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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
1.シーン201
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7

「おつかれさまでした」

 カチリ、と高級マンション最上階の一室のドアノブが回る。高野は疲れた様子の修一に先だって部屋に入り、あちこちの灯をつけて歩く。

「ん…」

 のたのたと修一はソファに座り込んだ。時計は23時を過ぎている。

「何にします? 紅茶ですか、コーヒーですか」

「ホットミルク」

「…はい」

 高野は慌てて冷蔵庫を覗き込み、振り返る。

「すみません、牛乳切らしてました」

「買ってきてよ、下に自販あるだろ」

「……はい」

 肩を竦めて、高野は出て行く。

 修一が言い出したらきかないことをよく知っていたし、それでなくとも、今日は映画撮影とTV録画撮り、雑誌インタビューにレコーディング発表とスケジュールがたてこんでいた。それらもスムーズにいったとは言い難く、そりゃあ修一の機嫌も悪くなろうというものだ。下手に逆らえば拗ねて口もきかなくなるし、当然仕事の能率も落ちる。

 そういうことでマネージャーの佐野から小言をくうのは、いつも高野だった。

(佐野さんももう少し修一さんの体を考えてやりゃいいのに)

 腕利きのマネージャーであることは認めるが、少々厳しすぎるというのが佐野に対する高野の見解だ。

「ま、あの坊っちゃんには、あんなぐらいでちょうどいいかも」

 口に出したとたん、ごとん、と音をたてて落ちた牛乳のパックを拾う。マンションから少し離れた自動販売機から、急ぎ足に戻っていく。掌の中で冷たい牛乳が跳ねるのを感じながら、代金をいつ佐野に請求しようかと考える。

(ひょっとすると、また領収書がないなら払えないって言うんだろうな)

 自動販売機に領収書発行能力があるかよ、と突っ込みたいところだが、経費として請求するならコンビニなり店なり、領収書が手に入るところで買いなさい、そう言われて終わりだろう。

「難しいところだよ」

 領収書が発行されるコンビニまで行って修一の不興を買うか、修一の我が儘に振り回されて自動販売機代を立て替え続けるか。

「やれやれ」

 高野は溜め息まじりにエレベーターのボタンを押した。



「…で、明日の予定ですが」

 ソファにぐったりしてしまっている修一の横に立った佐野は淡々と続ける。

「午前中、映画の方へ。午後から『ロード・オン・ロード』のレコーディングになっています。コメントを…」

「映画、午前中だけ?」

 佐野のことばを、修一は気怠く遮った。

「はい」

「どうしてさ。公開に間に合うの?」

「伊勢監督が、もっと役を掴んで欲しいとおっしゃっていますが」

「僕が?」

 むくっと修一は体を起こした。聞き捨てならない。というか、今までそんなことを修一に向かって言い放った監督はいない。

「役を掴んでいないって?」

「ええ。今のままでは、撮影を進めたくない、と」

「ちぇっ、好きな事、言ってさ」

 何様だと思ってるんだ。

 修一は口を尖らせた。

「1、2作はあれで良かったんだろ」

「監督としては、七分の出来だそうです」

「どこが」

「確かにイメージとしては修一さんでいいんですが、微妙に性格の違いがあるので、そこをきっちり演じて欲しいと」

「僕が何年役者やってると思うんだよ! あんな監督より、ずっと芸歴長いんだ。役ぐらい自分で見極められるよ」

 佐野は修一の八つ当たりを平然と受け流した。忙しくなってきたから、いつものことだと思っているのだろう。だから、今更うろたえるようなことでもない、そう判断している。冷静な瞳は動かない。表情も顔色一つ変わらない。

