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「やあ、御苦労さん、御苦労さん」
「…また来てたのか」
満面笑みの極上機嫌で迎えた宮田を、垣は仏頂面で迎え撃った。
タオルで汗を拭いながら、眉をしかめ、修一の方を見やる。
(どうも変だな)
今は友樹修一のサイン会のまっただ中だ。いつもと変わらずにこやかな笑顔を振りまき、時に笑い声を上げながら、これもまた上機嫌でサインをし続ける修一。だが。
(何か…おかしい)
手応えが違う。応対する、何かの位置がずれている、そんな気がしてならない。
休憩の間にも脚本を検討しに来る修一が不愉快なわけではない。前ほどまとわりつかなくなったが、前と同じように人懐っこいし、あの日垣を怒らせたことを謝った後は以前同様、特にこれと言った変化はない。修一に対して容赦ない態度をとってしまった垣の方がむしろ、何かあるのじゃないかと思い何かが変わるのではないかと怯え、けれど何も変わることがなくて、返って気抜けした感じさえある。
(けど、何か、違う)
たとえばさっきのシーン307だ。
垣は眉を寄せたまま、むっつりと腕を組む。
(まるで……『本物』みたいだった)
朝倉周一郎という人間が居て、その人間が今すぐ側で動き呼吸し話している、そんな感覚。
(本気で…泣いてた……?)
「かおる?」「どあっ」
急に肩口から覗き込まれて椅子から転げ落ちた。
「何だよ!」
「いや、重大な問題が」
宮田は険しい顔になっている。
「重大な問題?」
「ああ。友樹君なんだが…」
「うん…?」
ばさばさっと目の前に2つの花束が差し出された。片方が白い薔薇を中心にかすみ草で取り巻かれた淡い色の清楚な花束、もう片方が黄色い薔薇と紺色、赤などのメリハリ花々でコントラストを効かせた派手な花束。
「友樹君、どっちが好みだろうか!」
「……あのな」
能天気ににこにこ笑いながら花束を抱える宮田をねめつける。
「そういう金はどっから出てる?」
「もちろん、必要経費」
「……なんの」
「友樹修一のガードをするための」
ああそうだそうだそういうやつだったなのにこいつは国家公務員なんだよなほんとにもうどうしてやろう。
そういう文句を呑み込んで視線を逸らせようとすると、
「あ、見捨てるなよ」「見捨てたくもなるわいっ」
素早く察した宮田に突っ込まれて怒鳴り返す。
「ガードはどうしたガードは!」
「いやそれもやっぱりさ、花束が決まらなきゃ話しかけにくいだろう、いろいろと」
「関係ねえだろ!」
「依頼人との距離を縮めなくちゃ!」
「そんな方向に縮めるなっ!」
「わかったよ!」
宮田は奮然として花束を両方引き寄せて胸を張り、冷ややかに垣を見下ろした。
「そんなこと言うなら両方にしてやる!」
「……」
垣は立ち上がった。ああいやほんと役者ってのは大変だよなあ、いろんな客がいるもんなあと違う方向に意識をぶっ放しつつ、タオルで顔を擦ってると、
「あれ?」
宮田が素っ頓狂な間抜けた声を上げた。
「友樹君、いないねえ?」
「は?」
慌てて顔からタオルを引きはがし、周囲を見回す。確かに今の今までサインに応じていた修一の姿がない。同じように修一を探しているのだろう、右往左往している伊勢や高野の姿がある。
「高野はいいとしても…監督まで……? まさか!」
「まさかって何?」
依然呑気な声を返してくる宮田を放置して、向こうから急ぎ足にやってくる佐野の緊張した顔を見つめた。
「垣さん」
「何かあったんですか?」
「修一さんをご存知ありません?」
「…いないんですか」
胸のあたりで痛いほど何かが跳ねた。
佐野は綺麗な眉を潜めて頷き、ちらりと宮田を見やってから答えを返す。
「サイン会が終った後、ちょっと水を飲んでくる、と……高野が外していたので自分でクーラーに向かったらしいんですが」
「それから?」
「…」
佐野は首を振り、険しい表情になった。
同じことを考えている、とわかった。
(修一)
ついさっきまで自分を見上げていた、周一郎そっくりの、切羽詰まった必死な目の色が視界を覆った。
「宮田のどあほうっっ!!」
「え…おれ?」
詰る垣の珍しい大音声に振り向いた宮田が、そそくさと視線を外す。
それほど垣は激怒していた。




