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エリキサ

【エリキサ番外編】恐怖! クソニンジャ屋敷

作者: 卯月みそじ

【ご注意】

『エリキサ -少年道士と箱入り娘・霊薬にまつわるエトセトラ-』(n2369dp)の番外編です。

本編をお読み頂いてからの方がより一層くだらなくなると思われます。


-----------------------------------------------------------------



 窓の奥の闇が、一瞬光る。遅れて雷鳴。


「きゃっ!」

「お、おっと」


 瑛瑛(えいえい)は傍らの青年に抱き着いた。別に雷なぞ怖くはない。怖くはないが、彼と距離を縮める好機である。か弱い乙女を演じられるし、うまいことドギマギさせられるし。現に、抱きしめた彼の腕は面白いくらい強張っている。

 それにしても情けない男である。

 普段から彼が度胸もクソもない小心者であることは、瑛瑛、とっくに知っていた。逢瀬を何度重ねても一向に仲は深まらず、手を握ってはびっくりされ、肩に触れてはびっくりされ。話しかけては挙動不審。どうにもこうにも女慣れしていない男であった。

 瑛瑛も、なんでこんな男に付き合わねばならないのか、と何度思ったか分からない。優柔不断だし意気地がないし腰抜けだし。けれどもこの初心な恋人は、金だけはうなるほど持っている。薬問屋の跡取り息子なのだ。

 そんな彼が何を思ったか、深夜、とある廃屋に瑛瑛を誘い出した。肝試しをしよう、なんて口実で。

 肝試しにかこつけて一線越えようとでも言うのだろうか。やましい下心を察知したものの、瑛瑛、もちろん「どんとこい」とばかりに二つ返事で了承した。

 既成事実を作りうまいこと輿入れして、薬問屋の奥方として裕福な暮らしを送り贅沢三昧。それが瑛瑛の最終目標だ。


(オラさっさと襲ってこいや!)


 などと瑛瑛はさっきから思っているが、もちろんそんな本音はおくびにも出さない。彼の前での瑛瑛は、あくまでもか弱い乙女なのだ。この半年その設定で通してきた。


「ねぇ、もう帰ろうよ……あたし怖い……」


 娘は微塵も思っていないことを口にする。


「大丈夫だよ、俺がいるからさぁ」


 男もお約束の台詞を吐く。

 お互いを抱きしめる強さが増す。自然、顔と顔の距離も。瑛瑛の左耳に、吐息がかかる。

 しかし愛しの彼は、瑛瑛の右側にいるわけで。

 ハァハァ、フゥフゥ。左耳に吹きつけられる息は尋常じゃなく荒い。


「誰!?」


 思わず瑛瑛は振り返る。一瞬のうちに人の気配は消え去り、視線の先には暗闇ばかりが広がっている。

 たちまちの静寂。


「瑛瑛?」


 彼の心配そうな声に、瑛瑛は我に返った。


「う……ううん。なんでもない。気のせいみたい」


 悄然とそう告げると、「そっか」と跡取り息子はつぶやいた。


「……あのさ、怖い思いさせちゃってごめん」


 そして彼は申し訳なさそうに続ける。


「もしもう無理なら、もう帰……」

「大丈夫! 大丈夫よ!」


 瑛瑛、食い気味に撤退を拒否。


(ビビってんじゃねえぞクソ童貞が!)


