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あの日から2週間近くが経ち、7月に突入しようとしている。
初めこそ外を歩くのも怖かったり、こっそり娘の登下校を見守ったりしてみたけど田邉という男を見かけることはなかった。
あれからズルズルと旦那には相談せぬままきてしまって今更蒸し返してもなぁ~って思ってしまっている。
きっと時間が経ってしまった今旦那に言ってみても心配されるどころか早く言わなかったことに怒られるだけな気がする。
会話がない訳でもない、顔を合わせれば何かしら話すけど最後に楽しく笑いあったのはいつだろう。
いつまでもラブラブとはいかないのはわかってるけど何となく過ぎる毎日が退屈だと思う。
なんて贅沢な悩みだろう…
でももう少し娘が大きくなったら働きに出ようと考えている。
経済的なこともあるけど、少し自分という時間をつくることでストレスも増える反面ハリや生きがいも出るんじゃないかなと考えている。
あの人…田邉さん、私が貿易事務をしてたことを知ってたけど…そんなの大学卒業して2年間だけですぐに介護職に転職した。
高校のとき仲良かった神田有希に人手不足で困っていると誘われたから。
貿易事務もやりがいがあったし、それなりに勉強しながら必死でやってたから当時はすごく迷った…。
事務と違い体力勝負だし、介護の現場を目の当たりにして転職したては本当に心身共にきつかった。
でも有希の職場は教育や福利厚生面でしっかりとしていて何とか小さな挫折や葛藤を繰り返し、3年して介護福祉士という資格まで取れた!
有希には感謝しているし、子育てが一段落したらまた戻ってきてねって言ってもらえてる。
有希は旦那さんのご両親と2世帯住宅に住んでおり、3人のママだけどお姑さんや旦那さんと上手く連携して子育てと仕事の両立をしてる。
本当にすごいと思う。
それに比べて私は…
ってよく卑屈に思ってしまうのが悪いくせだな。
なにより、あれから鏡を見るたび、着替えるたび、お風呂に入るたびにあの憎い言葉が蘇る!
『ただ、違ってるのは俺の知ってる香織は痩せてた。』
誰だよ!その香織は!!
絶対私じゃないし、なぜ見ず知らずの男にそんな事言われなくてはならないのか!
十分過ぎるほどわかってるよ。
チョコレートの誘惑に負ける意志の弱い自分を!
『厳密に言うと一緒にジムに通って痩せたんだ!』
もしやあなたは未来からきたの?
ってまさか…映画じゃあるまいし…
私に子供がいることも知らなかったし。
田邉さん、泣いてたなぁ。
だからと言って私に何か出来るわけではないから仕方がない…
先輩って言ってた人に名刺貰ったけど田邉さんが現れない限り連絡するつもりもない…
そろそろ夏にむけて娘の洋服など買うためにに近くの大型ショッピングセンターに行った。
子供の成長って速くて毎年サイズアウトして買い替えている。
子供服売り場の階を見て回っていると新しい雑貨屋さんを見つけた。
前までは派手目な子供服の売り場だったのが閉店しており改装中だった。
変わった置物やアクセサリー、パワーストーン、お皿?マグカップなどいろいろな物があり外国の物っぽい雰囲気だ。
「あ、かわいい。」
お花をモチーフにしたアイアン調壁飾りがあり立ち止まって思わずかわいいって声に出してしまった。
「それ可愛いでしょう。日本の女性が好みそうだなって思って取り寄せてみたんですよ。」
「フフッ、はい、先輩の稗田です。ハハハッ。」
失礼な言い方してしまったけど、だいぶツボっていただけたみたいで押し殺してはいるけど笑いを隠しきれていない。
「す、すいません…ちょっと驚いてしまって…」
「いえいえ、こちらこそすいません。驚かせてしまったね。まさかオープンの日に来てもらえるなんて嬉しいよ。」
「えっ?今日オープンなんですか?まさかここ稗田さんのお店ですか!?」
名刺に会社名や役職とか書いてあったけど混乱してて見てなかった…
「フフフッ、僕自体は海外から取り寄せた雑貨などを通販で売ってるんだ。ここの店長さんが新しくお店をオープンするからうちの商品を置いてもらうことになったんだよ。お祝いと挨拶を兼ねて顔を出してたの。」
へ~、海外から取り寄せてるんだ。やっぱり、雰囲気がそんな感じだ。
「そうなんですね。じゃあこれも!?雰囲気がそんな感じです。」
見ていた壁掛けを指差す。
「フフッそんな感じでしょっ。香織ちゃん面白いね。」
香織ちゃん…
「あ、の、香織ちゃんって年ではないですよね?面白いってからかってますか?」
顔が熱くなるのがわかる。
きっと真っ赤になってる…
新手のナンパ集団だろうか?もう逃げた方が良さそう?
