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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
十七
105/123

リー 十七 ー 4 ー

目を開いた。

開いた筈だった。


「暗い……?」


何も見えない。

右も左も、前も下も、真っ暗だ。


「!」


蔓に捕らわれていた筈の四肢が動いた。

恐る恐る腕を動かしてみる。

動いている感覚がある。

顔の前まで持ち上げているが、夜目も効かない程の暗闇の所為で本当に目の前に腕があるのか確認できない。

握って、開いて、森の中にいる筈なのに何も掴めなかった。

ふう、と息を吐く。

臓物が腐るかと思う程空気が淀んでいる。

息が苦しく浅い呼吸しかできない。

苦しいのは息だけではない。

体中に纏わりついているのは空気なのか。

見えない何かに捕らえられているのかのように体が重い。

足も鉛のようで前に進もうとしない。

まるで全身が泥に浸かっているように思った通りに体が動かせなかった。

一面の月のない夜よりも深い闇。

視覚も利かなければ知覚できるものすべて麻痺している。

現実味のない夢の中を揺蕩っているようだ。


「ここは、どこだ……?」


発した声すら耳に届かない。

ぼわんぼわんと低い音が滲んでいくようだった。

見えない、聞こえない、感覚も鈍い。

不安だけが募っていく。

不安、なんてものではない。恐怖だ。

助けを求めることもできず、絶望が頭を占める。

恐怖は思考を狭める。

何処にいるのかわからないことも不安をかき立てる要因だった。

闇色は魔の象徴。

魔に囚われていることは確実だ。

落ち着け、と心の中で念じる。

バクバクと大きく打ち鳴らす心臓が雑念を捨てきれさせない。

落ち着くために起こったことを一つずつ整理しようとする。

嵐が来て、ジュジュがいなくて、雨が冷たくて、クロウが心配して、森で襲われて……

焦燥感で頭の中がごちゃごちゃにかき混ぜられ、吐き気すらする。

そうだ。クロウの元に帰らなければ。

この場所が何所かわからなくても、それだけは何があっても変わることはない。

使命と言っても良い。

このまま魔に食われて死ぬのか。

食われるだけならまだいい。

体を操られ、邑の住民たちを襲う魔憑きになるのだけは避けたい。

クロウが誰を妃に迎えようとも、愛していると伝えられなくても、クロウの傍にいたかった。

もう、叶わないだろうけれど。


「…………クロウ……」


脳裏に別れた時のクロウの顔が浮かんだ。

きゅっと眉根を寄せ怒っているように見せて、その眼差しは心細げに揺れていた。

十数年、ずっと一緒に生きてきた大切な大切な幼馴染。

過保護で少し面倒だけれど、リーを一人の人間として大事にしてくれた。

命をかけて守ると誓った主にもう会えない。

魔に食われることより、何より怖い。

まるで頭をガツンと殴られた衝撃を受けたようだ。



『会わせてやろう』



どこからか声がした。

金属が擦れたようにも、ドロドロに溶けたようにも、高くも低くも聞こえる不愉快な声だった。

知らないけれど聞いたことがある不安を掻き立てられる声。

途端に背筋に寒気が走った。悲鳴をあげてしまいそうな程に。

全身が恐怖に支配された。



『愛しい男に生きて会いたいのだろう』



リーの肩がピクリと跳ねた。

声の言葉に動揺する。

真っ黒に塗りつぶされた絶望に光が差した気がした。

クロウに会えないことが絶望ならば、道を示してくれるその言葉は救いだ。

救いを与えてくれるなら何がなんでも縋りたい。


「会いたい。クロウの所に帰りたい……っ!」


この声が魔の誘惑だとわかっている。

聞いてはいけない。

人の弱みに漬け込み、命を食う人類の敵。

会えるとしてもリーの抜け殻になった体のみ。

それでも気持ちは止められない。



『いいだろう。帰してやる』



逸った心に喜色が芽生えた。

重苦しい空気が思考を鈍らせている。

声に応えてはいけないのに、わかっているのに、帰れると聞けば飛びついてしまう。

一目会いたいと願っているから。

魔に従いたいわけではない。