 もちろん瑛瑛、本音は顔には出さない。


「だってあなたが誘ってくれたんだもの。最後まで一緒に肝試し、頑張りましょう?」

「え、でもさっきは帰りたいって……」


 瑛瑛、渾身の壁ドン。

 跡取り息子、こめかみから冷や汗タラリ。


「心配しないで。あなたと一緒ならあたし、大丈夫だから」

「そ、そう……?」


 普段の淑女っぷりからは想像もつかない迫力を放つ恋人に、男はたじたじだ。まあそれでも、瑛瑛は顔が良い。


「行こっか」

「ええ」


 健気な笑み一発。

 顔の良さで迫真の壁ドンを誤魔化し、瑛瑛は彼と連れ立って先を行くのだった。

 その背中を、黒い人影が見つめているとも知らず。


---------------------------------------


 その廃屋は、近所から桜屋敷と呼ばれていた。

 元々は裕福な者が住んでいたのだろう。敷地は広々としており、往時にはさぞ美麗な建物が建っていたに違いない。

 いまや家屋は朽ち果て、見る影もない。壁や屋根はところどころ崩れ落ち、そこらじゅうに蔦や葛が這いまわっている。庭はもちろん荒れ放題。

 しかしごく一般的な廃屋とは異なる点が、一点だけ。

 雑草まみれの庭園に、何故か一木だけ桜が咲いているのだ。ちなみに現在、季節は夏。

 季節外れの桜の存在が噂にならぬはずはなく、やれ桜の精が棲みついているだとか、やれ桜にゆかりのある怨念がおんねんだとか、数多の巷説(こうせつ)が流れに流れ。

 跡取り息子がどこからか聞きつけてきたのは、「恋人同士で屋敷の中を踏破し庭に至り、桜の木に願えば二人は結ばれる」などという甘酸っぱい噂。誰が実験し検証し実証したのかは定かではないが、跡取り息子はその噂をすっかり信じてしまったようだ。


 そんなわけで瑛瑛と彼氏は、深夜、廃屋の中を探索中である。

 現在地は玄関を過ぎたところ。宵闇の中、時折雷が鳴り響き、まこと不穏な雰囲気である。

 稲光が照らす室内。朽ちた調度が佇む中を、瑛瑛は彼の袖をそっと掴みながら歩いていた。ちなみに手をしっかりつなぐのではなく、遠慮がちにそっと袖をつまむのが男心をくすぐるコツである。

 暗いね、と言って彼が残っていた燭台に火を灯した。あたたかい光が、あたりにしみいるようだ。

 跡取り息子は明かりが灯ってほっとしているようだけれど、瑛瑛はぶっちゃけ怖くもなんともない。こんなまどろっこしいことするくらいならさっさと祝言挙げて輿入れさせろやクソぐらいに思っている。もちろんおくびにも出さない。


「静かね……」

「そうだな……」


 灯りを頼りに進んでいく。誰もいない廃墟は確かに不気味で、あまり気持ちの良いものではない。


「?」


 ふと瑛瑛は振り返った。なんだか、視線を感じた気がして。


「どうかした、瑛瑛?」

「ううん、なんでも……」


 先程の謎の吐息のこともある。


(まさか……怨念? おんねん?)


 いやいやいやと、娘は内心で(かぶり)を振る。亡鬼を怖がるなんて柄でもないけど、少々気味悪く感じるのも仕方がない。

 パチパチと灯火のはぜる音。時折ピキリと家鳴りの音。緩慢な二人分の足音。

 瑛瑛はちらちらと辺りを窺ってみたが、視線の主らしき姿は見えない。ただただ気配を感じるだけ。いっそう不気味だ。

 そのとき。


「あっ」


 突然灯りが消えた。不意に跡取り息子が燭台を取り落としたのだ。


「なんだ、なにかが当たって……?」


 どうやら後ろから物が飛んできて弾き飛ばされたかのような言いぶりだが、周囲は当然暗闇に逆戻り。


(あーあ言い訳かよ……)


 瑛瑛が内心彼に呆れているときだった。


──つるんっ。


「ひっ!」


 瑛瑛の背筋が硬直する。

 尻を撫でられたのだ。何者かに。


「ど、どうしたんだ瑛瑛!」


 慌てて彼が駆け寄ってくる。跡取り息子は瑛瑛の目の前にいたから、尻を撫でたのは当然彼ではない。そもそも女の尻を撫でるような度胸は彼にはない。


「あの、その……」


 いかに本性はすっぱの瑛瑛といえど、尻を撫でられたと素直に伝えるのはなんとなしにはばかられる。一応いまの彼女はしとやかな乙女という設定である。しとやかな乙女が「尻を撫でられた」などと訴えるものだろうか否か。


(えーと、おしとやかってなんだっけ?)


