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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 7
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リン 二十 ー 37 ー

魔の森を簡単に説明するなら「黒い」の一言に尽きる。

岩より固い幹も、剣先の様に鋭い葉も、垂れ流れる酸の樹液も何もかも黒い。

鬱蒼と生い茂った葉が頭上を覆い、太陽の光を遮断している。

風もないのに枝が不規則に揺れ、時に意思を持っている様に畝って人を襲う。

火では傷一つつかないが、神官が生む炎に弱く、燃えて塵となる。

その為、炎の松明を持っていれば、木は勝手に避けていき先へ進める。

けれども、襲われる可能性が皆無というわけではない。

死角から刃の刃が飛んでくるかもしれない。

鞭のような蔓が先を阻むかもしれない。

横の木が不意をついて倒れてくるかもしれない。

油断のならない森だ。


「スエン。木に触るなよ」

「おう。まあ、不気味過ぎて触りたくもないけどな」

「あと、転んでも踏ん張れ。倒れたら絡めとられて飲み込まれるぞ」

「…………よくこんな場所に住んでいられたな」


目指す邑は魔の森を越えた小さな半島の先。

周囲はすべて森に囲まれており、唯一面している海は崖の下。しかも波が荒くて落ちたら一巻の終わり。

入り江の波は穏やかだが、潮の流れが速い為、沖まで船を出すのは難しい。

時折、潮に流されやってきた魚群が入り江に打ち上がり、邑中に振る舞われることもあったりする。

一度住み着いてしまえば、それなりの生活は出来る。

どうしても無理と感じる者は、定期的にやってくる隊商と共に邑を去っていく。

元々住処を追われた貧民窟出身の者ばかりだ。

言い出すのは勝手に付いてきた家名持ちだけだったが。


「こんな所でも俺たちの故郷だ」

「怖じ気づいたんなら戻っていいぞぉ」

「お、怖じ気づいたわけじゃねぇ! 住みづらいだろうな、っていう一般論だ」

「しっ! 大声出すな」


リンは慌ててスエンの口を抑える。


「騒ぐと魔の標的にされるぞ」

「悪ぃ……」


じっと耳を澄ませて魔の気配を探る。

さわさわとこちらを窺っているが襲ってくる様子はない。

ほっと胸を撫で下ろした。

臆病な野生動物とは違い、大人数でいても魔は襲ってくる。

その際、魔に恐怖し喚き立てた者から手に掛かっていくのだ。


森に入ってから一刻程、休むことなく足を動かし続けていた。

歩けど歩けど景色は変わらず、目印になる物すらない。

時に、樹齢を重ねた太い木や飛び越えられそうな背の低い木等目につくが、百歩進めば同じような木々に出くわす。

まるで同じ道をぐるぐる歩かされているような錯覚に陥っていた。

だが、立ち止まれば隙をついて魔が襲ってくるので、とにかく道を進む。

水や携帯食を口にするのも、もちろん歩いたままだ。

騒ぎ立てるのも魔の標的になるが、黙ったままでは気が滅入って魔につけ込まれ易い。

どんな歩き方が良いのか、邑に着いたら何をしたいか、前向きになることを軽い調子で励まし合う。


「うん?」

「どうした?」


リンが歩みを緩め、森の中を凝視する。


「人の声が聞こえた」

「はあ? 森の中だぞ。もう邑に近い。邑の奴らが近づくわけ……」

「! また聞こえた。襲われてる」


リンは抜き身の剣を振り下ろし、視界を遮る茂みを切り捨てる。

攻撃を受けた黒い枝は大きく撓ってリンの動きを封じようと勢いをつけて伸びた。

リャンがすかさず炎が点いた松明で枝を焼く。焼かれた枝葉は炭になることなく消えた。


「おい。まさか行く気じゃないだろうな」

「見過ごせない。二人は先に……」

「バーーカっ! お前をクロウ様へ引き渡すのが俺に課せられた任務だ。お前がいなくちゃ意味ねーだろ」

「一人で行く気か。危ねぇぞ」

「……それでも、俺は助けたい」


魔に意識を絡めとられたら終わり。

今ならまだ間に合うかもしれない。

リンは制止を振り切って森の中に飛び込んでいった。


「あの馬鹿! 行くぞ、スエン」

「おう!」


二人もリンのあとに続く。

炎のお陰で木々が避けていく。

魔の力で肉体を強化されたリンは、うしろを振り返ることなくぐんぐんと進む。

リンの背中を見失わない様に駆けた。




魔が浸透している森の木は、人を襲う。

生き物のように意思を持って木とは思えぬような動きをするのだ。

魔の移動手段であり、攻撃手段のひとつ。つまり魔憑きだ。

