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朱邑魔都 〜白炎の王〜  作者: 月湖畔
リン 7
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リン 二十 ー 36 ー

馬小屋の前で商人と別れ、まずは宿を探す。

見知った村だ。旅人が訪れた時に利用する施設が何所にあるか記憶している。

魔の森に近いこともあり、村の周囲は分厚く高い壁が築かれ、絶えず火が焚かれている。

警備も厳重で、大門でしっかり確認される。身元を、というより、魔憑きかどうかをだが。

見極め方は簡単。魔憑きは火や炎を極端に嫌がる。

火を目の前に掲げ、逃げ出せばそれは魔憑きだ。

だから、火を怖がらないリンはすんなり村に入れてしまった。

ぐったりとしていた所為でとても怪しまれたが。


大門に程近い場所で営業している宿で部屋を取る。

客はリンたちだけのようで、大通りに面しているのに静かだ。

辺鄙な村の宿屋を利用するのは商人か変わり者のどちらか。魔の森に近いのだから尚更のこと。

一番広い部屋にしてもらい、暫く近寄らないよう頼んだ。

スエンの肩を借りてやっと歩いていたリンは寝台を目の前にすると、倒れる様に飛び込んだ。

魔に食われないよう徹夜が続いていた為、体力も精神もすでに限界が近い。

毛布の柔らかな肌触りを頬に感じ、静かに目を閉じる。

今は指一本動かすのも億劫だった。


「寝たのか?」

「起きてる……」

「もう落ちてんじゃん。見張っといてやるからちょっと寝ろ」

「じゃあ……手足、縛って……剣を、首に……」

「変な趣味があるみたいな提案やめて?」


冗談ではなかったが、眠らないと頭が回らず疲れも取れない。

二人を信用して意識を手放すことを決める。

魔が暴れても二人を傷つけない。だから大丈夫。

そう自分に言い聞かせて全身の力を抜いた。

一拍後には、リンの寝息が部屋を満たす。






夢を見た。

目に入るものは一点の隙もない闇。

右を見ても、左を見ても、上を見上げても、下に俯いても、すべてが黒い。

手を伸ばしても何触れない。先があるのかないのかもあやふや。

足の感触もないので、立っているのか寝ているのかもわからなくなる。


ーーやっとだ

ーーもうすぐだ

ーー憎い神官を……


いつものように聞こえる嫌な響きに耳を塞ぐ。

金属が擦れたような高い音にも聞こえるし、地響きのような低い音にも聞こえる、何重にも重なった不協和音。

なのに言葉は明瞭に聞こえる。

この場から逃げようにも何かが体中に纏わりついて重い。

一歩足を出すだけでも負荷が掛かって次の一歩が進めない。

口を開けて腹から息を吐き出す。

あの声以外何も聞こえない。

制止の声も闇に吸収され無とされてしまう。

目も足も声も自由なのに、すべて無意味と否定されているようなものだった。

繰り返し繰り返し刻まれる夢は、夢だとわかっているのに現実だと錯覚する程、起きた時に消耗しきっている。

いっそ眠らない方が良いとさえ思う。

それでも体は睡眠を欲し、あの様だ。

ついに限界を迎え泥の様に眠った仕打ちがこのような夢では休まりようもない。

魔の気配が濃いのも、森が近いことに起因している。

リーが魔に捕まったあの森の中の……


ーー無駄なことを


いつもの夢では聞いたことのない台詞だった。

延々と神官への恨み言を聞かされる夢が朝まで続く。

もがいても、もがいても、魔から逃げられない。

しかし、今日は違った。

リンが抗うことへの嘲りではなく、別のものへ意識が向いている。

こんなこと初めてだった。


ーー起きろ

ーーまだこの体を死なせるわけにはいかぬからな


「え?」


魔に促され、重たい瞼をカッと開いた。




「わあっ!?」


近くで男の悲鳴が上がった。リャンだ。

約束通り、眠っていたリンを見張っていたようだ。

ぐっすり寝ていた所、前触れもなく目を全開したので驚いたのだろう。

寝台に倒れ込み、そのまま眠りについたので上から毛布をかけてくれていたようだが、それにしては暑い。

じんわり浮き出した汗で衣服が纏わりついている。

嫌な夢の所為かと手の甲で額の汗を拭う。

そういえば夢で魔に起きるよう言われた。まるでリンの身に危機が迫っているかの様に。

毛布を捲って上半身を起こす。


「……ーーんん?」


部屋の様子……正確にはリンの周囲の異常な状況に眉根を寄せた。

しかし納得もできた。


「いやーさぁ。魔が出てこない様に、なんていうかぁ……念の為にさ!」

「俺は危ねぇからやめとけって言ったぞ」


リンの周りを囲む様にいくつもの燭台が並べられていた。

すべてに火が灯っており、溶けた蝋からリンが眠っていた時間がわかる。

燭台の他、枕元に油が浮いた皿があり、熱さから皿にも火が入っていた様子。

これだけの火に囲まれていれば汗ばむ筈だ。

魔を警戒して火を近づけたのはわかるが、やり過ぎではないだろうか。

毛布で隠れていた腕を取り出し、肌の色を確認する。良く日に焼けた小麦色の肌だ。

魔が表に出ていないようで一先ずほっと息を吐く。

落ち着いた所で、近くで焦げた異臭を嗅ぎ取った。

布ではない。肉に近いが食欲をそそるようなものでもない。

毛皮についた塵を焼いた時の匂いに近いと思い当たる。つまり。


「ちょっ! 俺の髪焦げてんじゃねーか!」

「あははぁ……すまん!」


枕元の火が髪を燃やしたらしい。

気づいたリャンが慌てて消した瞬間、リンが覚醒した。

魔が言っていた体の危機はこれだろう。