 自分の設定の深度が分からなくなる瑛瑛だったが、


「ううん、なんでもない。大丈夫よ」

「そ、そう……? 無理しないでね?」


 笑ってごまかす彼女なのだった。




 さて、長い長い廊下を抜け、大広間へとやってきた。

 燭台が使えなくなったので、壁を伝いつつ手探りの探索である。


「あの……ふたりっきりだね」

(いまさらかよ)


 彼の上ずった声に「そうね」と返しつつ、瑛瑛は内心毒づく。

 しかし本当に二人っきりだろうか。

 謎の吐息。謎の尻撫で犯。姿なき視線。


(誰か……いるの?)


「真っ暗……だね!」


 跡取り息子は瑛瑛の心境などいざしらず、なんだか勝手に盛り上がっている。

 そうね、と先刻と同じ調子で相槌を打とうとしたものの。


──つるんっ!


「またしてもーーっ!」


 またしても尻撫で。今度の触感はやたらと大胆だ。明らかに味をしめた触り方である。


「え、瑛瑛?」

「な、なんでもな……わひゃっ」


 そして間髪入れず再びの尻撫で。味を占めまくってつるつるつるんと大変しつこい。


「は、はひぃっ! そんな! そんなに撫でまわさなくても!」

「瑛瑛!?」


 彼が戸惑っているがそれどころではない。

 普段は乙女を装っているが、瑛瑛の肝っ玉ときたら歴戦の老将並みである。撫でまわされながらも後ろ手で、わっしと尻撫で犯の腕を捕らえてみれば。なんだかゴツゴツガサガサとした手触り。


(これは……木!?)


 と思ったのも束の間。瑛瑛の手を弾き、尻撫で犯? はたちまち距離を取る。

 そのとき窓の外から稲妻。紫電が走り雷光閃き、部屋の隅に隠れようとする「それ」の姿を露わにした。

 蛇のようにのたうちながら、調度の下に隠れていく……木の根、のようなもの。

 雷鳴の残響が、重く響く。


「な、なんだありゃあ!」

「……!」


 姿が見えたのは一瞬のこと。

 ふたりの顔からさっと血の気が引いた。

 どうやらこの屋敷に、妖怪じみたものがいる。


「え、瑛瑛……」


 帰ろう、と言いたかったのだろうか。彼の言葉は途中で消えた。パカリと突然床が開き、跡取り息子はあっという間に地下へ飲み込まれる。


「う、うわーーーーっ!」


 情けない声が地面に吸い込まれていくようだ。彼が落下すると、床は何事も無かったかのように、パカリとまた元に戻る。


「え……ちょっと……」


 瑛瑛は駆け寄って、床を調べてみた。撫でようが叩こうが、床はビクともしない。瑛瑛の力では、も一度パカリとはしてくれないようだ。


「ど、どうしよう……!」


 一人取り残されて、瑛瑛はへたり込む。

 謎の尻撫で妖怪が潜む廃屋に取り残されたこともさることながら。


(このままじゃ薬問屋に、跡取り息子行方不明の責任を取らされるーー!)


 一番の問題はそこである。そもそもこんな気味の悪い廃墟見学に来たのも、ゆくゆくは玉の輿に乗るための布石とするため。いかに優柔不断で意気地なしで腰抜けのヘタレだとしても、相手はなんてったって御曹司。金づるを置いて帰るわけにはいかない。夢の贅沢三昧が、あわや賠償金返済生活に変わってしまう。一大危機である。


「た、助けにいかなきゃ……!」


 瑛瑛は震える膝で立ち上がる。


(クソッ、世話の焼けるヘタレだこと!)


