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「くそ!」
垣は勢いよく机を叩いた。ばんっ、と鳴った机が軽く跳ね上がる。
「一体何待ってるんだよ、宮田!」
前に座っている宮田に噛みつかんばかりに怒鳴っても、相手は例によって堪えた気配すらなく、のんびりとソファにもたれて天井を眺めている。
通常ならば捜査本部がたてられ、たくさんの刑事が手がかりを求めて推理し検討し、頻回に出入りが繰り返されるだろう熱気はこの部屋にはなかった。
撮影場所の一画、急造されたようなこじんまりとした部屋の中に居るのは、垣と宮田、それに佐野だけ。新たな人員が加わる様子もなければ、周囲にパトカーが押し寄せることもない。むしろ、この一件で動いているのは宮田1人でしかないような侘しさと閑散さ。
しかも苛立ち怒っているのは垣だけで、宮田はさっきからずっと時計を気にするわりには立ち上がることさえなく、むしろ一番楽な姿勢を求めて脱力一方、今やもう、どれほど追い立てようとしても飲み物を買いに自販機にいくことさえしないだらだら加減だ。佐野は佐野で,これまた信じられないようなポーカーフェイスで宮田の隣に控えている。
(畜生!)
垣は歯を食いしばって、再び両手を机の上に振り下ろした。びぃ……ん、と4本の脚が余韻に震える。だが、やっぱり宮田も佐野も視線1つ動かさない。
(どうしたって言うんだよ)
友樹修一が行方不明、しかも事件に巻き込まれた可能性が高いのだ。十分に警察が動いていいはずのネタ、なのに、宮田はともかく他からも応援が来ないというのが解せない。
(こうしている間に、あいつがどうなっているかわからないのに!)
もう一度振り上げかけた腕を思い直して胸の前で組み、垣はどすりとソファに腰を落とした。
脳裏に水飲み場の踏みにじられた紙コップが浮かぶ。
(あんなに近い所に居た……あんなに近い所から連れ攫われた)
垣は気づかなかった。高野も佐野も張りついていたはずの宮田さえ。
(きっと…助けを呼んだ)
ぎりっと奥歯が鳴った。
攫われる寸前、きっと修一は誰かを、おそらくは垣を呼んだはずだ。
ぱっぴらぽっぽぴらぱっぱ。
「な、何だっ?」
あまりにも場違いな明るくふざけた音楽が鳴り響き、宮田が思わぬ素早さで携帯に応じた。
「はい、宮田です」
「着メロ…」
「あ……ああ、俺だ。うん……うん、捉えた? そうか、そのまま追跡しろ。いや、まだ手は出すな」
さらりと命じて通話を切る宮田に、垣は訝しく眼を向けた。
「捉えた?」
「あ、うん。実は毎日発信器を友樹君に着けさせてもらっててな」
珍しく生真面目な表情のまま、宮田が頷く。
「じゃあ、毎日、友樹君にあれやこれやと触りまくっていたのは」
垣の頭に、来るたびにあれやこれやと理由をつけて修一に近づきスキンシップにいそしんでいた宮田の姿が甦る。おいおいセクハラ疑いを通り越して被害届寸前だぞ、と思うような距離感は、必要な機器を友樹の体につけるためのものだったのだ。だが、
「待てよ、けどそれって立派な法規違反…」
友樹修一の人権からいくと間違ってるよな、と突っ込みかけた垣を、宮田はさらりといなす。
「今の友樹君の位置は、ウチの連中がしっかり補足してくれている」
「あ、なーる…、ってか、おい、今あからさまにごまかして」
「で、不思議に思わない? 何でそこまでしてるのかとか、何でそれなら今すぐ助けに行かないのかとか」
「そうだ、何で助けに」
はっとして声を荒げた垣に、宮田は薄笑いを返した。
「それはきっと彼女の方が理由を知ってる」
立てた親指で指し示した先には佐野の姿、にやにや笑いでしてやったりの宮田の横目も、驚き以外に浮かんでいるのは純粋な怒りだろう垣の視線も、恐れ気もなく受け止めて、友樹家の懐刀はゆっくりと刃を引き抜いてみせる。
「仕方ありませんわね」
穏やかで淡々とした声音には切迫したものなど全く感じられない。
「そういう手を取られると、本当に困るのですけど」
手間暇もかかりますのでね、と上品に微笑む。
「つまりこういうことですわ、私は修一さんのマネージャーですけれども、綾野産業の頭脳の1人でもありますの」「ぶ」
垣は思わず吹き出した。
「もっとも…」
佐野は唖然としている垣に頷いた。
「表向きの正業の方ですけど。綾野産業が修一さんのメイン・スポンサーであることはご存知ですね」
「え? いや、あの俺は…」
口ごもる垣の前で佐野はひんやりと笑って、続けた。
「では、友樹陽一のバックに綾野産業がついていることは……」
「え…いや…」
垣はなお口ごもる。
(今さらだけど、オレってあいつのことは何も知らねえんだ)
友樹陽一や雅子のことは、それこそ手当り次第に情報を集めていたと思うのに、と考えてはたと気づく。
(それだけ修一の情報が抑えられていた?)
改めて目の前の佐野を眺める。情報操作をしていることさえ勘づかせないほどの腕を持ったこの女性が、何をしていたのかにふいに興味が湧く。
「元々、綾野産業は友樹陽一のバックにつく代わりに、彼が生み出す潤沢な資財を活用してきました」
つまり佐野はその『活用する』側に居たわけだ。
「不動の人気というものはあり得ません。どれほどのスターであろうと、やがて飽きられ捨て去られる」
淡々と陽一を切り捨てる声音に気負いはない。
「ですから、企業としてより有用な投資先を考える必要がありました」
「…修一…?」
「ええ」
にっこりと笑う佐野の瞳が光る。
「天賦の才能、というものを私は初めて実感しました。天性というものが土台を十分に整えられた時、どれほどの成長を見せるのか。まさに事業が社会を揺るがすほどの影響力を持つようになる過程そのもの。私はそれに魅せられました」
佐野は修一という宝石を磨き上げるのに夢中になった。だが、好事、魔多し。潤沢すぎる資金は愚かな者にとっては暗闇の沼だ。
「私が綾野産業から眼を離していた間に企業は腐りました」
すっぱりと佐野は断じた。
「綾野はクスリを扱い始め、陽一さんは綾野の手回しで浅倉若子と抜き差しならぬ状態になり、雅子さんは中毒患者になっていた。私は修一さんの才能を潰す気がなかったので、これ以上クスリに踏み込むようならば手を引くと伝えました」
佐野もただの遊びで綾野産業のブレーンとして動いていたわけではなかろう。手塩にかけて育てた部下や事業もあったはずだ。だが、修一まで伸ばされてくる汚れた手の存在に、それらの一切に能力を提供しないと決める、それほどに修一に思い入れていたということか。
「でも告発はしなかった」
宮田がこれまたさっくりとやり返す。
「多くの人々を苦しめる温床と成り果てていても愛社精神があったわけだ」
「けど……今は違う、そういうことでしょう?」
垣は問いかける。
「もう黙っては見てられないから」
「まさか」
くすくす、と軽い笑いを佐野は返した。
「以前垣さんにもお話ししたでしょう? 私、修一さんを買ってるんです、マネージャーとしても、私個人としても。だから、彼の才能を妨げるものがあれば、微力ながら排除するのに全力を尽くします、たとえそれが何であろうと、と?」




