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「ん〜」
高野は唸りながら、修一と垣の演技を首を傾げて眺めた。
「あ…ん…?」
隣に並んだ山本が同じように訝しげな声を上げるのに振り返る。
「何だよ、おい、高野」
「ええ、そうなんです」
山本が言わんとすることを察して頷く。
「変でしょ」
「変って」
おうむ返しに繰り返した山本は、見逃したのを悔しがるような表情で修一の演技に目を戻す。
「…そういう問題かよ、」
「よーしカット!」
反論しようとする声に被さるように、監督が満足げな声を上げた。
「うまい、うまいぞ、友樹君! どうしたんだ、急に良くなったじゃないか!」
今にも跳ね回り踊り出しそうな気配で、両手を叩きながら続けた。
「そう、そうだ、そこは抑えた激情が欲しいんだ! 自分への問いかけも全て呑み込んだ静けさが欲しいんだ、ばっちりじゃないか!」
大絶賛に振り返った修一はこくりと頷いた。さすがに息を切らせていたが、そのまま脚本を取り上げると垣の側へ言って紙面を指差し、何かを話しかけている。
「おい」
山本の目が丸くなった。言いたいことは十分にわかる、そこを高野はあえて尋ねてみる。
「…何をやってると思います、修一さん」
「まさか…今のシーンの」
「そ、反省と見直し、次のシーンの打ち合わせなんです」
「マジかよ」
「マジです」
高野は大きく頷いた。
「ここ2、3日前から、ずっとああなんですよ、修一さん。何でかわかんないけど演るのに必死なんですよ」
「5年近く一緒にやってるけど、あんなの見るの初めてだぞ」
「こっちも初めてです、飲み物持ってって断られたの」
「断ったあ?」
素っ頓狂な声を上げる山本に頷く。未だに自分でも信じられないぐらいだ。
「汗かいてるからと思って、オレンジジュース持って行ったら『後で』って。で、そのまま脚本と演技の打ち合わせに没頭しちゃって」
「どうなってるんだ、友樹修一」
「モノ見てたら、口閉まんなくなりますよ。修一さん、やっぱり天才だ」
高野はごくんと唾を呑んだ。
「さっきの場面なんか、凄いの一言に尽きますから」
「さっきの場面って……あの、直樹が周一郎の『まね』をするところか?」
「そうです」
ちらりと高野は修一を見やる。相手はまだ打ち合わせの真っ最中で、脇目も振らずと言った顔だ。
「ほんの少し周一郎の本音が見えて、それでも直樹がやってるんだなってわかるようなわからないような微妙なところ。もう無茶苦茶だった。あれ以上演れる人はいないんじゃないですか」
自分が手放しで賛美しているのはわかっている。それが照れくさい気もするから口調が幼いとも思っている。だがそれでも鳥肌が立つようなあの感覚を思い起こすと、なおも口調が舞い上がる。
「そんなにか」
「ことばなんて足りませんよ。ほら、直樹が滝に平手打ちを喰らうでしょ? 謝る滝に自分の正体を言いたいような、もっと滝を試したいような複雑な表情になったかと思うと、次の瞬間『ごく当たり前に』平手打ち喰らったことに怒るでしょ」
それを『そのまま』演ったんですよ。
「そのまま…?」
訝る声も咎める気にならない。この目でみなくては信じられないだろう。二重三重に覆われた演技の中から、一番底の顔がちらりと見える。けれど、それは役者の顔ではなくて、それでも『演じている人物の顔』でなくてはならない。
「偶然じゃないのか」
「繰り返し演れましたよ」
監督も信じられなかったからだろう、もう1回、もう1回と演技を繰り返させたのに。
「最後まで、周一郎が被った直樹の顔がずれかける、ところまでしか剥けませんでした」
つまりそれは、修一が完全に『周一郎』をものにしているという証明だ。
「ああもう、ことばじゃ無理だ。ラッシュ見て下さい。冴え過ぎてますから」
ベタ褒めしながら高野は自分がぴりぴりしてくるのに気づいている。
監督も警戒していた。このテンションはどこまで保つのか。崩れるのは1時間後か、それとも数分先なのか。
撮れる間に撮っておきたいと苛立つ監督の心情を、修一は、これまた14、5で見せられるとは思えない落ち着きで宥めたものだ。
『大丈夫です監督。ずっと演れます、このレベルで。だから焦らないで僕に時間を下さい。このレベルを保ちたいなら、垣さんとじっくり詰めてかなくちゃならない』
話題の中心の修一は、まだ垣と話し込んでいる。監督ももう急かすような気配はない。1つの才能が今熟していこうとしているのを息を詰めて見守っている。
修一と垣のやり取りも以前のものと一変していた。今までのように垣の歓心を買いたいがためのおしゃべりではない。難しい表情で繰り返し脚本を読み合わせ、首を振ったり、指差して何かを尋ねたりしている。時々ふっと前のようにじゃれつきたそうな顔になるが、そのとたん視界を曇らせて目を逸らせ、きゅっと唇を引き締めて元通りに黙々と仕事に戻る。
「…何があったのかな」
「さあ……」
山本に尋ねられて高野は戸惑った。何が。修一の変化は単に成長というだけではないのか。
「でも、いいモノは出来そうですよ。友樹修一、渾身の一作になるんじゃないですか」
「違いない……何だ、あいつ?」
苦笑した山本は、ふらふらと歩く現場に不似合いな男に顔をしかめた。
「ああ」
視線で示されて、高野も苦笑いする。
「修一さんのガードです。宮田、とか言ってましたけど」
「あんなのがガードになるのかね」
「なるでしょう、何せ国家公務員だし……あ、午前のアトラクションだ」
シーン307ですね、と高野は山本を振り向いた。
「まあ見てて下さい、修一さん。たいしたもんですから」
「よし、見させてもらうかな」
ここも結構微妙なところだよなと頷きつつ、山本が構えた。