 まずは地下へ降りる方法を探さなければならない。

 燭台はない。部屋には尻撫で妖怪が潜んでいる。そして。


──ハァハァ。

──フゥフゥ。


 どこからか聞こえてくる荒い息。

 ちょっと心が折れそうになるけれど。


(いーや負けん!)


 のしのしと娘は歩き始めた。手掛かりを探すために。


(あんな風に床下へ人間を落とす仕掛けがあるからには、地下にはそれなりに空間があるはず)


 そして跡取り息子の断末魔の悲鳴。残響の長さからいって、おそらく死ぬほどの高さではないはずだ。だからたぶん死んでないはず。たぶん。


(お願い! 生きてて! 金づる!)


 ビカッ!

 窓の外。轟く雷鳴、稲光。




 瑛瑛は壁伝いに、ひとり手掛かりを探っている。


(……このまま、あの人を見つけられなかったら)


 もし、万が一、億が一、死んでしまっていたら。死ぬような高さではないとは思うけれど、もしかしたら恐怖のあまり死んでいるかもしれない。なにせヘタレである。


(夢の……夢の玉の輿生活が……!)


 必死の捜索の最中である。

 少し疲れを覚えた瑛瑛は、そっと壁に寄り掛かった。と、その壁がグルンと突然一回転。


「にゃっ!」


 隠し扉である。からの隠し通路を発見。

 扉はひとりでにバタンと元通り。


「いたた……」


 瑛瑛は尻もちをついたまま辺りを見回した。窓ひとつない通路である。当然真っ暗闇。壁ごしに、くぐもった雷響が聴こえてくる。


「なに、ここ?」


 立ち上がり、恐る恐る足を前に進めてみる。どうやら下に降りる段差があるようだ。

 どうやらここは、地下へ通じる隠し通路。

 ごくり。瑛瑛は固唾を飲んだ。辺りはもちろん真っ暗闇なのだが、目の前の闇は一層の深さを湛えているような気がする。


「ねえ……! お願い、返事して!」


 瑛瑛は闇の中へ叫んだ。何度も彼の名前を呼びかけるが、ただただ彼女の声がこだまするばかり。返事はない。


──ただのしかばねになってしまったのかしら。


 嫌な予感がするが、とにかく行かねばならない。

 瑛瑛はゆっくりと、足元を確かめながら段差をくだっていく。こつん、こつんと慎重な足音が闇に響く。


──フゥーッ、フゥーッ。


 どこからか息遣いが聴こえてくる。少し離れた場所から聴こえてくるようでもあり、すぐ耳元に潜んでいるようでもあり。


「ひっ!」


 思わず瑛瑛は足を踏み外しそうになった。

 すぐ傍らに、ぎょろりとこちらを見る目。闇に浮いているように、爛々と光る三白眼。


「な、何……!?」


 しかし次の瞬間には、謎の眼光は消え失せ、目の前には元の闇が広がるばかり。


(気のせい……?)


 恐怖に(おのの)く心が見せた幻だろうか。瑛瑛は目をぱちくりさせるが、瞼を閉じても開けても見える景色はたいして変わらない。

 気のせい、気のせい。

 自分に言い聞かせて、再び瑛瑛は階段を降り始めた。

 緊張の中、歩みを続けることしばらく。

 やっと(きざはし)が途絶えた。そして前方は行き止まり。しかしここで袋小路、なんてことはなく。


「あ、これ……扉だわ」


 目の前の壁をまさぐってみて分かったが、奥へ開くようになっている。扉を開けてみれば。


「……瑛瑛?」


 開いた先も暗闇なのだけれど、奥から響いてくる声は間違いなく、聞きなれた彼のもの。


「よかった──!」

(無事だったのね金づる!)


 ほっと安堵の息を吐きつつ、瑛瑛は駆けだした。

 暗闇の中、やっとの再会。そして抱擁。

……とは、もちろん簡単にはいかない。


「にゃっ!」


 駆けだした瑛瑛だが、何故だかまったく前に進んでいる気がしない。というか何かに身体を掴まれている気がする。腰、腕、太腿に巻き付くような、この感触は。


──妖怪尻撫で!


