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綾野邸から滝と周一郎が脱出するところだ。手配りされた警官隊は映画より減らして数人にまとめられ、逃げ出そうとする裏口に向かって走り出す周一郎と滝、背後から綾野の追手が迫る。
『周一郎!』
滝が周一郎を押して走り出す。映画だと次第に速度を上げるテンポの速い曲が鳴り響いているはずだ。綾野の配下が銃を構える。察した滝が横っ飛びに体を浮かせながら叫ぶ。
『危ない、周一郎!』
銃声が響いて、滝の体が前方に転がる。
『志郎!』
お由宇の声が響く中、周一郎がゆっくり振り返る。訝しげな表情が驚愕に、やがてショックを伴った恐怖へと移り変わっていく顔は見る見る青ざめる。映画なら画像処理だろうと苦笑するところだが、目の前で変わっていく顔色は『芝居』であるだけに空恐ろしい。体を捻って倒れた滝を振り返り、ぼんやりと滝の肩に広がっていく紅を見つめていた周一郎の目が、ふいに焦点を合わせる。
『滝…さん…?』
夢現のように呟いて側へ近寄り、ぺたりと座り込んだ周一郎は、そうっと滝の肩に指を伸ばした。触れられてびくっと滝が震えるのにはっと手を引いたが、自分の指が真紅に染まっているのを見つけて体を強張らせる。目を見開く。驚愕と恐怖を満たした表情が、何かを見つけようとするように揺らぎ、もがき、やがて、かけがえのない大切なものを失おうとしていると知って強張っていく。
『い…やだ……』
微かな呟きを漏らして、周一郎は首を振った。ぼろぼろ零れる涙を拭いもせず、濡れた指先だけを中空に浮かばせ、自らの体である指から自分を引き千切るように竦ませながら、一層激しく首を振り、周一郎は悲痛な声で叫ぶ。
『いや、だああぁあああっ……っ!!』
「……なんて顔をしやがる」
「え?」
現実に起きている出来事を眺めるように修一の演技に見惚れていた高野は、いきなり聞こえたことばに目を瞬いた。振り向いて、山本の複雑な表情に気づく。
「何ですか?」
「あいつ、修一の顔だよ」
苦々しく吐き捨てる。
「あれ……本当に、滝が、いや、唯一心を許してる人間が死にそうだとわかったみたいじゃねえか。自分の身代わりになったって罪悪感まで浮かべてやがる。手から零れてく命に怯えてる顔だよあれは。……ガキの演技力じゃねえな」
「でしょ、凄いでしょ!」
自分が見て取ったものを山本も認めた。自分が評価した修一を、山本も確かにそうだと評価してくれた。有頂天になって声を弾ませる高野に相手が舌打ちする。
「お前、俺が言ってる意味、わかってねえな」
「へ?」
高野は動きを止めた。山本の表情は冗談だと告げていない。むしろ、ひどく深刻な顔、一歩間違えるととんでもないことになるぞと言いたげだ。
「修一の奴、マジでやってやがるって言ってんだ。何でか知らねえが、あいつ、垣と仲違いしてるか、大喧嘩したんじゃねえのか? へたすると、この映画で垣、辞めやがるんじゃねえか?」
「え…えええっ」
高野は驚いた。
「修一、垣を失うって怯えてやがるぜ。しかも、それが避けようがないって覚悟決めてやがる。まずいことに、それがまた『演技』としてしか見られてねえ……お前みたいに」
監督はわかってんだろうな、と山本はぶつぶつ呟いた。
「そっか、だから急いでんのか、伊勢さんは…」
それもまたひでえなと唸る。
「いや、でも、そんなこと、修一さんから聞いてないですし。第一、何で垣さんが辞めるぐらいで。どうして修一さんが怯えなくちゃならないんです…?」
尋ねる高野に、山本は深々と溜め息をついた。
「悪い、けど、今ほんとに俺は修一に同情したぞ? ……お前は感じねえのか? この映画は垣、が肝だ。垣の出来一つで全部お釈迦になるか、全部うまく行くかってシロモノだぜ?」
「あ…の…」
「監督はわかってる、で、修一も今はそれに気づいてる、けれどそれが無くなるってこと、たぶん修一しかわかってねえ」
「……えと…」
「高野、いいか、あいつの食事とかに気ぃつけとけよ」
山本は不快さを隠そうともせずに唸った。
「きっとまともに食ってねえぞ。『演技』しか目に入ってねえ。ああいう緊張っていうのは、そう長く保たん」
「は…い」
高野は急いで修一の食事内容を思い浮かべた。ロケ弁メインになっているのは知っている。けれど残ったゴミや残飯はまとめて回収されていたから、どれぐらい食べているのか把握できていなかった。
「そう、か」
しまった、と高野は臍を噛んだ。修一が絶好調だと思い込んでいたから、きっと体調もいいはずだと思っていた。けれど、元から修一はプライベートを明かさない人間だ。高野に見せているのも『友樹修一』であるはずだった。
「映画の最中にこけられたらどうにもならん」
「…わかりました」
高野は修一を睨みつけながら頷いた。
シーン307は終ったらしい。人々が期待に満ちて集まる中、『友樹修一』のサイン会が始まっている。