人が魔の領域に入るやいなや、枝を腕のように使い、捕まえる。

枝がリンを目掛けて伸びてくる。

勢いで貫きそうな枝の先は細く尖っていた。

それを最低限に捌いて声が聞こえる方へ走る。


「く、来るな来るなぁ!」


細身の剣を振り回して絡め取ろうとする枝を払っている男がいた。

特徴的な褐色の髪を振り乱し、死角から飛んでくる魔の攻撃を当てずっぽうに防いでいる。

何故この男がこんな所に、と思ったがまずは魔から助けるのが先だ。

脚に力を込め、一気に距離を詰める。

剣を振り上げ勢いのままくねくねと波打つ枝を薙ぎ払った。


「うわぁあああっ!」


リンの頬を何かが掠める。

魔だと思ったのか、男がリンに向けて何かを放った。


「落ち着け。無闇に剣を振り回すな」

「はぁ、はぁ。くそっ! なんで僕がこんな目に…………あ?」


やっと気づいたのか、リンの姿を目にとめる。

上から下までじっくり眺めて、顔を顰めた。


「誰だ? 見たことある顔だが、女なら忘れない筈なのに……」


不遜な態度も女好きなのも三年前と変わらない。

出来れば家名持ちと出会いたくなかった。


「あぁ、思い出した。鬼児の腰巾着だ。ふぅん、女だったのか」

「相変わらずみたいだな、サイリ」

「サイリ、さま、だろ。平民風情が」


都で強大な権力を持つイ家の出であるサイリは、家の権力を振りかざし、下位の者を虐げる下劣な男だった。

女好きでも有名で、気に入った女性がいれば手を付けるどうしようもない屑だが、顔の造形が良いため女受けは悪くない。

大陸では黒髪を持って生まれてくる人が殆どで、神官の血筋のみ朱色の髪を持つ男性が生まれる。

イ家は神官の血が混じる一族だが、神官になりうる身分ではない。しかし、神官の血混じりに時折生まれる茶色の髪の男。それよりも赤に近いくすんだ朱色の赤褐色の髪をサイリは持っている。

邑ではいろんな意味で目立っていた。


「あの夜死んだと思っていたのに、生きていたのか」

「え……?」


リンが魔に捕われたのは、確かに夜だった。

まるで見ていた様にサイリは言った。

衛兵だった同僚を捜しに嵐の夜を歩き回って、魔に襲われていた彼を助けようと森に入った。

あの日のリンの記憶にサイリはいない。

曖昧な部分はあるが嵐の中を走ったのは間違いない。


「神官がお前が生きてるなんてほざくから、僕たちの居場所がなくなった。死んだ筈のおまえは何しに帰って来た? あんな目に遭っておいて、よく戻ってこようと思ったな」

「何言って……」

「こんなことなら確実に殺して、池にでも浮かべておけば良かったよ」


サイリはにたりと残忍な笑みを浮かべた。

持っていた細身の剣をおもむろに振り上げ、リン目掛けて振り下ろす。

サイリが何を言っているのかわからない。

頭がついてこず、リンは剣の軌道をただ眺めていた。


「ぼーっとしてんじゃねぇ!」


うしろから強い力で引っ張られた。

気づけば、リンがいた足元に剣が刺さっている。


「追いついて良かった。怪我はねぇな」

「スエン……?」

「森の中で気ぃ緩めるとか、らしくねーじゃん」

「リャン……」


枝に引っ掛けたのか細かな赤い線をいくつもつけている。

二人の顔を見て安堵がこみ上げてきた。

呼吸を整えて気を持ち直す。

サイリが何を知っていようと、動揺するのはらしくなかった。


「お前も生きていたんだ、半端者が」

「……わざわざ来てやったのに助けがいのない奴じゃん」

「知り合いか?」

「あー……知らなくはぁ、ないかなぁ」

「揃いも揃って、敬うことを知らないとは。これだから下賎な者は躾がなってなくて嫌だ」


サイリが大袈裟に首を振る。

魔が住む森の中にいてサイリの余裕な態度は違和感がある。

魔憑きであるリンでも悪寒で背筋が縮こまるのに、恐怖を感じていない様に振る舞えるのか。

唇の端を噛み、サイリに向けて剣を構える。

リンの前にスエンが立った。サイリの間に壁が出来る。


「外で得た新しい男か」


スエンに遮られ、サイリの表情は見えないが、声色でわかる。

イ家という上等な家柄に生まれながらも下品な表情を浮かべているのだろう。

スエンから苛立ちを感じた。

スエンを苛立たせることをサイリがしたのだと理解できた。


「鬼児から乗り換えるとはな。はっ、当然か。お前のような平民が神官の妃になるなど烏滸がましい。いや、もとより出来る筈ないもんな」

「…………」

「そもそもこの邑に何の価値がある。十年で、何人が魔に食われた? 下賎な輩を掻き集めて頭のいかれた先代神官のていのいい実験場だろう。お飾りの神官を置いて、飯事の邑造りをしただけだろう。大神官の血を引いているというだけで」