 思ったときには時すでに遅し。


 さわさわさわさわっ!


「ぎゃーーーーっ! にゃーーーーっ!」

「え、瑛瑛!?」


 間違いない。さっきの動く木の根に違いない。違いないが動きが先ほどより大胆だ。的確にいやらしい場所を、わさわささわさわ。


「ひゃっ、ちょ、ちょっと……あっ、あああっ!」

「瑛瑛……!?」


 娘の口から、今まで出したことのないような声があふれ出る。本人はくすぐったくてたまらないのだが、聞いている分にはだいぶ艶っぽい。闇の中で跡取り息子、窮地一転だらしない顔。


「あっ、ああっ」

「く、くそっ……いま一体どうなってるんだい瑛瑛! 灯りさえあれば! くそっ!」

「うおおおおこんの助平野郎がッ!」


 思わず本性が出るがもはやそれどころじゃない。

 身体中を蠢く(あやかし)は、抵抗できない瑛瑛に味を占めたのか、徐々に服の下へ潜り込もうとする。すでに下半身の裾はめくり上げられ、闇の中には若い娘の白い太腿が晒されていた。


──フゥーッ、フゥーッ。

──ハーッ、タマランナオイ。


 そして瑛瑛の耳元にはあの吐息。いやすでに「吐息」というには、息遣いがあまりにも荒すぎる。彼女の背後にうっすら現れる三白眼。血走った眼は、悶える娘をただひたすらに凝視して──。


「調子に乗んなクソが!」


 メキッ。


 瑛瑛、身体に巻き付いていた妖をひん剥いて握りつぶす。うねうねと卑猥に動いていた触手が、ぴたりと動きを止めた。


「瑛瑛?」

「ふんぬっ!」


 ふんぬふんぬっ!

 タガが外れたように、娘は触手をバキボキベキベキ。

 普段の淑やかっぷりが嘘のような荒武者ぶりに、愛しの彼も呆然唖然。


「……瑛瑛?」

「うらぁっ!」


 戒めを破った瑛瑛は、そのままの勢いで跡取り息子を引っ掴み、どたばたと元来た道を引き返す。


「え、瑛瑛ーーっ!?」

「だァってろ舌噛むぞ!」


 もちろん愛しの彼は大混乱である。普段は虫も殺したことがないような、箸より重たいものも持ったことがないような彼女が。いつも可愛らしい小鳥のような声で、さえずるように微笑んでいた彼女が。

 野太い声で大の男を引きずって闇を走り抜けている。夢だろうか。夢であってくれ。

 行きは恐々歩んだ道ではあるが、瑛瑛は怒涛の勢いで踏破した。あの隠し通路も助走つけて蹴破った。

 そして戻ってきた廃屋の廊下。外では雷がごんごろけたたましく鳴り響き、最高潮である。


「あ、あの……」

「おいテメエ!」


 ダン!

