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「周一郎役が確か、友樹修一だっけな」
一転して、宮田は生真面目な顔で続ける。
「ああ、まあ」
劣等感を刺激されて不承不承頷き返した。
「名子役だか何だか知らんが頑張ってる。まあ、でも、さすが親は違うよな!」
「親?」
宮田がちょっと眉を上げてみせる。
「知らないのか? あの、友樹陽一だぜ!」
正直なもので、思わず声が弾んだ。友樹陽一のことなら、いくらでも語り続けられる自信がある。
「『帰らぬ我が子』は本当に良かったよな! それに『いそしぎ』だろ、『二十番目の娘』だろ、『古都の雪』だろ!」
まだまだ作品数を上げられる。もちろん、中身についても、撮影秘話なんかも何度も読み込んで覚えている。
「穏やかな、内に強いものを秘めた温かな人格者、か」
宮田は何かをなぞるように呟いた。
「そのままだってよく聞くぜ。修一と組んでりゃ、いつかあの人とやれるチャンスがあるかもしれないと思ってさ。大体、オレが役者になろうと思ったのも、あの人の影響が大きいんだ」
長い話になると思ったのか、それとも何か話があるのか、腰を降ろす宮田に、今度は咎めることもなく垣も座る。
「それに、あの奥さん。ほら、女優の友樹雅子」
脳裏に浮かぶ雌豹のような激しい視線としなやかな肢体。情熱的な唇と潤んだ熱い瞳。
「なんかこう……炎の女って感じでいいんだよなあ…」
「知ってるよ、汚れ役が得意だっけ」
宮田が食堂のメニューを読み上げるような素っ気なさで応じた。
「そう! 汚れているのをちらっと哀しむ色気があってさ!」
相手のクールさに煽られて、垣は熱く語り続ける。
「ちらっと流した眼とかぞくぞくするよな! 男と女の難しい場所をよぉく知ってて、それでも渡らせてくれようって言うか、渡ってしまいたくなるって言うか!」
それはある評論家の受け売りだったが、構うことない、垣も確かにそう思う。
「両親とも素晴しい役者でさ、人間的にも悪い噂聞かないしさ、あんな両親に育てられる子どもは幸せだよな、映画界のサラブレッドだよな!」
生まれ落ちた時から成功を約束されている環境。芸能界の水に慣れ親しみ、今では、世間一般では少年と呼ばれる年齢でも、切れ者のマネージャーと付き人を従え、大人と対等にやりあい、明るく朗らか、苦労など何一つ知らぬ顔で華やかな花道を意気揚々と歩いていけるのだろう。
(あいつにはデビューの苦労なんてわかりゃしねえよな。はじめっから役をもらってるんだし)
1シーン終わるごとにからかいに来るし、垣が必死にやっているのを眺めてはくすくす笑う。垣にとっては修羅場でしかない仕事場で、遊園地で遊び回っているように自由気ままに動き回る。
(今日だってそうだ)
垣を掌で弄び転がすことを楽しんでいるのだろう。
「ほんとにいい役にいる」
「あん?」
ぼそりと宮田が呟いて、垣は我に返った。
「お前が、だよ」
宮田は妙な笑い方をする。
「そこでだ、友人のよしみで」
「誰が!」
「じゃあ、他人のよしみで」
「……」
こいつは堪えるということを知らんのか?
思い切り不愉快そうな顔を作ったはずだが、宮田は平然とことばを続ける。
「これから、友樹に関すること、何でも教えてくれないか?」
「どうして」
「いや、実はあの修一、なかなかの美形だろ?」
とっさに垣は壁際まで飛び退る。
「お、おまっおまえっ」
「ウチの婦警が知りたがっててさ」
思わずほ、と溜め息が出た。苦笑する。
「そうか……オレはてっきり」
「てっきり?」
「いや、お前のことだから」
「うん、俺の好みでもある」
「宮田っっっ!!」
いやー、女子と好みが被るといろいろ困るよなあとか何とかぼやきつつ、飄々と出て行く宮田を見送り、垣は急いでドアを閉めた。
「ったく、どこまで冗談なんだかどこからマジなんだか」
全身にどっかりとした疲れを感じる。
「マジじゃないと言い切れないのが、あいつの怖さなんだよなあ…」
学生時代に、一晩付き合ってくれと言うから、飲みか麻雀かと思ってついていったら危うくホテルに担ぎ込まれそうになったという仲間の話もある。それが宮田一流の『お遊び』だったのか、それともがっちり『そっち』だったのか、今でも意見が分かれている。当の本人は『遊びに決まってるじゃないか、もちろん』と良い笑顔で答えたらしいので、以後、その話題は暗黙の了解でスルーされることになった。
溜め息まじりにのそのそ立ち上がり、とにもかくにも煎餅布団を引いて今夜は寝ようと押し入れを開ける、とたん。
「ぎゃああっっ!」
垣は声を上げて飛び退いた。目の前に宮田のニヤニヤ笑いが広がっている。
「な、な、な」
確かに今さっきドアから出て行っただろ、な、誰かそうだと言ってくれと周囲を見回しかけ、ようやくそれが、宮田の顔写真のドアップ、どこで作ったのか、所謂超特大のピンナップであると気づいた。
「あ…あいつの思考回路はどうなってるんだ……」
いや真剣に考え出そうとするなら、なぜこれを作ったのかとか、なぜそれをこんなところに貼り付けようと思ったのかとか、そもそもなぜ垣のところにこれを貼り付けようと思ったのかとか、いろいろ怖い想像が広がってきそうなので、急いで頭を振って思考を切り替えようとし。
「?」
ドアのノブに眼が止まる。なんで今ここに、そう思った瞬間、もう一つの懸案事項が思い浮かんだ。
「合鍵ーっっ!!」
もちろん、取り返そうにも、宮田の姿はもうとっくにどこにもなかった。