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有希はもし直接会いたくないなら離れた席にいてもいいよって提案してくれたけど同席する事にした。
私たちは食事をすませ、〈みやこ〉を出てカフェに移動した。
確かに〈みやこ〉の唐揚げは私好みだった。
できればこんな気分でないときに食べたかったな。
私たちが着いて10分程で彼女はやってきた。
有希は面識があるのですぐに彼女に気づいた。
「来たわよ…三浦さん、こっち。」
手を挙げ彼女をこちらへ誘導する。
また動悸がして、吐き気までしだした…
「あ、あの、はじめまして、三浦栞と申します。」
現れたのは20代半ばくらいのほわっとした印象の可愛らしい子だった。
昨日の旦那の言葉を思い出す。
『可愛いくてたまらなかった。彼女のことは支えてあげたいと思って会っていたのにいつの間にか自分も癒されてたんだと思う。』
彼女を見てしっくりと当てはまる。
「早かったのね。仕事中にごめんなさい。早退して大丈夫だったの?」
相手への労りも有希らしい。
彼女の手は小刻みに震えていた。
顔色も決していいとは言えない。
俯いておりこちらを見ない…
「どうぞ、かけて。」
有希は私たちの向かいへ座るよう促す。
「失礼します。」
彼女は会釈をし、向かいにすわる。
とても可愛らしい彼女をみて生々しく実感する。気持ち悪い…
「まずは単刀直入に聞くわ。菊池さんと体の関係があったのよね?」
少し沈黙が流れる。
「は、はい。あり、ありました。」
そう答えると彼女は大粒の涙を流しはじめた。
「あなたがこの場で泣くのはお門違いよ。泣くなら帰って一人で泣いてちょうだい。話をするためにここにいるのよ。自分がどれだけのことをしたのかまずは実感してもらうために。」
こんな風に怒る有希を初めて見た。
「はい、申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げる。
限界だった…ご飯食べたばかりだったのもあり我慢できなかった。
私は何も言わずにトイレへ駆け込み昨日と同様、全て吐いてしまった…
私ってこんなに弱かったのかな?
有希がお願いしたのかカフェの店員さんがお水を持って来てくれた。
そのお水を受け取り口を濯いだ。
しっかりしないと!
その店員さんにお礼を言って席へ戻った。
座るときに彼女は心配そうな顔でこちらを見上げてきた。
そこで初めて目が合う。
「大丈夫?落ち着いた?」
心配してくれる有希に私はとりあえず力なく頷いた。
「とりあえず自分のしたことがどういうことか、弁護士にお願いする用意もあると話したわ。」
さっきより顔色が悪くなっている。
きっと弁護士なんて聞いて驚いただろう。
「あ、あの、奥様、わ、わたし…」
こちらを向き、必死で何か話かけてくる。
可愛らしい。きっと男の人は守ってあげたいって思うだろうな…
「あなたのこと可愛くてたまらなかったって言ってたわ。確かにあなたは可愛いし男の人はほっとかないでしょ?なぜ主人だったの?」
出来るだけ冷静に聞けたと思う。
彼女はまた大粒の涙を流しはじめた。
「うぅっ…私、本当にダメで、菊池主任の足をずっと引っ張りぱなしだったんです。そんな自分が嫌で、でもいつも私のする事を見守ってくれててさり気なくフォローもしてくれました。奥さんがいるのも知ってました。でも好きになっていくのをとめられませんでした…。かなり酔っ払って私からお願いしました。断られたけど泣いて縋って更にお酒を飲んで…」
目の前で泣きながら話している彼女が憎くてたまらなかった。
初めて人に対してこんな攻撃的な感情をもった…
「私は自分で家に帰れないほど酔っていたと思います。タクシーで家まで送ってもらった時に私から強引に押し倒しました。でも次の日の朝目が覚めるともう主任はどこにもいなかったです…」
また吐き気がこみ上げる。
生々しい…
こんな子がそんな大胆で悍ましいことをするなんて…
「家に来てくれたのはその時だけです。お弁当を作っても食べてはくれませんでした。いつも自分には奥様がいるからと言われていました。身体の関係は半ば強引に私から誘っていました。」
自分が悪いって?だから旦那は悪くないって言ってるの?
バンッ
話を聞いていた有希がテーブルを叩くいて彼女を睨みつけている。
その目からは涙が流れていた。
「あなたって…虫も殺しませんって顔して心の中はとんだ悪魔ね。自分の欲のために傷つく人がいるのもわかっててやったんでしょう。香織が今どんな気持ちでいるか。子どももいるの。パパが若い女となんて知ったらどれだけ傷つくかわかる?私はあなたを許さない!」
こんなに感情的に声を荒げる有希を初めてみた。
有希が怒ってくれるから私はこの子に殴りかからずに済んだと思う。
「主人から私があなたたちの関係を知ったことを聞かされてました?これからどうするおつもりですか?」
彼女は歯を食いしばって俯いている…
どういう感情なのだろう?