 その変わらない様子に、大きな壁に向かって虚しく物を投げつけているような気がしてくる。修一は思わず目を逸らす。

「大体、それを言うなら、垣さんだって」

「垣さんはだんだんいい味が出て来ていると見ておいでです」

 打てば響くような応対、しかも垣を評価しているあたりにカチンと来た。

「こけるしか能がないくせに!」

「…すいません、遅くなって」

 高野が間合いを計って入ってくる。ドアの外ででも待っていたのか、佐野と修一の言い合いが悶着に発展することなどないように。周到過ぎてうんざりする。

「すぐにあっためますから」

「もういらないよ」

 修一は吐き捨てた。

「…」

 高野は首を竦め、パックを冷蔵庫にしまい込んで佐野と修一を等分に見比べる。

 大抵勝つのは受け身に徹する佐野の方で、さすが、両親から息子を託すに価すると評価されたマネージャーだけある、そう心の奥で頷いているのが透けて見える。

 脚本通り、何もかも。

 修一の叫びは本当はどこにも届いていない。

「……わかった」

 しばらくの沈黙の後、修一は唸った。

「それで、今までのフィルム、脚本ほんで役を練っておくように、とのことです」

「うん」

 何事もなかったように会話を続ける佐野に、修一はこくんと首を縦に振る。

 抵抗しても無駄だとわかっているのに、どうしてだろう、時々無性に暴れたくなる。

「午後のレコーディングの合間に、『レスト・タイム』がコメントを取りにくる予定です」

「何の?」

「周一郎という少年について、どう考えるか、です」

「嫌だなあ、僕、周一郎ってとっつきにくくて」

 現実に居たら、絶対友達になりたくないタイプだよ、あいつ。

 思わず、湧き上がった感情のままに訴えた。

「そういう事を言ってるから、役が掴めてないって言われるんですよ」

 修一のことばに、佐野はあっさりと言い返す。

「掴めてる掴めてないのと、好き嫌いは別だよ。18歳、僕より4つ年上って設定だけど、どうしてあそこまで依怙地になるのかな。滝さんと一緒に居たけりゃ、引き止めればいいじゃないか」

 そうだ、正直、周一郎という人間は、修一にはわかりきれないところが多々ある。けれど、それをあからさまに見せるのは癪だ。修一は不安を周一郎の人物造形にすり替える。

「…」

 佐野は謎めいた笑みを浮かべた。

「そうできない時もあるのかも知れませんわ」

「そう?」

 あるかなあ、そんなの。言いたいことを言わなくちゃ、誰もわかってくれない。言いたいことをはっきり言っても、届かないことが多いのに、黙ってちゃ、何も叶わないじゃないか。

 修一は納得のいかないままに首を傾げたが、疲労は募ってきていた。つい、ふわああ、と眠そうにあくびをもらし、時計を見た。

「わ、もう12時近いじゃないか」

「そうですね。では、おやすみなさい」

 佐野は軽く一礼し、ふと思い出したように続けた。

「あ、明日はお父様が撮影現場にお見えの予定です」

「おとうさんが」

 オウム返しに応えた自分の声は低く沈んでいる。

 撮影現場にお見え。

 少し黙った後、どさりとソファにもたれ、

「おとうさんはおとうさんだ、僕には関係ない」

「そうはいきません。カメラマンとライターの手配をしています。父子の対面、和やかなシーンをお願いします」

 ああ、ここでもやっぱり、理想的な父と子か。

「わ、か、っ、た」

 詰るような口調で応じたが、もちろん、佐野には堪えない。

(鈍いんじゃないの、ほんと)

 それとも、こういう仕事は鈍くないとやってられないとか?

「では」

 ドアを出て行く佐野に続いた高野がぺこりと頭を下げる。

「明日7時に迎えに来ます」

「ん」

 腰巾着がへこへこと頭を下げていく。腰巾着。古いよね、このことばも。今なら何かな、コバンザメ? 背後霊? 影とか手下とか使いっ走りとか、も、古いか。

 映画の現場には年長者が多い。ついつい、今修一達の世代が使っていることばと、感覚がずれてくるような気がする。


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