目が覚めるのが遅かったら剃髪しなければならない事態になっていたかもしれない。

リンは鞄から小刀取り出すと、焦げた毛先を切り落とした。

女であることを意識してから髪を伸ばし、背まで到達するまでになった。

港の色街の女たちから、髪は女の武器と教えられたが、道中十分な手入れをしてこなかった。所々痛んでいるし枝毛だっていくつもある。

せめて結える様にと伸ばしたが、この際肩にかかるくらいまで切ってしまってもいいかもしれない。

毛をまとめて毛先を握る。


「切るなよ」


スエンが止める。

振り返ってスエンを見た。


「に、似合ってるから、切らなくてもいいだろ」

「…………うん」


言い終わると、すっと顔を背けた。

顔は見えなくても耳が赤い。

リンもつられて頬が赤くなった。

露骨に照れられると言われたリンの方が恥ずかしくなってしまう。

人からの好意がくすぐったくて落ち着かない。


「はいはい。いちゃいちゃしない! リン。おまえはクロウ様の所有物という自覚をちゃんと持て!」

「従者だっつーの」

「スエン。邑につく迄リンは恋人でも婚約者でもない、ただの同行者として接するって約束したよな」

「恋人……」

「そこだけ拾うな!」


リャンはぜえぜえと肩で息をした。

先程まで酷い顔色をしていたリンと変わらない程に疲れている。

リンはというと、一眠りしたおかげでいくらか回復していた。

夢の所為で完全に疲れが抜けていないが、倒れる程ではない。


「夢……だったのか?」

「何か言ったか?」


リンの小さな呟きをリャンが拾う。

リャンたちには眠っている間に魔が見せる夢のことを話してある。

リンの憎悪を掻き立てる為に見せられた夢。

神官を憎むよう、憎んで憎んで、心臓に牙を突き立て殺したい程強い憎しみを植え付ける。

三年間ずっと聞かされ続け、ついに神官に対する憎悪等微塵も芽生えなかった。

逆に恋しさが募ったくらいだ。


「魔が、話しかけてきたんだ」

「うん? それはいつものことだろ」

「なんていうか、いつもと違ってさ。起きろ、って言ったんだ」

「いつもは、神官を殺すよう言ってきてたんだっけ」

「ああ。俺がクロウを殺すなんて……」


できるわけない、筈だ。

今は、少し自信がない。

何度も血を流して倒れているクロウを夢で見てきた。

魔が見せる幻だとわかっていても、無意識に抱いている願望ではないかと錯覚してしまう。

近くにいるのに手に入らない。ならいっそのこと……

はっと我に返り頭を振る。

繰り返される絶望に気が弱くなってしまった。


「起きろって、母ちゃんかよ」

「俺を死なせない為だって」

「んー? もしかして、髪焦がしたこと、魔も怒ってんの?」

「…………違うだろ」


的外れな答えに冷たい視線をやる。

わざと茶化してきたようなのでこの話はもう終いだ。

真剣に考えてもおそらく正解は見えてこない。

魔に憑かれた者は自我を失う。

魔の正体は未だに解明されていない謎。

生物の様に蠢き、本能の様に人の命を奪う物だと考えられてきた。

生命の有る無しは問題視されていない。

人の内に留まり人体を操る魔憑きは、憎悪を深める呪いの様な物だと、リンは考えていた。

しかし、違うのかもしれない。

呪いが語りかけてくる等、ありえないのだ。


「んじゃあ今日はもう休んで、明日いろいろ揃えよう」

「その前になんか食いてぇんだが」


スエンの腹が派手な轟音で主張する。

宿に到着したのは昼過ぎ。

すでに日は傾き、空は青から赤に薄ら染まり出している。

携帯食として乾燥肉や炒った豆があるが、大食漢のスエンがそれで足りよう筈もない。

このままでは腹が空き過ぎて眠れないだろうし、リャンも音が気になってしまう。


「しゃーないなぁ。食堂行くぞー」

「がっつり食えるもんあっかな」

「最後の飯だし豪勢に行くか」

「縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ」


リンは寝台から起き上がり、二人の背中に続いた。






今頃の時期、港町なら燦々と降る太陽の光の元、熱気が満ちた港や市場で人夫や商人たちが汗をだくだくに流しながら仕事に精を出しているだろう。

毎日めまぐるしく人が行き交い、言葉が交わされ、活気で溢れている。

丁度一年前のリンはその中で生活をしていた。


はあぁ、と大げさに息を吐く。

風はない。空には明るく照らす太陽がある。

けれど、肌を突き刺すような寒さに襲われていた。

目の前にするとわかる、威圧されるような不気味な気配が漂う黒い森。

商人が使う道の入口に立っている。

荷台がやっと通れるくらいの程の細いが、長い間使われて踏み固められしっかり道が出来ている。

覚悟もなくふらっと足を踏み入れば、忽ち魔に襲われてしまう危険な場所だ。

近づかないよう周囲に柵が打ちつけられている。

邑が出来たばかりの頃、外の商人とつながりを持つ為道を作った。

その際に、入口がわかる様設置したものが柵、そして神官が作った朱色の炎だった。

リャンとスエンは村で用意した松明に炎を移す。

ここから先、炎がなければ奥へ進めない。


「リンはいいのか?」

「俺にはもう魔が憑いてんだぜ? 防ぎようがない」

「そうれもそうだ」


リンは松明の変わりに、愛用の剣を構える。

森の強過ぎる魔の気配に反応して仄かに光を帯びていた。


「よし、行くぞ」


三人は柵を越え、魔が住む森へ踏み入った。

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