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ふいにわかった。
「佐野さん、あなた」
違う、この女性はそんな甘い優しい感覚で物事に向き合う人じゃない。ましてや、自分の期待と信頼を裏切ったものに対しては、髪の毛一筋の未練も残さない人だ。
「そういうことなんだよ、垣くん」
宮田がチェシャ猫のように薄笑いを顔全面に広げた。薄く引き延ばされた唇、弧を描いて細められた瞳、緩やかに左右に引かれた眉。どこからどう見ても笑顔なのに、どんなに頑張っても安心できない薄気味悪い微笑。
「愛社精神? 社会正義? いやいや、この人の中にそんなものはないさ。あるのは友樹修一という類稀なる才能を傷つけようとする存在への怒り」
ああ、そうだろうさ。
垣はぞくりと身を震わせる。
修一のこれほどの危機に目の前の女性がうろたえないのは、見定めようとしているからだ、修一が受けるかも知れない衝撃とそれがもたらす成長、綾野産業への鉄槌のぎりぎりのバランスを。
だからこそ応じた、宮田との『取引』に。
「つまり、この人は綾野産業を見捨てたわけだ」
「あら……綾野産業だけじゃありませんわ。友樹陽一も雅子もです」
分りの悪い子どもに言い聞かせるように佐野は微笑んだ。
「それに私よりももっと本分を逸脱しておられるのは、宮田さんじゃないかと思いますけど」
警察を辞められるおつもりですか?
柔らかな問いただしに垣はぎょっとする。
「ちょっと待て……宮田、お前ひょっとして」
「いやいや俺も心配してますって、修一君のことを。ちゃあんと無事にクスリを売りさばいてるアジトまで案内してくれるんだろうか……ってね」
ふふっ、と笑みを零した宮田に垣はぶち切れた。
「っみ、や、たああっっ!」
お前そんなことのために、あいつを使ったのかあっっ!
「ひょっとしてお前、友樹君の事故騒ぎも!」
「あれは違う」
怒鳴りつけた垣に、宮田は不愉快そうに唇を歪めた。
「俺ならもっとうまく、ちゃんとやる」
「何をちゃんと、何をうまく!」
ぶっ飛んだこと言いやがって!
「ああ、そうか、言い忘れてたけど、あれの張本人、界部朋子の親衛隊の仕業らしいよ? 嫉妬って奴?」
「てめえ人をコケにしやがって…全部知ってたんだな!」
見えてきたのは、事件に追い詰められる修一を心配して巻き込まれていく自分の姿、それもどうやら目の前の『友人』の仕組んだことだという構造。
「まあまあ」「まあまあじゃねえ!」
睨みつけながら怒鳴り続ける。
「一体何考えてやがったんだ、そんな魂胆で俺達に近づいてたのか!」
手駒として操って、自分の欲しい情報を一番良い形で手に入れられるように、周囲からじりじりと搦めてきて。
「そんなことなら!」
「そんなことなら?」
「オレはさっさとあいつからお前を引きはがして!」
「そうだよ、修一から俺を引きはがして、お前がちゃんと」
「オレがちゃんと!」
「大事に守ってやればよかったんだ!」
「大事に守ってやればよかった!」
「体の隅々まで!」
「体のすみ……何を言わせやがるっっっ!」
「うむ、俺式誘導自白、本日も快調」
「、っ、違うだろおお!」
こんな馬鹿馬鹿しい話をしてる間に、あいつに何かあったらどうする気なんだ。いや、そもそも警察がこんな囮捜査みたいなことを、しかも一般人を巻き込んで、ついでに対象には危険の1つも説明せずにやっていいはずがなかろう!
垣がなおも気炎を上げようとした矢先。
ぱっぴらぽっぽぴらぱっぱ…。
またもや鳴るだけで気力と根性が失せる着メロが鳴り響いた。
「あ、止まった? ふんふん……山の中だな。構わん、周囲を固めろ、俺もすぐに行くから」
通話を切った宮田が顔を上げる前に、垣は走り出した。いつの間にか佐野が席を立ち、さっさと自分の車に乗り込みエンジンをかけているのにかろうじて間に合う。数秒遅れて追いついてきた宮田が、当然のように助手席に滑り込んでシートベルトをかけながら、
「どこかわかってます?」
「綾野系列で山中、薬を売りさばけるルートに繋がっていて、この移動時間。しかも数日間人1人監禁しても問題にならない場所と言えば、1カ所です」
「監禁っ?」
ぎょっとする垣に佐野は冷ややかな視線を肩越しに投げて来た。
「動き方と選ばれた場所を考えると、下っ端の荒っぽい連中が動いたようですね。修一さんに傷がついていないことを祈るしかないでしょう。役に立たないとなったら何をするのかわからない、そういうお馬鹿さん達の集まりですから」
飛び出した車は佐野の口調通りに荒々しく、速度を上げて跳ね飛んでいく。
「その時にはそれなりの身の振り方をして戴きますわ、宮田さん」
垣に向けたのとは桁違いの冷たい視線に、宮田は動じた様子もなくシャラリと応じる。
「主人公は死なないことになってんだよ、な、かおる?」
「確認すな!」
にこやかに振り返られて垣は怒鳴る。車の勢いに後部座席に押し付けられていなければ、世界平和のために宮田の首を絞めてたところだ。




