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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
7.シーン307

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8

「……」

 瞬きをして、ふいに戻ってきた視界に戸惑った。

 真っ白い平面だけが向き合った、味気ない部屋だった。

 隣で話し声が聞こえてくる。

 のろのろと体を起こす。頭がぼうっとしている。かがされた薬のせいだろうか。

「電話は?」

「通じねえ。へっ、とんだお荷物だな。友樹修一だっていうから、がっぽり稼げると思ったのに」

 嘲る声が修一のことを話している。

「あの女もいい加減なこと言いやがる」

「あいつ、データのでの字も知らねえし」

 目が疲れたので視線を落とす。寝かされていたのは床の上、他人のもののような手足を動かして、人形を足から起こしていくみたいに体を組み立てると頭がふらつき不安定さに吐き気がした。酷く揺れる船の甲板、反転を繰り返すジェットコースター。立っていられなくてよろめいて壁にもたれ、呼吸を整える。少し深く息を吸う、途端に吐き気が強くなり迫り上がる苦い塊を辛うじて呑み下す。

(データって……)

 そういえばどこかで誰かがそんなことを言ってたような。

(組織の内情を暴いたデータ…?)

 雅子が囚われ、身代金として差し出せそうな嘘ならそれぐらいだろう。それを修一が持っていると言い逃れていれば、ああ確かに修一を捕まえて調べるまでは組織も落ち着かないだろう。部屋を探し身辺を洗っても出なければ、修一本人を叩くだろう。常道過ぎるほど常道な道筋。

「う…」

 ではこの気持ち悪さは自白剤かそれに類したものと考えてよさそうだ。込み上げる吐き気に口を押さえ、視界を一気に埋めた蛍光ピンクと水色の光に圧倒されてぐずぐずと座り込む。

「おい、何か音がしたな」「起きたのかな、あいつ」

 いつか同じような場面があったな、と修一は思い出す。『京都舞扇』だったか、滝が『直樹』から離れることを強要される場面だったような。

 がちゃりとノブが回る音がして境のドアが開いた。出口はあそこしかなさそうだと霞む意識に刻み込む。

「はは、座り込んでやがる」「お坊っちゃん育ちにはきつかったんだろうよ」

 笑い合いながらやってくる2人の男、1人が前にしゃがみ込み、にたにた嫌らしい笑みを広げて修一を覗き込む。

「おい」

 ぱん、と頬を叩かれ一瞬息を呑んだ。目を見開いたのが見えたのだろう、続けてぱん、ぱん、と左右の頬を叩かれるままに受け止めて、それで揺さぶられた脳髄がまた強烈な吐き気を送り出してくるのにぐらぐらして目を閉じる。

「だめだぜこりゃ、当分使いものにならねえよ、いきなり吐かれても興ざめだしな」

 だから強すぎねえかって言ったんだよ、お楽しみまで台無しにすることはねえだろ。ぶつくさ言いながら立ち上がる男のポケットで携帯が鳴った。

「はい、ああ、綾野さん」

 代わりに修一をいたぶろうとしていたのだろう、近づきかけていたもう1人も立ち上がってそちらを振り向く。

「ああはい、じゃ、もう用済みですか」

 さらりと続けられたことばに修一は微かに身を竦めた。

「え…そんな無駄骨折らなくても、外に放り出しときゃすぐ死にますぜ」

 その方が後腐れねえしアシもつかねえしと続けかけた声が不満そうに応じる。

「かなりふらふらしてます。クスリきつかったみたいだし。まだ半分寝てる感じです。……いや、わかんねえですよ」

 くすくすと低い笑い声を響かせ、もう1人に目配せする。

「俺らに任しといてくれりゃ何とでも……え? はいわかりました、跡形なく消しときます」

「何だって?」

「さっさと殺せって。確実に、安全に」

「社是かよ、笑えねえ」

 ケラケラ笑う2人はめんどくさそうに修一の側に近づいてくる。

「外で絞め殺して衣服剥いで埋めとくか、この雪だしな」「いいな、死んでからじゃ重いしな……おら立てよ」

 怒鳴るわけではない、けれど十分な凄みをきかせて唸られ、修一はがしりと両腕を掴まれた。力一杯引き上げられた勢いにぐだぐだになった三半規管が見事に反応して吐き気が込み上げ喉を鳴らす。