「ハハハッ、ごめん、ごめん、そうだよね。会うのなんて2回目でしかも前回なんて怖い思いしたしね。田邉ってクマみたいな男が菊池さんって呼ぶと嫌がるんだ…あいつかなりリアルに記憶がおかしくて、あの時は怖い思いさせてごめんね。」
全く意味がわからない。
その時、奥から男性2人が話しながらこちらにきた。
ひとりはあの田邉さんだったから身構え、後ずさりをした。
「これからの反応が楽しみですね。ちょくちょくヒアリングに参ります。」
「はい。こちらも売り上げ報告と一緒に何かあれば逐一報告しますね。じゃあ今日はありがとう。」
田邉さんと話している男性は40代半ばくらいのあごひげを生やした小柄ないかにも雑貨屋の店長さん風だった。
「じゃあ僕たちはこれで失礼します。」
稗田さんは私を隠すように立ち、店長さん風の男性に挨拶をした。
隠してもらったからその隙にそろっと店を出る。
この人たちが大丈夫な人たちとはどこにも確証がないもの。
流されやすい私はすぐに信用してしまうから。
早足で逃げたのも虚しく身長に比例して足の長い田邉さんは軽々と私に追いついた。
「偶然だな、香織、さ、ん。俺ひろ、わかる?」
私の前にひょいっと来ると通せんぼう状態になる。
「田邉さんですよね!?覚えています。でもいきなり抱きついてきた恐い人ということで、です。」
私は顔を強ばらせていたけどあまりにも優しく微笑んでこちらを見るから思わず表情が緩んでしまった。
「うん…この前はごめん…あの後先輩に怒られたよ。警察行きを覚悟しろって。」
「怖かったけど、稗田さんが助けて下さったし、その後何もなかったので…」
警察に届けるという手もあったのか…
旦那にも相談していないし私ってダメだなぁ…
「香織ちゃんは危機感が薄いのかな?僕たちは助かったけど。」
稗田さんにまた後ろに立たれていた。
びっくりして振り向く。
あれ?これは囲まれている?
「あの、じゃあ警察に連絡します…」
そろっと横に移動しながらそう言うとまた稗田さんは笑いだした。
「目の前で言っちゃうところが危機感ないよ。でも安心してね。本当に今日たまたま会っただけだよ。怪しい者じゃないから。人助けだと思って少し話を聞いてもらえないかな?時間があればだけど…?」
笑ってた稗田さんの顔が真面目になりお願いをされる。
田邉さんを振り返ると田邉さんも顔の前で合掌しお願いしている。
どうしよう…
「そこのフードコートはどう?囲まれてないし、嫌ならすぐに逃げれる。人も沢山いるから変なことできないし。」
稗田さんにそう説得され、しぶしぶフードコートに移動する。
田邉さんが3人分の飲み物を買いに行ってくれた。
「恐いよね…男2人だし、あいつ勢いで香織ちゃんに抱きつくし…頭の検査はしてもらってるんだ。精神鑑定もお願いしたけど特に鬱っぽくもないらしい。」
「あの、田邉さんって私と結婚していたっていう記憶があるんでしょうか?もともとは結婚とかしてなくて実在していたんですか?」
未来から来たとか…宇宙人だとか…
「ん?もともと居たよ。僕たちは大学のサークルが同じで意気投合したんだ。一旦卒業して別々の会社でサラリーマンしてたけど僕が今の会社を立ち上げて田邉を誘ったんだよ。田邉が言うには…」
話の途中で田邉さんが戻ってくる。
そう言えば何がいいか聞かれなかったけど…私好みのカフェラテの上に生クリームがのっててチョコがかかっているものを差し出された。
「あ、ありがとうございます。」
「香織の好きなカフェモカにしたよ。」
思わず驚いてカフェモカと田邉さんを交互に見てしまった。
何で知っているんだろう?確かに好きでコーヒーを買うときはカフェモカの生クリームのせを買う。
「えっと、そうそう、会社を立ち上げたときにまだ貿易関係の書類とかわからなくて山下コーポレーションに委託していたんだよ。そこに香織ちゃんがいて付き合うようになったってこいつは言うんだ。でも僕の記憶では香織ちゃんはいなかった気がする。」
「わ、私、確かに山下コーポレーションにいました。えっと、いつまでだったかな?え~と…14年くらい前まで!でも取引先に稗田さんや田邉さんはいらっしゃらなかった気がします。」
またしても驚いて気づけば前のめりになって話をしていた。
「14年前で辞めたの?たぶんその頃だよ付き合い出したのって。俺らが24のとき。」
えっ?私は24才だったから思い切って転職出来たし、そこから頑張れたはず…
「香織ちゃんが山下コーポレーションにいたならどこかで会っててもおかしくないかもね。でもうちを立ち上げたのも14年前なんだよね~!」
「私は14年前の3月に退職したんです。それからは全く違う仕事を妊娠するまで続けてました。」
「やっぱり子どもがいるんだな…それは今の旦那の子だよな?何人いるんだ?」
この前は子どもがいることにショックだったのか泣いてたなぁ。
今は真剣な表情でこちらをみている。
「娘がひとりよ。あなたには居たの?その、奥さんとの子が?」
「いや、香織は子供が出来なくて…治療はしたけどどこまでするか、いつまでするかってかなり話し合いながらもう病院に行くのをやめたんだ…精神的負担が香織に大きくのしかかってたし2人の生活も幸せだったから…」
田邉さんは話しながら俯く。
また泣きそうなのかなって心配になる…
香織って私なのかな?