「ーーーーーーっ!」


愛刀が手から離れた。

ザッと地を踏み、一瞬でサイリの横へ飛ぶ。

黒い手がサイリの喉笛を狙って閃いた。


ーーキンッ


寸での所で、リャンの剣がリンの変貌した腕を弾いた。


「落ち着け!」

「落ち着けるか! リオン様は、この大陸から魔をなくす為に、クロウの為に、放置街で明日死ぬかもしれなかったみんなの為にここに邑を創ったんだ! クロウとリオン様を悪しきように言われて、黙っていられるかっ!」

「俺だって腸煮えくり返ってるわ! でも、落ち着け」

「ひぃいいいいっ! 化物ぉーー!」


腰を抜かしたサイリがリンに向かって指を指す。


「!?」


サイリの指先に朱色の光が灯り、炎が現れた。

弱々しく拳で握りつぶされる程度の大きさだが、紛れもなく神官が作り出せる炎。

ぎゃーぎゃーと喚きながらリンに向かって炎を投げた。


「死ねよ、化物がーー!」


サイリが放った炎は、リンに届く前にスエンが剣で払った。

剣に当たった炎は空気に解けて消える。


「なーーっ!?」


邪魔をされ、サイリは驚愕に目を見開いた。

魔に対して絶対の耐性がある炎をあっさりと切ったことに、信じられないという意思が込められている。


「そいつは魔憑きで、僕を殺そうとしたんだぞ!?」

「俺からしたらあんたの方が悪人に見えたんでな」


スエンは呆れた溜め息を吐いた。

一年間共にいて、魔の力の片鱗は見せても衝動的に人を襲ったことはなかった。

一緒に旅をしてきたリンと初対面で暴言を吐くサイリとなら、リンを信用するのは当然だ。

それでもリンの感情は抑えられようもなく、黒い爪はサイリを狙ってリャンの剣を押す。

リャンはリンの腹を蹴って距離を取った。


「紛い物のくせにやるじゃないか」

「……一言多いんだよ、お前は」

「うるさいっ! イ家の僕に逆らうのか!?」

「イ家ねぇ。確かに神官に一番近い血筋で、何度も神官を産んだ妃を輩出した家柄だ。あぁ、それで蝋燭程度でも炎が出せるわけだ」

「そうだ。僕は貴様らのような下賎とは違う!」

「そのイ家様も、取り潰しにあったら、平民と変わらないだろ」

「なに……?」


サイリから先程までの上位を確信した余裕が崩れた。

信じられないと言わんばかりにリャンを見る。


「そこの村で聞いた。イ家をはじめとしたいくつかの家が、神殿への謀反に失敗して取り潰しにあったってな」

「う……う、嘘だっ! まだアイリは神殿に……神官の妃になったんだぞ!?」

「え…………」


サイリの言葉に、思わず声が漏れた。

いつかは、と覚悟をしていた。

けれど、いざ知ってしまうと衝撃が大きい。

注がれていた愛情に勘違いをしてしまっていた。

平民の、神官の御子を産めないリンが、クロウの妃になれるわけがないのに。


常時なら少しの物音や気配でも異変に気づけた。

平常心でいられなかった為、気づけなかった。

それ程迄に衝撃を受けていたのだ。


一瞬で周囲を火で囲まれた。

枝をくねらせながら様子を窺っていた魔の木が燃えて溶ける。

火ではなく神官の炎だと理解する迄三拍かかった。


「いい加減投降しろ、サイリ」


炎を割って現れた人物に釘付けになる。

癖のない乳白色の髪と黄金の瞳を持った男。

大陸中探してもこんな特徴的な人物は一人しかいない。


「…………クロウ」


相手もサイリ以外の人物が誰か気づき、目を見開いた。

まさかこんな所で出会うとは思わなかったことだろう。

サイリ等もう目に入っていない。

リンだけを凝視していた。


「リー……っ!」


真っ直ぐ手を伸ばした。

しかし、手はすぐに下ろされる。

リンは両腕を抱え込む様に小さく踞っていた。

耐える様に小刻みに振るえ、食いしばった口の端から荒い息が漏れる。

愛用の剣が手元にないからでも、神官の炎が怖いわけではない。

溢れ出しそうな大きな力を必死に押さえ込んでいた。


「駄目……だ、クロウ…………逃げて、く……」


黒く歪に変形した腕が肩迄広がり、首が、頬が黒く染まっていく。

どくんどくんと脈打つ度に感覚が麻痺していく。


ーー契約だ

ーー体を明け渡せ


リンの内に巣食う魔が、外に出ようと暴れている。

どんなに耐えようと魔の力は止まらない。

白炎を操る神官を殺す為、リンの体を乗っ取ろうとしている。

そして、あの夜の記憶が鮮明に甦った。

やっとリンとクロウが出会えました。

次回から過去編にいきます。

朱邑魔都更新1年経ちました。

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