 瑛瑛は愛しの彼を壁に叩きつけた。そして問う。


「庭の桜を見に行くんだろう!?」

「えっ、アッ、ハイ」

「さっさと行って見て帰る! それでいいな!?」

「ハ、ハイ」


 そして瑛瑛は駆けだした。全速力。愛しの彼は襟首を引っ掴まれたまま。あまりの速度に、青年の足は地についていない。

 嗚呼恋人同士の肝試し。恐々と嬉し恥ずかしの恋心を育む風情もなく。


「シャオラァ!」


 背後から襲い来る木の根に飛び蹴りをかまし。


「オラちきしょーい!」


 突如どこからか降り注ぐ木の枝の襲撃を、回し蹴りで一蹴し。


「だりゃあああああっ!!」


 扉の前に突如ぽこりと生えてきた木の幹を、拳一発でへし折って。


「よしっ、庭についたわっ!」


 やっとこさたどり着いた荒れ庭園。

 雨は降っていないものの、雷がごんごんと鳴り響き大変不穏な有様である。

 雑草がはびこりまくるただ中に、その木はあった。

 この真夏に一木だけ。庭の中央でふわふわと、薄桃の花を咲かせるその木は。


「あれでしょ、目当ての桜の木!」

「う、うん!」


 恋人同士は手と手を取り合って、息を切らして桜を目指す。

 奇々怪々な屋敷を切り抜け、いまや二人にとって目前の儚い花木は希望の木。しつこいくらいに鳴り響く雷鳴も、今は天からの祝福のよう。

 そしてやっと。

 幹の傍にたどり着いた二人は、桜の木をほんわりと見上げた。


「わぁ……!」


 宵闇に稲光。花々が美しく照らし出される。

 瑛瑛は恋人の隣で、しばしその光景に目を奪われた。いかに本性はすっぱとはいえ、乙女は乙女。綺麗なものは嫌いではない。

 嫌いではないけれど。


「はっ!」


 桜の枝がうねうねと妙な挙動を始めたので、瑛瑛は我に返る。


「ボサっとすんなあぶないっ!」

「ぐえっ!」


 はすっぱ娘、再びの本性全開。

 ヘタレ跡取りを突き飛ばし臨戦態勢。

 桜木の幹から周囲から、にょきにょきと生えるあの卑猥な枝と根。


「クソッ、あれが元凶だったわけか!」


 瑛瑛は理解した。この屋敷にはびこっていた妖の正体は、あの桜木だったのだ。おそらく敷地内にくまなく根を張り、侵入者にあらゆる狼藉を働いていたのだろう。ヘタレ息子が襲われていないところを見る限り、おそらく女性限定で。


「こんの……変態妖怪がっ!」


 自身に集中して襲い掛かってくる桜の木と根を、跳躍してかいくぐり。

 瑛瑛は果敢に立ち向かう。

 正体が分かった以上、もうなんだかとにかく無性に腹が立つ。あの荒い鼻息も奇怪な視線も、全部全部あの桜が犯人で間違いない。


「うおおおおお!!」


 山賊さながらの野太い声で、瑛瑛は拳を振るい触手の群れを粉砕する。


「いままでの痴漢行為! 絶対に許さん、幹も枝も根も!」


──ぜんぶ粉砕してくれるっ!!


「わ、私の知ってる瑛瑛じゃないっ!」


 悲痛な恋人の叫びなどいざ知らず。

 瑛瑛は暴れた。

 暴れに暴れた。

 怒りのままに拳を振るい、手当たり次第に(かかと)を落しを繰り出し。

 樹皮を引きはがしては引きちぎり、めきめきと桜木を蹂躙した。

 桜花散る。儚く散る花びらが舞う中で、瑛瑛は咆哮した。天がピカリと閃いて、ひときわ大きな雷鳴が響き渡る。

 かくして謎の痴漢妖怪は無惨な最期を遂げた。桜木だったものは、いまや木屑と化している。

 一部始終を見ていた跡取り息子は、腰を抜かして失禁していた。


「ふぅ……ふぅ……」


 肩で息をしていた瑛瑛は、ゆっくりと恋人の方を振り返った。

 そしていつもの通りの、穏やかで可憐な笑顔を彼に向ける。


「ごめんね、やっと終わったわ!」

「うわーーーーっ!」


 その瞬間、弾かれたようにヘタレ息子は逃げ出した。


「瑛瑛が一番怖いよーーーーっ!」


 どぴゅーっ。


 御曹司、泣き叫びながら脱兎のごとく。

 呆然とする瑛瑛の背後では。


「ふっふっふ、俺のわさわさ攻撃をかいくぐるとは大した姑娘(ぐーにゃん)