「主人とはこれからも関係を続けたかった?もしかしてまだ続いてるの?」
彼女はハッと顔を上げ首を横にふる。
「続いてはいません。奥様に知られてしまったからもう続けられないとふられました。」
必死に弁解する姿が憎くてたまらなかった。
これ以上彼女と同じ空間にいることが堪らなく嫌だった…
「本当に申し訳ありませんでした。」
目の前で深々と頭をさげる彼女を見ていても憎悪感しか湧かなかった。
「謝ってもなかったことには出来ないのよ。本当にひどい人…あなたも、あの人も…」
その時、私のスマホに旦那から着信があった。
「はい。」
私は出来るだけ冷静を装って電話に出る。
『あ、あの、僕だけど…三浦さんから連絡もらってて香織に会うって書いてあったから…。』
きっと彼女を心配してかけてきたんだろうな…
「なぜ本人に連絡しないの?私がいじめてると思った?安心してもう帰っていただくから。仕事中でしょ?心配しなくても危害を加えるつもりはないから。あっ、それか変わろうか?」
『いや、ごめん…香織が大丈夫か心配なだけだったから…出来るだけ早く帰る。また夜に。』
すぐに電話を切った。
私を心配してるって…信用出来るはずがない…
「今日は早退までして来てくれてありがとう。話しても話しても和解なんてできないと思う。今後はもしあなたと連絡を取るときは弁護士を通してになると思います。良ければ連絡先を聞いておいてもいいかしら?」
自分がどうしたいのかさえわからない。弁護士さんと会うかもわからない…
彼女はカバンから手帳を取り出しケータイ番号と住所、名前を書いて私に差し出した。
キレイな字。こんなことまで自分と比べてしまい傷つく。
そして席を立ち深々と頭を下げて店を出て行った。
「はぁ~、私ってこんなに醜かったんだ…凹む。」
有希はそう言う私を涙を流しながら抱きしめてくれた。
「私、全力で香織の応援するから!私は味方だからね!」
味方かぁ~、稗田さんも味方って言ってくれてたな。
「この前お店で会った稗田さんって覚えてる?あの人にも味方だからって励ましてもらったんだよ。」
「そういえば、稗田さんって爽やかイケメン、そんな知り合いいたんだね!」
そうだった、田邉さんのことから何も話してない…
信じてもらえるかわからないけど田邉さんのことを話した。
そして昨日の稗田さんとのことも話した。
何となく浮気を責めつつ私も後ろめたい感じが抜けない…
「何か変なことに巻き込まれてるね~。でも気が紛れていいねかも。ただ、香織まで浮気しないように!」
それから弁護士さんの連絡先を教えてくれたり、どういう決着の方法があるのか有希なりに調べてくれていたことを教えてくれた。
私はただ混乱してただけだからそういった情報を調べて貰えててありがたい。
「私も田邉さんに会ってみたいなぁ!田邉さんの記憶の中の香織は私の誘いを蹴ってあのまま働きつづけたんだ…なんだか今流行りのパラレルワールドみたいね。」
パラレルワールド!?
あまり詳しくはわからないけど最近よく耳にする。
もっと詳しく調べてみようかな。
17時すぎ有希と別れた。
帰りたくないなぁ~
重い足を引きずりながら家に帰った。
一通り家事を済ませお風呂に入る。
会食って言ってたけどさすがにもうそろそろ帰って来るかな?
時計を見ると21時過ぎていた。
そんなことを思っていると旦那は帰ってきた。
リビングに入ってくるなり私に寄ってくる。
「ただいま。遅くなってごめん。」
そう言いながら私の前まできてなぜか私の顔を両手で挟む。
「おかえりなさい。お酒臭い。酔ってるの?お風呂入れるからどうぞ。」
突き放すつもりで言ったのにいきなりキスをされた。
「昨日も今日もつらかっただろう。ごめん。」
「どうしてキスするの?私、あなた達が理解ができないの。私も浮気をしてみようかな?そしたら理解できなくても許せるのかな?」
そう言うと今度は深くキスをされた。
抵抗するために胸を叩くもビクともしない。
そのまま強引に手を引かれ寝室へと連れて行かれ押し倒された。
旦那とセックスするのはどのくらいぶりだろう。
少なくとも1年以上はしていない。
なぜ今なんだろうとか、今だからなのかなとか、
こんなだるだるの体を見て幻滅したんじゃないかなとか、彼女は小柄で痩せていたなとか…
本当にいろいろ考えて、劣等感を感じてまた泣いた。
旦那はそんな私を見て何度も「ごめん…」と言いキスをする。
翌日には娘が真っ黒に焼けて帰ってきた。
それからは出来るだけ何事もなかったように努めた。
夏休みの間、娘と過ごす時間が多く嫌なことも少し忘れられた。
そして娘が遊びに行ったりお稽古事がある時に不倫をテーマにしたドラマや映画を見漁った。
少しでも理解出来るようにと思ってのことだった。
そしてインターネット配信のヨガ教室に登録しパソコンを前に毎日ヨガをするようになった。
あれから旦那とはきちんと話し合うことはなかった。
ただ何度か求められ身体を重ねることはあった。
かなり抵抗はあったけど今、修復する努力をしなければもう修復できないとも思う。
何も気づいてない娘が「パパとママが仲良しで嬉しい。」と言っていた。
そんな風に見えるほど旦那は早く帰ってきて家族を大切にする努力をしてくれていた。
私も出来るだけ努力した。
でもその反面、虚しさと変な劣等感は消えないまま心の奥底にあった。
仕事に行けば毎日顔を合わせるのに彼女のことはもういいの?
本当に彼女との関係は終わったの?
そんな事ばかり考える。
8月も終わりに近づいてきた。
最近の小学生は9月から新学期ではなく8月の最後の週にはもう学校が始まる。
ほぼ計画通りに進んだ宿題はばっちり終わっている。
何が大変って、宿題を終わらせるのが一苦労だった。
宿題も遊びもで親の方が疲れ果てた。
心残りはあまりに自分の余裕がなくて一泊でも遠出してあげられなかったことだ。
そんな反省をひとりでしつつ、寂しさと夏休みが終わった安堵感を胸に月曜日の朝、娘を学校へ送り出した。