ただクロウの元へ帰りたい一心だった。

先の見えない闇に向かって手を伸ばす。

この闇を抜け出せるなら、帰れるならと必死にならざるを得なかった。

もう帰ることしか考えられない。



『では、お前の体を明け渡せ』



声がにやりと笑った気がした。

脳内にかかった靄が薄れて、鈍っていた思考が徐々に晴れていく。

闇が収縮した。

突然の膨大な光に目が眩む。

衝撃に耐えるように固く目を瞑り、身を縮こませた。

纏わりついていた重い空気が凝縮して、突風のように体を通り抜けていく。


恐る恐る目を開ける。

森の中にいた。

さわさわと木々が揺れている。

闇に包まれていた時とは違い、周囲が認知できる。

魔の靄から解放されたのだ。

けれど、気分は最悪だ。

とても安堵など吐けようはずがない。


「俺は、なんてことを……」


魔に誘惑に負けてしまった。

リーを殺そうとした母親のように、魔の声に耳を傾けて縋ってしまった。

不安と焦燥から逃れる為にしてはいけない選択をした。

魔を祓う神官であるクロウに顔向けできない。

代償に心を食われ体を乗っ取られてしまう。

けれど、


「…………?」


腕は、動く。

脚も、動く。

肩も回るし、指も自由だ。

捕らえらる前と変わらず動かせる。

少し体が重いが奪われた感覚はない。

魔から解放されたのだろうか。

気を張った分肩透かしを食らった気分だ。

カツン、と足に硬いものが当たった。

リーが大切にしている剣だった。

刀身が仄かに白く光っている。

魔に反応して淡く発光する剣だ。

魔の森の中だからだろうか。

足元の剣を拾い上げる。


「もしかして、これが守ってくれた、とか……?」


クロウの力が込められた特別な剣だ。

剣のおかげで魔に取り憑かれずに済んだのかもしれない。

そうだとしたら、クロウと造ってくれたカナンに改めて礼を言わなくてはならない。

早く森を抜けて神殿に帰らなければ、



ーー何故だ

ーー支配できぬ



頭の中で響いた声にびくりと肩を震わせる。

魔の声だった。

魔は消えていなかった。



ーーなるほど

ーー僅かにれの力を内包しているな

ーー稀有な肉体ではないか

ーー吾を受け入れられるとは

ーー見込んだ通り

ーー使えるな



「ど、どこだっ!?」


咄嗟に剣を構え、周囲を警戒する。

首を巡らせても辺りは静かに窺うだけ。

先程のような蔓が伸びてくるわけでも靄に纏わりつかれるわけでもない。

周囲はリーを起点に円を描くように木が植っており、籠のように取り囲まれている。

天井も枝で覆われ、木に包まれた半球体のようだった。

傍にあるものはいしぶみのような黒い石。

構えた剣はその石碑に反応しているようにも見える。


「お前は誰だ! 何処にいる!?」


声は答えない。

だが、楽しんでいる雰囲気があった。

リーが焦っている所為だろうか。


「…………ちっ」


一向に魔が襲ってくる気配がないので、警戒しつつも剣を収めた。

すぐに抜けるよう、腕に抱えておく。

姿が見えなければ斬りようがない。



ーーさあ

ーー森を抜けるが良い



声がすると同時に、リーを取り囲んでいた木の壁を割れ、道ができた。

道は真っ直ぐ続いている。

帰ることを望み、声は応えた。

道を辿れば邑に帰れるだろう。

帰りたい。

けれど、思いとは裏腹にリーの足は進まなかった。


「…………駄目だ」


声の正体を知っている。

声が何処にいるかわかっている。

リーが何故正気でいられるかわからない。

けれど、リーが帰ることで大勢の人が不幸になることは確かだった。


「帰れない……」



ーー愛しい男の元へ帰りたいのだろう

ーー帰るのだ

ーー白い炎を使う神官の元へ

ーーそして



リーは耳を塞いだ。

聞きたくない。

何重にも重なって聞こえる不協和音は、耳を塞いでも、頭を振っても、鮮明にリーの脳内に響く。

クロウがいないだけで弱る心の壊れる音がする。

声が喜ぶだけだとわかっていても、深い絶望から這い上がれそうもない。



ーー殺せ



リーの頬を、雫が流れた。

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