「ならばこの俺が直接打って出るまで」

「っていうかもうたまらん! 直接脱がせちゃる!」


 無駄に一人何役もこなしながら姿を現す、謎の覆面黒ずくめ。

 覆面の間から覗く目元は間違いない、あの闇の中の三白眼……だったが。


「さあ姑娘! その裸体をいま──」

「るっせえバカ!!」


 覆面に叩き込まれる鉄拳。

 瞬間、時が止まる。


「あーもうっ!」


 ぜんぶぜんぶバレてしまった。瑛瑛がいままで猫をかぶっていたこと。本性はすっぱで歴戦の老将で山賊なこと。

 彼に、ドン引きされてしまった。

 急速に遠ざかる玉の輿。

 さよなら夢の贅沢三昧。


「うわーん! 肝試しなんてこなけりゃ良かった~~っ!」


 泣き叫びながら瑛瑛は走り去る。

 彼女にとって、一番怖い結末が待っていたわけだ。


 その背後では。


「ありがとう……ございます……! ありがとう……ございま……ッ」


 口から大喀血し、仰臥して死を待つ覆面黒ずくめ。

 なんだか三白眼はとっても満足そうで。


 ごろごろ、ぴしゃーんっ。


 天から成敗の霹靂一閃。

 実は瑛瑛ら一般人を巻き込まぬよう、天界の雷神は今まで威嚇の雷を放っていたのであるが、一般人が去った今、その心配もなくなった。遠慮なく天網恢恢、クソニンジャに正義の鉄槌である。


「あっ、クソッ! 雷神のオッサン……!」


 桜屋敷、全ての元凶クソニンジャ・木ノ枝巽。

 深更の雷撃に死す。




「ね、ねえねえ黄雲くん!」

「あ?」


 ある日の清流堂。雪蓮はためらいがちに黄雲に言葉をかける。


「あ、あのね……近くの街に、噂のお屋敷があってね!」

「ふーん」


 気の無い返事にちょっとめげそうになるが、ここは心折れてはならぬ局面。なぜなら乙女としては聞き逃せぬ噂を耳にしたから。


「もう誰も住んでないお屋敷なんだけど、すごく不思議なことがあってね!」

「……そこに一緒に付き合えって言うんです?」


 珍しく察しのいい返答をする少年に、雪蓮はこくこく思いっきり首肯。期待をこめてこくこくこく。


「あのねっ、桜屋敷っていうんだけど!」

「却下」


 黄雲、にべもない。桜屋敷。桜。少年にはその響きだけで胡散臭い。


「それ絶対巽が噛んでるやつです。行くだけ損。バカも休み休み言ってください」

「そ、そんな……!」

「はーやれやれ、あのクソをしばきに行くか……またご近所やらあれやらそれやらから苦情が……ハァ……」

「でもでもでも! 巽さんが関わってるだなんて行ってみなきゃ分からないじゃない!」

「いーえ! この展開であのクソニンジャが関わってなかったことが一例でもありましたか! おいこらクソ師匠! 仕事だ! 起きて外で寝て囮になれ!」


 そんなわけでクソニンジャ捕獲作戦が決行されるのだが、それはまた別のお話。




「瑛瑛……私と結婚してほしい!」


 事件があってから数日後。

 もう脈は無くなったと思っていたが、瑛瑛は唐突に跡取り息子から求婚を受けた。


「え……わ、私と……?」


 あんなに狂暴で残虐な姿をさらした、この私と?

 喜びよりも戸惑いを感じる瑛瑛へ、愛しの彼が告げたのは。


「君しかいないんだ。あのとき、きみの姿を見て、この想いがどうしても止まらないんだ。どうか、どうかこの私を……!」


──これから思う存分殴って蹴って虐げてくれ!


 ハァハァ。

 御曹司、頬を紅潮させ息を荒げ、大変いかがわしい表情。

 心なしか、あのときに見た三白眼と眼つきが似ている気がする。


「え……えええええ!?」


 瑛瑛の戸惑い、いっそう深まる。

 この求婚、受ければ当初の目的通り、玉の輿の贅沢三昧。

 けれども変態性癖に目覚めた彼と、一蓮托生の地獄。


(何この展開こわーーーーっ!!)


 瑛瑛、究極の決断である。

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