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(垣さん!!)
どことも知れぬ闇の中を落ちて行きながら修一は叫んだ。
四肢がバラバラに千切れて、それぞれ別の場所へ放り出されていくような不安と恐怖、激痛に意識がかき回されてぐちゃぐちゃになる。
(垣さああんっ!!)
叫ぶ声は闇に吸われる。差し伸べる手はどこにもない。もがく脚も震える体も粉々になって、意識は砕かれる寸前の小石のように強張り、たった1つの名前を繰り返すだけだ。
(垣さん! 垣さん! 垣さああん!)
それと重なる、エコーのようなもう1つの名前。
『滝さん! 滝さん! 滝さああん!』
もちろん、周一郎がこんな風にひたすら助けを求めて滝を呼び続ける場面などない。自分1人で凌ぐことしか考えていない、誰かが助けてくれると考えたこともない、それが『周一郎』という少年だ。
けれどしかし、修一は『周一郎』を繰り返し演じてきた。脚本の中はもちろん、そこに描かれていない生活、動き、予想される出来事や事象、それらを想像し空想し、脚本の外にまで『周一郎』を広げることで初めて、脚本の中の『周一郎』に血肉が通うことを知っていたから。友樹修一というキャラクターが要求される以外は、務めて『周一郎』であろうとした、と言っていいかも知れない。
だからわかる、『周一郎』が胸の内でどれほど滝を繰り返し呼んでいたか。屋敷を出ていってしまう滝を見送ったとき。京都の事件で清に犯罪者として切り捨てられたとき。直樹としてしか滝と再会することができなかったとき。
胸に繰り返し呼び出すだけで力が湧く、そんな思いで『滝志郎』の名前を抱えていたはずだ、死者復活の呪文のように。
(垣さん、垣さん、垣……)
同じように呼びかけ希いながら、それでも修一は気づいていて、やがて少しずつ叫ぶ声を失っていく。
(僕は、『周一郎』じゃない)
わかっていたことだ。
修一がどんなに『周一郎』を演じようと、それはどこまで言っても仮初のものであって、修一そのものではない。同様、垣はどこまで言っても『垣』であって、『滝』ではあり得ない、ましてや修一を救う『滝』とは成り得ない。
(わかってる)
全てはお芝居だ。
この『猫たちの時間』に描かれた至上の繋がりは、現実ではあり得ない。人の絆の一番純粋で優しい形、かけがえがないと確信できる1つの夢、だからこそ、この作品は『娯楽』として成り立っている。厳しく苦しい現実の世界からはみ出した、一瞬の理想郷の世界として。
落ちていく修一の回りにはぐるぐる回り続ける青白い鬼火が躍っている。中心の修一を嘲笑うように脅かすように跳ね回り燃え上がり、くるくる舞いながら修一を螺旋の渦へ引き込んでいく。
(『周一郎』は夢だ……何をしても、どこまで行っても、支えてくれ守ってくれ受け入れてくれる『滝』という存在を描くための夢……夢は現実にはならない……どんなに巧みに引き寄せたとしても……)
心の奥底に冷えきった寒い想いが澱んでいて、小さく嗤う、演じた夢に呑み込まれてしまった愚かな自分を。
(ずっと、ちゃんと、『演じてた』つもりだったのに……)
いつの間にか夢に全てを乗っ取られていた。
(おとうさんや……おかあさんと同じ…)
友樹陽一はいつまでも女に求められ部下に憧れられる『できる男』の夢に呑まれた。友樹雅子はどんな時でも華やかで火のように激しい『美しい女』の夢に呑まれた。
修一の求められたのは『できる男』と『美しい女』の家庭にふさわしい『才能あふれる非凡な息子』だったのに、いつの間にか演じられなくなってしまった、『友樹修一』を。
(だって……皆が求める友樹修一ってさ……『周一郎』そのものだよね…)
演じていくうちに見失ってわからなくなる、今自分はどこの誰でどんな存在なのか。『周一郎』が当たり役だと言われれば言われるほど、脚本からはみ出した『周一郎』を演じ続ければ続けるほど、違和感が増える。
求められている姿は、まるで『友樹修一』に望まれる姿そっくりだ。
けれど、『友樹修一』なら、あんなに意地を張ったりしない、誰かが側に居てくれて気にかけてくれるのは嬉しいことだ。嬉しいから笑い返し、相手が応じてくれるからもっと距離を縮めていこうと思う、けれど、そうしたときに突然訝しく拒まれることが増えた。
『あれ、友樹君ってそういうキャラだったっけ? あ、そうか、「周一郎」の演技中だものね、「周一郎」が「滝」に懐いてるときって、そんな感じだよね?』
今、ここに居る『友樹修一』って、何だろう?
それとも、もうとっくに『友樹修一』なんていうのはなくなっていて、ここにあるのは『朝倉周一郎』という仮面をつけたり外したりしている1体の影がいるだけなのか?
そのとき、ふいに。
(わかった)
『周一郎』がどんな気持ちなのか。
(この世界の、どこにも自分はいない)
誰かが望む『朝倉周一郎』という形が無数に転がっているだけで。
それらを取り外してしまった後にはきっと何にも残らない。
だから『周一郎』は松尾橋から消えた。『直樹』を被った。
そうしても世界は変わらないという答えを予想して。
(でも、その中でたった1人)
『滝』だけが見失わなかった。
誰もが気づかなかった『周一郎』の本体、本人さえも見えなくなっていた真実を、『滝』だけが取り出してみせた、魔法のように、奇跡のように。
(ほら、お前はここに居る、って)
そのとき、『周一郎』はもう一度、いや、初めて、この世界に産まれたのだ。
(同じ、ように)
『修一』も産まれたかった。
両親から、ファンから、スタッフから、友人から、周囲のありとあらゆる者から期待され望まれ作り上げられた『友樹修一』ではなくて、好きなものを見つけて、必要なものを求めて、大事なものを守れる、世界でただ1人の『修一』に。
(でも)
それもまた、夢、だった。
顔を覆う。指の間から、小さな銀色の泡となって、涙が闇の空に次々と舞い上がって散っていく。
(垣さんは、滝さんじゃない)
(僕は周一郎じゃない)
なりたかった。
なりたかった。
朝倉周一郎に。
滝志郎が支える少年に。
自分を棄てても、なりたかった。
(でも)
なれなかった。
垣に嫌われた。
見捨てられた。
だから、残っているのは芝居しかない。
終る瞬間に砕け散る夢で、最後まで躍り続けるしかない。
(どうして僕は『周一郎』でなかったんだろう…?)
それはきっと、『朝倉周一郎』の偽物として滝に見破られ、やがて身代わりとして殺されていく直樹の気持ちだったに違いない。
(よく…わかるよ…)
今きっと修一は『猫たちの時間』の配役全ての気持ちがわかっている…。