「う、ぐ…」「あ、吐く」「やべえ、早く運び出しちまおう」

 男2人はあたふたと修一を引きずった。殺すのも弄ぶのも平気だが吐瀉物の始末はごめんだという感覚、だが思いっきり揺さぶられて悪心と目眩に圧倒された修一は抵抗する気にさえならない。あっという間に部屋からも家からも連れ出され、足元が引っ掛かって崩れた時にはもう雪の中だった。

「おい、ここじゃまずいよ、あの林の中へ連れ込んじまおう」「だな」

 ぐいぐいとなおも修一を引っ立てようとするが、半分意識を失いかけている修一の重さは予想以上だったらしい。1人が焦れて苛々と声を上げる。

「早くしろ!」「やってるよ!」「ちぇ、先に道付けとくからな!」「お、おい!」

 1人がたじろいだ隙にもう1人が走り去る気配、残された男は舌打ちをして唸る。

「2人で重いってんだから、1人で運べるわきゃねえだろうがよ、ったく何様だと思ってやがんだ、いつもいつも面倒なことばっかこっちに押しつけやがって…ったく、重えよなこいつはあっ!」

 それでも修一を放り棄てて行こうとしないのは、確実に安全に始末しろ、と命じた主の怖さを隅々まで知り尽くしているのだろう、ぼやきながら修一をどっこらしょと背中におぶおうとする、そのとき。

「………」

 修一は目覚めていた。靄がかった意識の中で『誰1人助けに来てくれない』状況に置かれた『周一郎』がどんなふうに窮地を脱したのか、なぞり返すように思い出していた。ほんの僅かな隙を一瞬の油断を千載一遇のチャンスに変えて、相手を屠り、敵に破滅をもたらして帰還したのだ。修一はそこまでできなくとも自分の能力でこの場面に何ができるかはわかっている。

「、っ!」「わあっ!」

 無防備に向けられた背中を目一杯突き飛ばして身を翻した。今来た道なら多少踏み固められて走れる、けれど元の場所に戻るわけには行かない、出来るかぎり追手と距離を置いたなら、雪の中に体を投げ出して全く違う方向へ逃げる。

「こ…このぉお! おい! 来てくれ、やつが逃げたあっ!」「なにいっ!」

 背後で響く怒号、掴まればその場で殴り殺されるのは必至、銃器類は持っていなかったようなのは幸いだ。

(ひょっとして、人が近くに棲んでるのか?)

 喘ぎながら雪を泳ぐ。意外に人が通る場所なのかも知れない。だからこそ銃声が響き渡るのはまずいし、血が飛び散るような状況もまずい、絞め殺して埋めることにしようということだ。そうすれば、雪が溶けて地面が出て、その後からでないと見つからない、そういうことなのだ。

「捕まえろっ、何してるっ!」「てか、雪の中なのにあいつ速くねえか、くそ!」

(覚えてる)

 修一は前へ前へと進む。そうだ、体は覚えている。昔、雪の中でロケーションをしたことがある。誘拐された幼い男の子の役だ。恐怖に怯えながら、閉じ込められた別荘の2階のトイレの窓から逃げ出すのだ。普通なら逃げ出せなかったが前日大雪が降って下が積雪のクッションになった、だから男の子は雪に身を躍らせて逃げ延びる。撮影にあたっては、ロケ先の在所の老人に雪の中をどうやって進むのかを教えてもらった。完全にはできなかったけれど『素人』よりは経験がある。

(逃げろ)

 死にたくない。

 もう一度逢いたい。

 男の子は喧嘩して家を飛び出していた。心配する父親を詰っていた。雪の中を逃げながら思い出していたのは父親の顔だけ、帰って謝ろうという想いだけ。


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