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(そうか。僕は『友樹陽一』の息子の、『友樹修一』だから)
親の七光り、そんなことばには慣れっこになっている。いつでもどこでも実力も努力も足りない奴が最後の言い訳に必ず持ち出してくる馬鹿馬鹿しいことばだ。
そこから逃れられないのは知っている。けれど、背負って跳ね返し続けてきたと思っていた。この映画でも、父親の影を斬り払いながら走ってきたつもりだった。
けれどそれが、こんなところで持ち出されてくるとは。
(『修一』には興味がないって…?)
ただの『修一』でしかなかったなら、あの雨の中でも放っておかれたのだろうか。あのとき母親のことを口にしたから『友樹修一』の仮面を被ることができ、だからこそ垣は助けてくれて、あの温かさを提供してくれたのだろうか。
再び鮮烈に甦ってくるスタッフのことば、『垣は滝になり切れない』……垣は困っている他人に手を差し伸べずにいられない人間ではない。
『友樹修一』は垣の『相手役』だが、『修一』は面倒事を持ち込んでくる赤の他人でしか、ない。
「……うか」
(それでも)
粉々に砕かれた願いの欠片を見下ろしながら、修一は考える。
(それでも、側に、居てくれるなら)
演じればいい、『友樹修一』を。
そんなことは、慣れている。
「それに…」
垣がぼやくような口調で呟いた。
「あんまりいい役も回ってこないし、な」
弾かれたように修一は顔を上げた。
垣に『いい役』が回ってこないのは、穿った見方をすれば、垣が『役』に反応し過ぎるからだ。名声ばかり高くて演じる力のない役者は、その反応に自分の無能を炙り出されるとわかっているからだ。
けれど、それを『わかっている』修一ならば、本当の『役者』に引き合わせることができる。垣の才能を引き出し伸ばし引き上げる『役者』の世界に垣を導ける。
修一ならば。
修一ならば。
「それじゃ僕が頼んであげるよ! きっともっといい役がくるよ。ギャラだってもっと上がる。僕が頼めば、垣さん1人ぐらいどうにかなるよ!」
そうすれば、周一郎が終っても修一はまた垣と組めるかも知れない、違う作品、違う役柄で。そうすれば垣だって『ここ』に長く留まってくれるかも知れない。
(ずっと一緒にやれる)
湧き上がる喜びに忘れ切っていた、垣という男の在り方を。
「友樹君!!」
いきなり厳しい声が響き渡って息を呑んだ。垣は難しい顔で修一を睨み、手にしていた脚本を叩き付けるようにテーブルに置いて立ち上がる。
「そんなことを言うなんて、見損なったな」
冷ややかに言い捨てられて、修一はぽかんとした。
「垣…」
「そりゃ、芸能界へ来ていろんなことにがっかりしたけど、オレはお前に仕事を恵んでもらうほど落ちぶれたつもりはない」
怒鳴ろうとするのをかろうじて押さえつけたような声音で投げつけ、ジャケットを羽織ってそのまますたすたと玄関に向かう。出て行く寸前に、突然の動きに応じ切れない修一を振り返り、立ち止まった。
「オレ、お前は本当に『スター』にふさわしいと思ってた。ごたごたいろいろあっても1人で頑張ってて凄い奴だって。……お前となら、たとえ芸能界でもいい友達になれると思ったのに……残念だ」
言い放つと、もう修一の顔を見ないままに出ていく。バン、と荒々しく閉められたドアを見送った修一は、しばらく立ち竦んだ後、のろのろと『ると』を振り向いた。
「『ると』…?」
ソファの上に居る『ると』も修一をじっと見返す。
「垣さんを怒らせちゃった…」
頭の片隅がじんじんと痺れて現実感がない。部屋が急に冷え込んできたように感じる。ゆっくりと部屋の中を見回すが、誰もどこにもいない。
気がつくと、修一は部屋の中央で脚本を手にぼんやりと座り込んでいた。
「……『ると』」
ぱらぱらと脚本を捲る。
「……僕と…いい友達になれると思ったって……」
ぱらぱら、ぱらぱら。
垣はこの台詞をどう読んでいただろう。抑揚はどうだっただろう。口調はどうだっただろう。強弱はどうだっただろう。呼吸はどうだっただろう。
思い出せない、何もかも、まるで一気に霧に呑み込まれてしまったようだ。
「……なのに……ぼく……馬鹿なこと……言って…」
ぽたん、と重く柔らかい音がして、脚本に落ちた水滴を修一は訝しく眺めた。ごしごしと服の袖で脚本を拭く。なのに、ぽたたっ、と次の水滴が落ちてきて見る見る数を増す。拭くのが間に合わない。
「ああ…そっか…」
ぼんやり呟いた。
「『ると』……僕、泣いてるみたいだけど……どうして…こんなことで…涙が出……っく」
しゃくりあげかけてぎょっとした。
「別に…何でもない……けんか…っく…だろ……? 別に…泣…ほどの……こと……ひっ」
今度はあからさまに息を引いてしまい、混乱して口を噤む。
こんな演技はあっただろうか。
友達になる前の友達が冷たいことばを投げつけて出ていった、そんな場面で、残された男が、それも15に近い男が泣きじゃくるようなことが?
「そんな……のっ……しら……なっ…く」
溢れ出す涙に何が何だかわからなくなってきて、修一は膝を抱えて顔を伏せ体を固く抱き締めた。
「な…んで……っ? …なん……で…」
なぜ垣は出て行ったのだろう。
なぜ修一はあんなことを言ったのだろう。
なぜまた1人になるのだろう。
喉が痛くて体が苦しくて引き裂かれそうな気がして、なのに身動きできなくて。
(誰か、助けて)
修一は初めて嗚咽というものを知った。




