「ただいま、ジウ」

「おかえり、なさいませ……っ」


堪えきれず大粒の涙を零すかわいいかわいい恋人をぎゅっと抱きしめた。

ただ会いたかったと伝えれば、良かったのだ。

腕の中の体温に、抱きしめ返してくれる腕に、リャンこそ安心した。

まだリャンを慕ってくれている。心はまだリャンの傍にあると安堵できた。

誰にもとられたくない、自分のものだと大きな声で主張したい。

スエンが見ていようが構うものか。

膨らむ胸の情熱をぶつけてしまいたい。

両手でジウの頬をそっと包み込む。

温かくて柔らかかった。


「兄さま……手が、傷だらけですね。それに冷たい」

「え……? そう?」


ジウはリャンのカサカサな手をとって、まじまじと眺めた。

森を抜ける最中に付いた傷もあるし、旅の道中で負った既に治っている傷もある。

おかげで盛り上がりかけた熱がしゅんと冷めた。


「そうです! 怪我をしたら教えて下さい、とお願いしたでしょう!」

「ごめんね……?」


怒っても可愛いのでつい頬が緩んでしまう。

変わらないジウの対応に愛しさが増す。

帰って来たのだと実感を噛み締めているうしろで、忍び笑いが聞こえているが、今は無視をしておく。

だがジウが気づいてしまい、瞬時に顔を赤く染めた。


「いやだ……お客様がいらしたのですね。恥ずかしい……」

「こちらこそ突然訪れてすまない」

「ルオウ様よりお客様が来ると言伝をもらったのですが、まさかお二人とは」


ジウは居住まいを正して家の中へと促した。

家族の顔を早く見たいが、身なりがボロボロだ。

先に自分の部屋へ行くことにした。

ジウに頼んでお湯を用意してもらう。

既に死んだ者とされているリャンの部屋は、そのまま残されていた。

調度も、衣服も、出掛けた時と同じ、何一つ捨てられていなかった。


「良い家に住んでんだな」

「これでも家名持ちですから」


客間を用意するまでの間、スエンもリャンの部屋で身なりを整える。

持っていた衣類は薄汚れ、草臥れや綻びが目立つ。

リャンの持ち物から着替えを貸した。

身長や体格はスエンのが良いが大差はない為すんなり袖が通った。


着替えて休む間もなく家族が集まる居間へ向かう。

自分の育った家なのに、やけに緊張しながら廊下を歩いた。

案内をしてくれたジウが扉を開く。

居間には家族が揃っていた。

神殿内で重役を任せられているルオウも今日ばかりは残業せず帰ってきたようだ。

曽祖父だけは臥せっていて起き上がれないらしい。

皆の視線が一斉にリャンに向けられる。

予想した通り、母親は顔を覆って泣いてしまった。


「よく、帰ってきた」


一番初めに声をかけてきたのは祖父。大きな手で頭を撫でた。

子供扱いされているのはわかったが、それが妙に嬉しくてされるが侭に髪をわしゃわしゃと掻き混ぜられる。


「まったくよ。任務に死力を尽くせとは言いましたが、死んでいいとは言ってませんよ」


祖母は目に涙を滲ませ、リャンの胸を叩く。

本気で心配をし、帰ってきたことに喜んでくれている。

揶揄を口にしても瞳が語っていた。


「死んでないぞ、母さん」


ルオウが今にも泣き崩れそうな祖母を引き取り、長椅子に座らせる。

喜びで溢れる居間の中で、父親のカナンだけはじっとリャンを見つめたまま沈黙を続けていた。


「さあさあ。リャンと客人は長旅で疲れているんだ。クロウ様からも早く休ませるように言われている。続きは明日にしよう」


パンパンと手を叩きながらルオウがお開きを促す。

元気そうなリャンの顔を見れただけで満足した祖父母たちから退席する。

スエンには客間が用意され、ジウに連れて行かれた。

スエンはしばらくロ家預かりになるだろう。ルオウに弟子入りしたいなら尚更。

きっと、神殿での寝泊まりは許可されないだろうから。


「リャン」


居間に最後まで残っていたカナンに呼ばれ、振り返る。

特別にかける言葉はない。

カナンもそうだろう。

生きて帰った。それがすべてだ。

視線が交わる。

カナンが何を思っているか読み取れない。

祖父母のように喜んでいるのかも、死んだと思っていた息子が突然帰ってきて怒っているのかも、リャンにはわからない。

カナンが突然ふっと表情を緩めた。

微笑っている。


「しっかり休め」


ポンと肩を叩いて、居間を出ていった。

静かになった居間に一人立ち尽くす。


「………………なんだよぉ」


胸に支えていたしこりがストンと落ちた気がした。

口元が緩む。

たった一言、言葉をかけられただけなのにひどく嬉しかった。


「あら? 兄さま、どうかしたのですか?」


戻ってきたジウが慌てて駆け寄る。

どうもなにもない。

何を慌てているのだろうと首を傾げた。

ジウの細い指がリャンの頬に触れる。


「お疲れでしょう? 床の用意はできていますのでお休みください」

「え……?」


重ねたジウの手は濡れていた。

ジウの手は温かく、水仕事をしていた様子はない。

ジウは何に触れた? リャンの頬だ。

知らぬ間にリャンの目から涙が溢れ出ていた。

上手く言葉が紡げず、ジウを強く抱きしめた。

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