「わ、私も、出来にくくて…結婚前から指摘されてたんです。欲しいときはすぐにホルモン治療をしましょうって。結婚するまでは婦人科系に良いお茶とかサプリメントを飲んでて、結婚してすぐにホルモン治療しました。2年くらい、それで授かったんです…」
田邉さんの言う香織と私は似ている。
でもどうして?
新手の詐欺にしては私のこと調べられすぎてる…
ほくろの位置も…
「そっか…くそっ!何なんだ!どうなってる?俺と結婚してたのに…幸せだったのに…」
静かに聞いていた稗田さんが田邉さんの肩に手を置く。
「落ち着け、無理だろうがとりあえず受け入れるしかない。」
田邉さんには恋人とかいないのかな?
いたら稗田さんが知ってるのかな?
「先輩、先輩はじゃあどうやって里菜ちゃんと出会ったんですか?」
田邉さんは稗田さんにしがみつき泣きそうな顔をしている。
「え?里菜ちゃんって誰?俺は知らないけど?」
「え、え?先輩まさか…結婚、して、ない?」
かなり驚いている様子だ。
「あ、あぁ。一度も結婚はしたことない。たぶん知り合いにも里菜ちゃんって子はいないかな?」
稗田さんの顔が引きつっている…
田邉さんは混乱しているようで頭をかかえて俯いている。
「香織ちゃんごめんね、付き合わせちゃって。いつもこんな感じで記憶と違うとパニックになっちゃうんだ…どうしてこんな風になっちゃったんだろうね~。」
本当だ。
もし言っていることが本当ならこの人は何なんだろう?宇宙人?
「俺、里菜ちゃん探してみます!香織と一緒にヨガインストラクターをしてた子なんです。たしか年は30才で離れてましたけど香織と仲良くて、いい子だったから先輩に紹介したんです。それがきっかけで結婚したんですよ。」
ヨガインストラクター?
田邉さんの言う香織は私に似てるけど、とてもじゃないがヨガなんてできないし、ましてやインストラクターって…
「私ヨガなんてしたことないですよ。身体硬いし…」
「そうそう、最初のころはそうだったんだ。でも不妊治療の一環として始めたらなかなか良かったみたいだよ。そのままインストラクターの資格まで取ったんだ。」
そんな私は想像がつかない。
小太りなおばちゃんにヨガなんて程遠い…
「香織ちゃん、もし良かったらだけど連絡先交換しておいてもらえないかな?昼間しか連絡しないし、家族にも迷惑かけないから。」
「連絡先ですか…はい。何かお役にたてるなら…」
どうしても田邉さんの言う香織が他人には思えなかった。
それにこの2人に嫌悪感とか猜疑心みたいなのを感じなかったから。
何故か田邉さんも入って3人で連絡先の交換をした。
「田邉は一旦頭を整理して落ち着いてから話をしたほうがいい。」
稗田さんは田邉さんを説得し、これで帰ることにした。
「待って、コーヒー代!」
私はお財布を取り出そうとすると稗田さんにその手を抑えられ、
「いいよ。時間とってもらってありがとう。コーヒーくらいだけど。」
と言われた。
仕事以外で旦那以外の男性と手が触れる機会なんてないからドキッとしてしまった。
それから2人と別れ、子供服を見たけど気持ちがそれてしまっていて決められなかったから買うのをやめて帰った。