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「カァーット、カァット!」
銅鑼声が響き渡った。
またか、という表情で見つめる人々の中心に、修一の腕をがっしり掴んだ垣がいる。危うく崖から落ちそうになった修一を思わず引き止めてしまった格好だ。
「何してるんだ!」
苛々と伊勢が喚いた。
「そこで周一郎の腕を掴んじゃ、駄目じゃないか!」
「垣さん!」
監督同様、苛立たしい声を上げて、修一は垣をねめつける。
「これでNG、5回目だよ!」
「あ、す、すまん」
おろおろとうろたえながら垣は弁解した。とにもかくにも、修一を安全な所まで引き戻してから、ようやく掴んだ手を離す。
「つい勝手に手が動いて…」
「いいか、垣君!」
伊勢はむっつりとした顔で唸った。朝から碌なシーンが撮れていないせいもあるのだろう、殺気立った視線を垣に向ける。
「わかってると思うが、そこは周一郎が『落ちる』シーンなんだ。周一郎は信頼している滝に、自分の命を委ねている。その滝が『マジシャン』の催眠術による暗示で、周一郎を崖の端に追い詰める。周一郎は滝を殺人犯にしたくないから、自ら命を絶とうと崖から落ちる、もちろん、深い絶望に蝕まれて、だ!」
伊勢は興奮した表情で続けた。
「言わば、この『月下魔術師』の中での、一つのクライマックスと言ってもいい! なのに、何だ、君の演技は!」
垣は力なく項垂れた。
「周一郎を追い詰めるのに、まだまだ緊迫感が欠けているのは我慢しよう。周一郎という友人を失う事への不安、それに逆らう暗示、それらの葛藤が表現できていない、そういう気配さえ見えない、挙げ句の果てに、『落ちなきゃならん』周一郎を『引き止める』とはどういうことだ?!」
「すみません」
ますます垣は項垂れた。
「君はやる気がないのか?」
「いえそんな!」
「じゃあ、どうしてだ? 友樹君なんか、君のNGに5回も付き合ってくれているんだぞ!」
「はあ…」
垣はちらりと近くの椅子に腰を降ろしている修一を見やる。
僅か14歳とは言え、演技力は事実かなりのもので、ふっと気を抜くと、これが演技じゃなくて、本当に本物の周一郎がそこにいるように錯覚してしまう。
(それが余計に困るんだよな)
哀しげな優しい眼をした修一が、つい、と後ろへ一歩足を踏み出すと、どうしても手が動いてしまい、相手の腕を掴んで引き止めてしまう。崖のすぐ下にはちゃんとネットが張ってあり、そこから跳ねて下へ落ちる確率が100万分の一だとわかっていても、本能的に体が動いていってしまう。
結果が連続NG5回という有様だ。
「あ、僕、オレンジの方がいい」
いつの間にか、垣以外は休憩に入ってしまっているらしい。修一の不満そうな声が響き、違うジュースを買ってきてしまったらしい高野が、慌てて再度買いに走っていく。
「……仕方がない」
ふううう、とわざとらしく大きな溜め息をついて、伊勢は改めて垣を睨み据えた。
「このシーンはもう一度後でやってみよう。今は別のシーンをやる」
くるりと背中を向けて、大声で指示する。
「おーい、移動だ! 理香と周一郎の絡みを先にやる!」
ざわざわと人が立ち上がって移動し始め、修一も肩を竦めて見せて立ち上がる。
それらをぼんやりと見ながら、垣もとぼとぼと移動にかかった。
(オレって、才能がないのかなあ)
周囲を歩いていく役者達、端役や通行人役までが、自分を小馬鹿にして蔑んでいくように思える。
(やっぱり、サラブレッドにはなれないのかなあ)
育ちとか氏素性とか、才能以前にそういう『何か』が必要なのかも知れない、この世界でやっていくためには。